宮島 喬

外人とは?/集団に属さぬ者、《ここの者》ではない人間、「他者」。/外人については否定的な定義しかないとはよく言われるところだ。
(ジュリア・クリステヴァ『外国人:我らの内なるもの』池田和子訳、法政大学出版局)

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 災害の猛威はその地の全住民を「平等に」襲った。なかに少数、「外国人」と呼ばれる人々も含まれていた。真っ先に心に懸かったのは、三陸沿岸部の水産加工などで働いていたはずのアジア人研修生、技能実習生たちのことである。一般に彼らは会社の側から監視され、しばしば携帯電話をもつことも許されず、地域の人々との接触もなく寮と職場を往復する毎日を送っているから、被災すればどうなるのかと心配した。だが、自国民保護にただちに動いた中国大使館などは、彼らの退去を勧告し、数十台のバスをチャーターし、空港へ運び、帰国させたという。それはそれでよかったとは思うが、外国人労働者とはいざとなるとモノのごとく動かされる存在なのだ、ということも感じさせられた。
 異境で大きな災害に遭い、頼れる絆のない外国人が、何よりも「帰国を」と考えるのは自然だ。「彼らは、周囲かまわずさっさと帰国してしまった」と、批判・揶揄する日本人の声も聞こえたが、私だってもし外国で同じ経験をすれば、まず「帰国の手段は……」と思うだろう。たいていの外国人はよるべのない存在なのだ。
 そのなかで土地に残り、避難所暮らしを続ける人々がいた。日本人と結婚し、海岸部の町々、村々に住んでいた、多くが「外国人花嫁」と呼ばれるアジアの女性たちだ。夫も子どももいて土地に根付いたかにみえる彼女らのなかにも、「怖い、国に帰りたい」と激しい望郷の念に駆られた人はいた。日本人に嫁ぎ、骨を埋めるつもりで来日したはずなのに、などと批判してはならない。実は永住したいと思うほど心の安定した生活が築けている人は少なく、DVに苦しむ人もいる。中国やフィリピンの大使館からの退去勧告は、国籍を保持していれば、彼女らにも向けられる。それに応じ、子どもを連れ帰国したある女性は、夫は了解ずみだったが、姑や土地の人々の冷たい眼差しを浴びた。戻ってきた彼女は、周囲と顔を合わせるのがつらい、「帰国などしなければよかった」とほぞを噛む思いだという。日本の社会はマイノリティに必ずしもやさしくない。
 外国人といえば、今後しばらく日本に滞在予定の研究者HさんもLさんも、3.11後ただちに家族と共に東京を離れ、関西に居を移した。「怖いからですよ」と正直に語るLさん。これらヨーロッパ人の経験を聞き、なるほどと思った。「あのチェルノブイリのあと、1200キロ離れたスイスや南ドイツも大変だった。一時落葉から高放射能が検出され、土地の牛乳も飲めなくなったのを今でも住民たちは忘れない」。であればこそ、とっさにフクシマ事故の容易ならぬことを直感したのだ。チェルノブイリを知識としてしか知らず、遠い出来事としてしまっていた日本人。四半世紀前の記憶を風化させていない彼らだからこそ、これをドイツやスイスの脱原発運動の原点にできたのだ。この一点を学んだことは大きい。
(みやじま たかし・社会学者)