佐々木幹郎

 ホメロスにとっては、もし神々がわれわれの上に不幸を降り注ぐなら、それは人がそこから歌を生み出すためだ。
(ダニー・ラフェリエール『ハイチ震災日記――私のまわりのすべてが揺れる』
立花英裕訳、藤原書店)

*  *

 2011年3月11日のもっとも鋭い記憶は、わたしのなかでは1秒間だけだったかもしれない。
 東京で揺れが一番激しかった瞬間、棚から落ちてきた本や足元に積み上げていた資料の山が崩れて、身動きがとれなくなったわたしがいた。揺れの最中は、机の上の2台のパソコンのモニターを両手で支えていた。これが飛んでくることを恐れたのだ。
 揺れがおさまったとき、わたしは崩れた本の上に両手を置いた。その手が震えているのに気がついた。何だろう、これは。見たことのない細かな震えだった。身体の底のほうからやってきた本能的な恐怖だった。わたしはそのとき人間だったのだろうか。その一瞬は、わたしの身体に刻まれた、忘れることのできない時間である。
 2010年1月12日、カリブ海に浮かぶハイチ共和国で、マグニチュード7・3の大地震が起こった。死者は30万人を超えた。その大地震に遭遇したダニー・ラフェリエールは、まるで散文詩とも思える短文を黒い手帖に書き続けた。それが『ハイチ震災日記』なのだが、彼はこの体験を恐ろしい「10秒間」と言う。これを読むと、共感の揺れがわたしを襲う。
 「10秒の間、私は一本の樹木か、一個の石か、一片の雲か、あるいは地震そのものになった。まちがいのないことは、私がもはや一文化の産物ではなかったことである。私には、自分が宇宙の一部であるという感覚が沁み渡ってきた。私の人生のもっとも貴重な10秒間」
 ハイチでは瓦礫のなかで、破壊されたほうぼうの街角で、歌声が響いていたという。それはいかにも南の国の楽天的な国民性を示している、とみなすべきではない。人はこんなとき歌をうたうのだ。
 東日本大震災でも、同じような話を聴いた。岩手県大船渡市の海岸に第一波の津波が押し寄せてきたとき、地震で全壊した家の下から歌声が聴こえた。瓦礫に埋もれていた老人が、民謡をうたっていたという。その声を聴いた人がいた。津波はそのあと何度も押し寄せ、おそらく老人は亡くなったと思われる。
 老人がうたっていたのは「八戸小唄」だった。海への讃歌である。海に痛めつけられたのに、海を讃える。自分自身が宇宙の一部になったとき、声のマジカルパワーに託してうたう以外、人間に何ができるだろう。
(ささき みきろう・詩人)