創業百年を迎えて

代表取締役社長 山口昭男

●「文化の配達夫」として

岩波書店は,1913年,岩波茂雄によって創業されました.そのとき茂雄は32歳.従業員5人の主として古本を扱う小さな店からのスタートです.爾来,多くの著者をはじめ,印刷・製本・取次・書店・広告等々,各界の強い支援に恵まれ,また,実に多数の読者に迎えられ,励まされて,2013年に創業百年の一画期を迎えるにいたります.改めて知るのは,出版事業とは人間の環にほかならないということです.

1913年といえば,ちょうど前年,明治が終わり,新しい時代の風潮が急速に際立ってきたときでした.いわゆる大正デモクラシー開花の時期です.しかし,実際の政治は,混乱と腐敗がはなはだしく,翌年には,ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発します.そのとき,茂雄は,「いま大切なことは何か」との思いをもって,店を興したのです.のちには自らを「文化の配達夫」と称し,その「文化の種をまく」という志は,いまでも引き継がれています.

創業の翌年,夏目漱石の『こゝろ』を出版し,翌1915年には「哲学叢書」の刊行を開始,こうして書店の基盤が築かれました.昭和に入ると,1927年に,東西の古典の普及を目的として,「岩波文庫」を創刊しました.この文庫の形式は,「発刊の辞」とあいまって,大きな反響と支持を得ることができました.

文庫創刊の翌年には,岩波講座『世界思潮』(12巻)を刊行し,以降『物理学及び化学』(24巻),『日本文学』(20巻),『哲学』(18巻),『日本歴史』(18巻)などの岩波講座が,重なるように続きました.これらの企画は,学界第一線の研究者を網羅して,大学の講義を市民に開放したいという茂雄の情熱のたまものでした.さらに1938年には,日中戦争へと急傾斜していく時代への批判を込めて「現代人のための現代的教養」を旗印として「岩波新書」を創刊します.

●「四つの仕事」を進める

敗戦直後,茂雄は,戦争を止められなかったのは,文化が大衆のものになっていなかったからだ,との反省に立って,1945年12月に,『世界』を創刊します.茂雄の死後も岩波書店は,1950年に「少年文庫」,79年に「ジュニア新書」,82年に「ブックレット」,2000年に「現代文庫」と,学術・文化普及のための器を次々に創出し,また今や辞書の代名詞ともなった『広辞苑』を1955年に世に問うなど,今日までに累計でおよそ 3万4000点にのぼる書籍を刊行してきました.

「文化の種をまく」との創業者の姿勢は,今日でも,「四つの仕事」すなわち「古典を普及する」「学術・文化の成果を伝える」「アクチュアルな問題に迫る」「子どもの感受性を育む」として受け継がれています.

●「問う。はじまる。」

大正デモクラシーにはじまり,第一次世界大戦,第二次世界大戦を経て,ついに昨年の東日本大震災にいたったこの100年を改めて振り返ってみると,私たちが現代において直面している課題は,100年前よりもはるかに複雑かつ深刻であることに思い至ります.

岩波書店が100年を経たということは,単にその伝統を担っているだけではなく,同時に,その100年にはらまれた同時代の諸問題を背負っているということでもあります.21世紀もすでに10年が過ぎ,知の世界は電子書籍の登場によって,グーテンベルク以来の革命が起きているといわれます.その中にあっても「いま大切なことは何か」を問い続け,発信する岩波書店の姿勢は変わりません.

すべては,そこからはじまるからです.