加藤典洋
つまり、現代を第二の「軸の時代」にしようとすれば、その現代の課題は、第一の「軸の時代」の大きな思想家たちの課題が、世界が無限であるという真理に対して立ち向かい、その無限の世界を生きる生き方と社会構想を構築することにあったことのちょうど逆になるわけで、世界は有限であるという真理に正面から立ち向かい、その有限な生と世界を肯定する力を持つような思想が生み出されないと、次の時代を生きられないということになってきているのではないかと思います。
(見田宗介「軸の時代I/軸の時代II――森をめぐる思考の冒険」2009年)
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2008年末の東京大学で行われたシンポジウムで、見田宗介さんが準備してきた発表内容は、すべてを話せば、5時間か6時間はかかる膨大なものだった。時間がないため、発表は、切れ切れの形になった。その後、この考えは全面的に語られた形跡がない。いま考えてもこのときの「省略」は残念で、もったいなかったが、そのときになされた最後近くの発言が、上に掲げたものだ。1948年に、カール・ヤスパースが、その理由こそわからないものの、BC500年前後に、ギリシャ、インド、中国、メソポタミアなどで同時多発的に世界的な思想、世界宗教が生まれてくる、この世界史の「軸」から世界史を再構成してみよう、と述べた。これに見田が、それは、この時期、都市が生まれ、交易が生まれ、「無限性」というものが世界の歴史に浮上したからではないか、と新しい見解を付け加えた。そして、その「無限性」の浮上の2500年後のいま、今度は、ようやく世界に「有限性」が浮上してきていると述べて、上のように語った。
3.11以後、だんだんに私に深く「問い」の錘をつけて、沈んできたのがこの言葉で、私はこのところ、一年ばかり、このことを考えている。そのきっかけは、「有限性」という概念は、「無限性」の浮上の前には存在しなかったのではないか、と気づいたことだ。「無限性」の浮上する前にあったのは、共同体のもつ「全体性」のようなものだったろう。「有限性」は、「無限性」がなければ、やってこない。そして、いま、それはやってきて、私たちに、「世界は有限であるという真理」に立ち向かうことを促し、また私に、「有限な生と世界を肯定する」思想とは何かと、問うことをやめない。
(かとう のりひろ・文芸評論家)