岩波アクティブ新書


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2004年11月29日
 階段を地下へと降りていく。頑丈そうな鉄の扉の前は、たくさんの靴が置かれ、足の踏み場もない。やっと隙間を見つけて靴を脱ぎ、ドアのノブに手をかける。入ってよいかどうか、一瞬躊躇するが、ノックするわけにもいかない。意を決してドアを開けると、緊迫感のある声が響いてくる。目配せで案内され、音を立てないように椅子に座る。
  広い室内で、こちらに背を向けて座っている役者が、張りのある声で話してる。左手に立っているもう一人の役者が、それに応える。そこで、右手に座っている演出家から注文がつき、「ハイ」と手を打つのを合図に、もう一度やりなおし。こんな調子で進んでいくと、一人の役者が台詞をとちったのをきっかけに、一同大爆笑。台詞が面白くて、笑いをこらえられなかったのだ。
  これは、12月3日から始まるJIS企画公演『マダラ姫』(トピックス参照)の練習風景。同じ日に発売になる『怪奇俳優の演技手帖』について佐野史郎さんと打ち合わせるため、稽古場を訪れたところ。見学したのは5分か10分程度だけれど、見ていてわくわくする。芝居の練習風景を見るのははじめてだが、これは面白い舞台になりそうだ。
  演出しているのは、この本のなかで佐野さんと対談している竹内銃一郎さん。その対談の場面には、私も立ち会ったのだ。それがじつに深い内容で、舞台の演出家・役者はこんなことを考えているのかと、驚いてしまった。たとえば芝居のさなか、客席で携帯電話が鳴ったらどうするか? 答は読んでのお楽しみだが、私の「常識」は粉々にくだかれてしまった。
  それ以外にも、あの名作『ずっとあなたが好きだった』をプロデュースした貴島誠一郎さん、映画『ゲンセンカン主人』の石井輝男監督とも対談していて、私はそのすべてに同席させていただいた。編集者をしていてほんとうによかった! いずれの対談も抱腹絶倒あり驚天動地あり。単なる思い出話ではまったくなく、佐野さんはご自分の演技を反芻するように問いかけ、相手はこの機会にぜひ言っておきたい、といった意気込みで応えてくださっている。
  書かれている内容はもちろんだが、この本のもう一つの魅力は語り口にあると思う。体験をそのまま語るのでもなく、学んだ知識から演繹するのでもなく、多彩な演技を繰り返してきた身体から、言葉が紡ぎ出される。その独特の語り口・リズムが心地よく、原稿を何度も読むふけってしまった。よけいなお節介かもしれないけれど、演技を志す人は必読だと思う。

 佐野さんは神出鬼没で、なかなかフォローできないけれど、このところ佐野さんの出るテレビ番組・映画などを意識して観ている。笑ったり、泣いたり、なかなか忙しかった。なかでも印象深いのは、『ウルトラQ―dark fantasy』のナレーション。この番組の大きな要素になっていて、秀逸だった。番組の最後、虚構の世界から現実に戻るとき、佐野さんの一言がポンと肩を押してくれるような…。そんな体験も含めて、これまでのおつきあいは至福のときでした。さて、『マダラ姫』を楽しむぞ!
2004年10月25日
 ちょっと気に入っている上野樹里が主演ということで、映画『スウィングガールズ』を見てきた。いやー、楽しかった! 演奏もよかった。観客は往年のジャズファンだろうか、私と同年齢ぐらいの男性が多かったが、演奏の経験のある観客なら、帰ったらちょっとやってみようという気になったに違いない。正直言って、まだ話が続くのではないか、というところであっさり映画は終わっている。気がつくとすでに2時間経っていたという具合だ。
  ストーリーはまったく単純で、予想をほとんど裏切らない進行。東北の田舎の落ちこぼれ女子高生のグループが、ひょんないたずらがきっかけでジャズバンドを組むことになる。いろいろな事件をくぐりぬけて精進し、最後は音楽コンクールでみごと観客の喝采を得る。
  つい最近見ていたドラマ『ウォーターボーイズ2』もそうだが、真面目にやったらちょっと気恥ずかしい青春ドラマを臆面もなくやるという映像がどうしてこんなに面白いのか(今回の矢口史靖監督は、映画『ウォーターボーイズ』を監督した人)。以前、大真面目に作った『スチュワーデス物語』を、視聴者は大笑いしながら見ていた、という話があるが、今の時代、こういうものを真面目にやろうとすればするほど嘘っぽく見えてしまう。見ていられなくなる。逆に、作り手側も恥ずかしさを承知で、遊びながら作ってくれると、「そいういうことってあるよなあ」と安心して見ていられる。演技も台詞も、ちょっと大袈裟なくらいのほうが楽しめる。
