上遠恵子
私たちは「進歩」を自画自賛し、「文明の利器」を誇りにしていますが、その一方で、人間は時として利口すぎてかえって我が身をほろぼそうとしているのではないだろうかという疑念が育ちつつあります。
(レイチェル・カーソン、1963年10月)
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この言葉は、レイチェル・カーソンがサンフランシスコで行なった「環境の汚染」という講演で語った言葉です。そのときすでに彼女の体はガンにおかされていて、講演から半年後の1964年4月に世を去りました。文字通り遺言といえる講演です。
このとき彼女は「沈黙の春」の著者として当然のことながら、殺虫剤のような化学物質による環境汚染に触れると同時に、原子力時代の有害な放射能を帯びた廃棄物が海に投棄されていることへの危惧の念を語っています。カーソンには、散布されるDDTの白い粉末と第五福竜丸に降り注いだ死の灰が、ひとしく人間の生命をおびやかすものとして映ったのです。
私は東日本大震災の猛威と大災害に言葉を失いました。原発事故の様子を映すテレビを見ながら、かつて「ああ許すまじ 原爆を 三たび許すまじ 原爆を」と歌いながら核兵器反対のデモに参加し、チェルノブイリ原発事故に衝撃を受け原発の存在に大きな疑問を抱きつつも、いつの間にか黙ってしまった自分にやり切れなさを感じていました。黙っていてはいけない。忘れてはいけないと痛切に思ったのでした。カーソンは「沈黙の春」の最終章「別の道」でこう書いています。
私たちは、いまや分れ道にいる。だが、ロバート・フロストの有名な詩とは違って、どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり《人も行かない》が、この分れ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。……どちらの道をとるか、きめなければならないのは私たちなのだ。
(青樹簗一訳、新潮文庫)
「沈黙の春」から50年。私は「別の道」を歩くものでありたい。
(かみとお けいこ/レイチェル・カーソン日本協会会長、エッセイスト)