山内明美
水の音も雲の中に吸い込まれてしまったように、バッテンも街の中に吸い込まれてしまったようだ。だが、何かそこに神話作用がおこせぬものかと思う。しかし、今必要としていることは、記憶という実行である。実行は再びインスピレーションなのである。空間内部の引力に引き裂かれたその裂け目に逆遠近法に支えられた記憶が突出してくる。
(高山登『遊殺――1968-2010』赤々舎)
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高山登さんの枕木を題材としたアートは、わたしにとって、とても近しい作品でした。それをはじめて見たのは、まだ10代の頃でした。気仙沼のリアス・アーク美術館に展示があったのです。それは、いま考えても、とても不可解な作品でした。すっきりしない作品でした。真っ黒い枕木ばかりが並んでいました。吐き気さえおぼえた強烈なタールの臭いとともに、枕木の記憶は、わたしの中にずっととどまっていました。その枕木が、「人間」の姿だということだけは、はっきりとわかりました。その後、わたしはアジアで、高山さんの作品と鉢合わせする機会が何度かありました。
あの津波のあと、駅舎もレールも流されて、凸凹の土手になった気仙沼線を、私は歩きました。レールはギュルギュルの鉄の塊になって、がれきの広がった住宅地の真ん中に落ちていました。流出したたくさんの枕木を見ました。しばらくすると、すっかり流された志津川駅前に、集められた枕木が整然と積まれていました。志津川から仙台へつながる道、血管のように網の目に広がって、それはやがて東京へつながる道をつくっていたものでした。レールの下にずっと横たわっていた枕木が、津波に洗われて、まるで「人間」になって屹立したようでした。その光景は、こうして言葉にするよりも、ずっと生々しい近代でした。そのレールは、やがて海を越えて、大陸へと続いていたのです。
高山さんはおっしゃっていました。
「近代とは」「物質と人間とは」「アジアとは」「民族とは」「戦争とは」「国家とは」……。あの漆黒の枕木は、近代の中で人柱となっていった人々への鎮魂歌でした。高山さん自らが、1944年のアジアの裂け目から生まれ出たことを知ったのは、ずっと後のことでした。
あの大津波から2度目の冬がめぐってきました。海と陸の裂け目から、人と海の辻から、何かそこに神話作用がおこせないものかと、やはり、思うのです。
(やまうち あけみ・社会学者)