岩宮恵子

 やっぱり中心におかれているのは祈りですね。それは現代人が一番忘れたり、軽んじたりしていることではないでしょうか。ふつうの人は、祈っても何も起こらない、しかしお金があれば何かできると考える。その時に、祈りというものもありますよと、それが大切ですよと、ちゃんと伝えることは、すごく大切だと私は思うんです。
(河合隼雄の発言 / 河合隼雄、ヨゼフ・ピタウ『聖地アッシジの対話——聖フランチェスコと明恵上人』藤原書店)

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 「すごい津波があったんだよ。知ってる?」相談室に通ってきている小学生の男の子が真剣な顔をこちらに向けた。「知ってるよ」「ホントに知ってる?」「ホントに……かあ」「すごいんだよ」「うん」「大変なんだよ」「うん」「たくさんのひとが死んだんだよ」「うん」「街も無くなったんだよ」「うん」「ホントのホントに知ってる?」
 その必死な聞き方から、この子は、ひとが生活していた土地と、その土地に暮らす多くのひとの命が一瞬で失われるということがどれほどのことなのかを、「ホントに知って」しまったのかもしれないと思った。情報として「知ってる」のではなく、体験したと言っていいほどの何かを感知したのだろう。でもそれをどう伝えていいのかわからない。だから「ホントに知ってる?」と繰り返し問いかけるしかないのだ。
 東北に親戚がいるわけでもない。身近に被災したひとがいるわけでもない。でも、この子にとってあの出来事は、まさに自分が体験したことであり、知っていることなのだ。こういう共感能力は、ときに平穏な日常生活とは折り合いが悪くなる。
 続けて会ううちに、彼は、相談室にある箱庭に目を向けるようになった。彼は棚に並んだフィギアのなかから、動物と人間を両手で抱えるようにして取り、砂を掘って丁寧に並べてからさらさらと砂をかけて埋葬した。そして「死んだものたちはここにいる」と、じっとこちらを見た。やがてふっと気がついたようにして「あ。木を植えよう。側に木がないとね」と、棚から木を取って慎重に周囲に植えていった。それからゆっくり手を合わせて目をつぶった。私も一緒に手を合わせ、目をつぶり、東北の土地のこと、亡くなったひとたちのことを想った。まるで、高僧に付き添われて一緒に供養をさせてもらっているような、そんな祈りの時間だった。
 全国にこのような子どもはどれほどいるだろうか。現実に追われている大人が気づかないだけで、自分なりのやり方で、深い鎮魂の祈りを捧げることができる場を求めている子どもは確実に存在している。祈りは深いところでひとをつなげて支えてくれる。そのことを知っている子たちが今の日本にしっかりと生きている。
(いわみや けいこ・臨床心理士)