テッサ・モーリス‐スズキ

希望なき沈黙の中に、語ることのすべての夢を刻み込む。
(“The Book of Disquiet” Fernando Pessoa.
英語版より、著者による訳。以下、引用は同じ)

*  *

 リスボンで貿易事業に携わりながら、多くの作品を残したフェルナンド・ペソアは、1935年に47歳で亡くなりました。じつは生前のペソアは、それほど高く評価された表現者ではありませんでした。没後、彼の詩やエッセイはポルトガル語からヨーロッパ各国語に翻訳されるようになり、20世紀前半のもっとも偉大な詩人の一人として位置づけられるようになったのです。日本語版も、今世紀になって、新たに新思索社と思潮社から出版されています。
 ペソアは、その短すぎた生涯の中で、存在と非存在、生と死に、真っ向から向き合います。その思索の末に紡がれた言葉を、紙であれば何にでも記しました。

 2011年3月11日、地震に大津波に、そして原子力発電所爆発に、人々は言葉を失いました。喪失などという言葉が、意味をなしません。直後の被災地に残ったのは「沈黙」です。
 その日わたしはキャンベラの自宅に居ました。東北沿岸で起こった大地震の第一報が入ると、3台のコンピュータを並べ、祈るようにBBC(イギリス)、ABC(アメリカ)、NHKを見ていました。
 津波が去ったあと、多くの映像では、瓦礫に引っ掛かった布やごみだけがたなびいて、風の音しか聞こえなかった。

「すべては埃まじりの影となり、奔放な風に吹きあげられたものの声だけが、静寂の中にある。」(前掲書)

 圧倒的な自然災害、そして壊滅的な原発事故という人災の前で、人は言葉の無力さを否応なく思い知らされました。
 でも、涙をぬぐってから、人は新しい言葉に出逢います。
 実存は、言葉とともにしか生きることができないからです。
 希望なき沈黙の中に語ることのすべての夢を刻み込もうとする。それゆえ、夢は決して死にません。
(Tessa Morris-Suzuki・日本思想史研究)