横湯園子
父を悼む心が、制作のときもわたくしのどこかに潜んでいて、なにか知れない力がこの像を父の顔に近づけたのではないだろうか。……父の霊名はアンドレアという。
(舟越保武『巨岩と花びら』ちくま文庫)
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大震災から1年余、4度目の被災地訪問の主な目的は、母親を津波で失った少女や震災孤児となった少年と再会したかったこと、また、津波にのまれて逝った友人や知人のお位牌にお会いすることであった。東北とのお付き合いは不登校・登校拒否、ひきこもり関係をメインにして二十数年以上になる。消息がわからなかった少女一家との再会、震災を機とした青年たちの出立の姿もうれしかったが、総じて、死者への旅となった。
一家全員が亡くなった知人の菩提先もわからず、ただ私の気持ちを蒼い空に託して去った。それだけに、友人とその次男の遺影とお位牌の前に座ったときは安堵した。あの日、友人はひきこもっていた次男を必死で説得するが、次男は「誰にも会いたくない」と最後まで部屋を出なかった。あっという間に津波が押しよせ、友人は長男と2人で車の屋根に。力つきた友人は「1人だけでも生き残って、強く生きて」と手を離し、波にのまれていったという。
友人の夫は妻の遺体確認までを話しながら、「幽霊でもいいから出てきてほしい」と言った。夢で会う、夢が癒す。邂逅はどのようになされるのか。
彫刻家の舟越保武氏と言えば、代表作《長崎二十六殉教者記念像》が眼に浮かぶが、引用文にあるように氏の父に対する断腸の思いは、忽然と創造の世界に出現するようである。
骨髄炎を患った息子(保武氏)の傷口に、教会からもらってきた聖水をかける病床の父。その愛を感じながら、息子は心とは別な「やめろ、傷口が悪くなる」を発してしまう。父親はその年の暮れにガンで死亡。何という原風景であろう。
二十六殉教者が聖人となって100年目にあたる年(1962年)、縁の地である長崎市西坂公園に記念像が設置されることになり、氏は完成までの4年間、アトリエで像とともに寝起きした。その折、涙を流しながら氏の頭をなでる父親の夢を何度も見たという。夢だけではなく、20人目に制作したフランシスコ・キチを作り終えたとき、粘土の顔が話しかけてきたように思われたという。
しかし、父への思いはなかなか平穏なものにはなっていかなかったらしい。年月が過ぎていっても、二十六聖人像を探し回る夢を見ており、このような残酷な夢は見ないようになりたいと、長崎に行って眼が痛くなるまで彫像をにらむように見据えたとか。氏は老年期、脳梗塞で倒れるが、闘病中に書かれた文にはもはや父の影はなく、生命の証の文字が刻まれていた。
(よこゆ そのこ・心理臨床家)