  太田省一氏の『社会は笑う―ボケとツッコミの人間関係』(青弓社ライブラリー)の指摘によれば、現代のお笑いではぼけとつっこみが乖離し、つっこみの役割が希薄になってきている。その分、素人たる視聴者が、無意識のうちにつっこみの役割を演じていて、こうした生真面目なドラマは、観客がつっこみを入れながら見ていることになる。そこで逆に作り手側も、つっこまれることを承知で、ここでつっこんでください、というような作り方をするのだろう。見る方は笑いながら、しかしつっこみを保留しつつ楽しむことになる、ということだろうか。

 この映画について、今度は少し違った視点で考えてみたい。私は映画を見るときには、できるだけ予備知識なしで、先入観なしで見たい。ところが最近の映画では、本編の上映に前後してその映画の制作風景、いわゆる「メイキング」が流される。場合によっては、予告編を何種類か見て、メイキングを見て、それから本編、などということもめずらしくない(興味があるわけだから、見ずにいるのはなかなかむずかしい)。そしてさらに、メイキング自体を楽しむという場面も登場してくる。
  テレビの番組で、タレントが社交ダンスの練習をして公式の試合に出るまでをたどるものがあるが、これがなかなか面白く、感動を呼ぶ。『ウォーターボーイズ2』では、ドラマ進行の背景に、出演している俳優たちがシンクロナイズドスイミングの練習を重ねて上達していくプロセスが予想される。そして案の定、番組終了とあわせて、練習風景を撮ったメイキングが放映されることになった。しかしここでは、本編とメイキングはあくまで別物であった。番組の中で演技が下手なところは、下手に演じていたにすぎなかった。
  では、『スウィングガールズ』ではどうか。この映画では、本編自体がメイキングの映画にもなっているように見える。マウスピースを吹く練習風景で、なかなか出ない音がやっと出た、というようなところでは、そのように演じているというよりも、その段階ではそこまでしかできなかったと思わせる。そして少しずつ上達していくステップは、そこで実際彼女たちがそこまで上達したのだ、というようになっている。だから役の上で上達していくプロセスと、彼女たち自身が上達していくプロセスが二重に映し出されていることになる。これがこの映画の面白さ、新しさだし、そう見せるところが監督の手腕ではないだろうか。

 映画の最後はコンサートホールでの演奏。おなじみのジャズナンバーを何曲か、みごとに演奏している。ホールの観客も、映画を見ている観客ものってくる。昔ちょっとかじった経験では、柔らかい低音がなかなか出にくいものだが、それもきれいに響いていた。映画が終わると、これで彼女たちがバンドを離れてしまうのはもったいないなあ、と強く思う。そうしたら昨日のテレビで、映画のプロモーションのためにニューヨークにでかけ、そこで演奏している彼女たちが映し出された。役を離れて、じつに楽しそう。なんらかの形でこうした演奏会を、ときどきはやってほしいと思ったのだった。ああ、青春がうらやましい!
2004年9月27日
 7月末に、映画『稀人(まれびと)』の試写会に行ってきた。見てから少し時間がたったのは、この映画のことをどう語ったらよいのか考えていたからだが、公開が迫っているのでなんとか言ってみたい。
 少し説明すると、ユーロスペースでは、ベテラン監督も新人監督も同じ条件で映画を撮り、勝負しようというので、「映画番長」というシリーズを企画している。その第2弾が「エロス番長」シリーズ4本(現在、ユーロスペースで公開中)、第3弾が高橋洋さん(映画『リング』脚本家)監修の「ホラー番長」シリーズ4本で、『稀人』はその1本である。脚本は『ホラー映画の魅力』を書いていただいた小中千昭さん。
 小中さんはこの本で、ホラー映画の作法を公開してしまった。それはそれまでの手法を一区切りとし、新たに「ほんとうに怖いホラー」に挑戦することの決意表明でもあった。その試みの一端はテレビ深夜番組の『エコエコアザラク』や『ウルトラQ―dark fantasy』でも見せてくれているが、本格的に試みた作品が『稀人』だと思う。そして『呪怨』シリーズで脚光を浴びている清水崇さんが監督という、これ以上ない組合せ。
 望むべくもないコンビの映画ということで、いったいどこで、どんなふうに怖がらせてくれるのか、と期待しながら(緊張しながら)見ていくと、どうもそういう映画ではないらしい。主人公はしがないビデオカメラマンで、小さな仕事をこなしながら、自分でもさまざまな映像を撮って、自分の部屋で編集して楽しんでいる。そしてある事件がきっかけで、ほんとうの恐怖とは何か、という問題にとりつかれ、都会の地下深く降りていく。主人公が「真の恐怖とは…」とぶつぶつ言いながらうろつくのを見ているのだから、こちらはあんまり怖くない。なんか抽象的なテーマを追う映画なのかなあ、と思っていると、地下深く囚われていたのは…。
