高橋源一郎
「娘よ、お前は再生への努力を放棄して、人類を亡びるにまかせるというのか?」
「その問はこっけいだ。私達は腐海と共に生きて来たのだ。亡びは、私達のくらしのすでに一部になっている」
(宮崎駿『風の谷のナウシカ』漫画版 第7巻)
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アニメの『風の谷のナウシカ』は、宮崎駿の初期の傑作として名高いが、実はそれに先立って、宮崎駿が連載を始めた、アニメ版より遥かに長大な、全7巻の漫画原作がある。引用したのは、その7巻目、ラストシーン近くでナウシカが問いに答えることばだ。ぼくは、昔から、この漫画版を愛好してきたけれど、「3.11」以降、また違った目で、見るようになった。漫画版(簡略版であるアニメももちろんそうだが)は、「あの日」以降、人々がどのように暮らしてきたのかという物語だからだ。
『ナウシカ』の世界は、「巨大産業文明」が栄えていた世界が、「火の7日間」と呼ばれる「戦争」によって滅びたところから始まっている。その「戦争」によって、文明は消滅し、「腐海」と呼ばれる森が繁茂し、そこからは「有毒な瘴気」が流れだし、そのため人々は、絶えず死に直面するようになったのである。「腐海」とはなんだろうか。長い間、ぼくたちは、その語感と内容から、それは「苦海」、水俣病に苦しめられた地帯を暗示しているのではないかと考えてきた。
しかし、「3.11」の後、この不思議なファンタジーは別の意味を持つようになったのである。「文明」が産み出した惨禍が、ふだんに吐き出す「有毒な瘴気」、そしてそのことによって、苦しめられ続ける「後の世代の人々」。それは、「あの日」以降、ぼくたちが直面するようになった、あるいは、これからずっと直面することになるであろう事態そのものではないのか。それは、偶然、「苦海」や「あの日」以降の出来事を象徴する作品になったのではないだろう。この世界に起こるであろう「必然」を、奔放な想像力と思索によって、作者である宮崎駿は描いたにすぎないのである。
だが、いま、読むべきなのは、そんな事態に対して、どんなことばを差し向ければいいのか、ということのように思える。ナウシカは(というか、宮崎駿は)、汚染された土地に住むしかない未来の住民たちに、科学によって生み出される「清浄な土地」を提供しようとした「過去の人々」に、引用したことばを告げた。実は、どのような世界に生まれようと、そこで「より良く」生きるしかないのだという単純な事実、だからこそ、できうるかぎり未来のための選択をすべきであるという単純な事実をである。
(たかはし げんいちろう・小説家)