今福龍太
復興とは、まさに破壊の破壊であり、したがって破壊の極致である。
(ギュンター・アンデルス『橋の上の男』篠原正瑛訳、朝日新聞社)
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真に記憶することにたいして、何が私たちの前に障害として立ちはだかるのだろうか?
災禍の本質の部分に横たわる、破壊と喪失とを生みだしたもっとも根源的な要因がおおいかくされてゆく戦後の状況を、反原水爆・反核の立場から苛烈に批判しつづけたのがドイツのユダヤ系哲学者ギュンター・アンダース(1902-1992)だった。彼の思想には、ヒューマニズムに支えられた常識的理性が求めてしまう共感や救いや希望に安易に流されない、驚くほど厳格な批判意識があっていつも目を啓かされる。
1958年、アンダースは第4回原水爆禁止世界大会に参加するために来日し、広島と長崎を訪問した。新しい家、新しい道路、新しいホテル。戦後の「復興」によってすでに破壊の跡は隠され、過去は抹消され、人の心を含むすべてが「仮面をかぶった現在」として、はじめからそこにあったような顔をしていた。戦後に復興したドイツの都市のよそよそしさ、過去の記憶をのっぺりした現在によって抹殺した故郷の町々を心底から憂えるアンダースは思う。人類の歴史は、たえず過去に向かって改ざんされているのだ、と。
その頃の日本の現実はどうだったろうか。その年、広島は朝鮮特需による神武景気の恩恵を受けた「広島復興大博覧会」なるイベントに沸いていた。2年前の1956年には、なんと広島平和記念資料館(原爆資料館)において「原子力平和利用博覧会」が開かれ、平和利用を隠れみのにした戦後の原子力推進イデオロギーが広島を宣伝基地に利用しながら推し進められてもいた。広島の巡礼者は愉しい未来図を集めた展示に心癒されたらよかろう、とアンダースは突き放している。被害者も加害者も救われる欺瞞的なユートピア。
アンダースは破壊を見えなくさせる力にたいしてこう断言する。「真実にとって必要な道徳的条件は、今日では想像力である」と。忘れることに抵抗するために、復興の現実に目を閉じ、きみの心眼をひらけ。肉眼を疑い、想像力を介して真実に近づけ。
鋭い警鐘と、深いペシミズムに立った極限の倫理の声である。
(いまふく りゅうた・文化人類学者)