 これ以上内容を紹介するのは控えたいが、死んだはずの人間が出てきたりするのだから、どっちみち妄想の世界に違いない。こちらもそれを承知で、あらぬ世界の中をどこまで連れていってくれるのか、という覚悟で見ていると、ちょっとしたところで、現実との接点を示唆される。「えっ! ちょっと待って。そういうことなの?」そのザワザワっとした感じ。まったくの非現実の世界と思っていたら、じつは現実にある事件が進行していて、それを主人公が壮大な妄想の世界に組み立てていたらしい。「真の恐怖」に備えて真剣に見ていたら、思わぬところから生暖かい風が来たような…。これが作り手側の意図したことだったろうか。新しいホラーの試みを、私は正しく受け止めているだろうか。
 ぼんやりと映る人影など、これまでのホラー映画にあるような場面もところどころある。しかしそれはいわば「引用」のように扱われていて、ホラーはもっと先まで行っているんだという宣言のようにも見える。それから、これはもう小中さんのホームページ(というよりも、近刊の小中さんの本のカバー)に出ているから書いてよいと思うが、物言わぬ少女の裸身、というより、青白くすらりと伸びた脚の印象が強烈だ。そして、「うっ、ここまでやるの」という、その少女への主人公の献身ぶり。公開になったら、「ホラー番長」全4本を見て、日本のホラー映画の行方を見定めたい(公開は10月16日から渋谷ユーロスペースにて)。
2004年9月10日
  西川栄明さんの『手づくりの木の道具 木のおもちゃ』に登場する作家さんの作品が展示されているというので、新宿伊勢丹で開かれた「手の仕事 モダン・クラフト展」に行ってきた。落ち着いた雰囲気の会場には、金属器や陶器も並べられていたが、やはり木の作品に惹かれる。それも、木を材料にした絵画や飾り物ではなく、手にとって確かめられる道具が楽しい。
  まず木の葉の器の臼田健二さんにご挨拶。じつはこの展示会のことは臼田さんに知らせていただいたのだった。作品を手に取ると、思っていたよりも重く、ずっしりた感じ。写真で見るよりも中央のへこみが深い。木の葉の葉脈ごとに濃淡のグラデーションになっていて美しい。ほんとうはそれが理想の姿だが、なかなか思うような材料が手に入らないとおっしゃっていた。これは飾るのが目的の器とのことだが、いつまでも手触りと重量感を楽しんでいたい。
  次に「組子の木のあかり」の林久雄さんにご挨拶。なんとか現物を見たいと思っていた作品が並んでいて感激。組子のスタンドも見事だが、床や壁に映された光の模様の美しいこと。そして、本の中で「モアレ状の光と陰影のバランス」と書かれていた意味がよくわからなかったのだが、林さんの説明でわかった。組子のスタンドは中が空洞になっているので、こちら側の側面と向こう側の側面の組子どうしがモアレを作る。それがこちらの視点の移動にともなってさまざまに変化するのだ! これには驚いた。こんなあかりを一つでも家に置いておけたら…。
  ご本人は見えていなかったが、木箱と茶筒の丹野則雄さんの作品も手に取る。丹野さんの留め具のすばらしさを西川さんに聞いていたので、さっそく試してみる。写真ホルダー、ようじホルダーなど、わずかな力でカチッと留め具がはずれる。その感触がたまらない。本にはなかった木の鞄も展示されていて、丈夫そうなのに拍子抜けするほど軽い。その留め具もまたわずかなタッチでカチッ。
  みなさん作品の横に『手づくりの木の道具 木のおもちゃ』を置いていてくれたのはうれしかった。作品はどれもひとつひとつの手づくりだから、ポケットマネーで衝動買いできる値段でないのが残念。これら以外では、木の鳥や狐を支えるモビール(やじろべえ)が面白かった。ちょっと触れるとゆらゆらいつまでも動いている。そういえば今回はおもちゃがなかったから、機会があれば木のおもちゃにもぜひさわってみたい。
2004年8月25日
 学生時代にヨーロッパを旅行し、アテネに立ち寄ったことがある。パルテノン神殿のライトアップ、その近くの地下の劇場で芝居をやっていたこと、大きなスイカなどを覚えているが、7月のアテネは暑くて乾燥し、ほこりっぽかった。ホテルから周囲を見渡すと、あちこちに丘が見えたから、アップダウンが多いのも当然だ。そんなところでのマラソンはほんとうにきつかったと思う。優勝はもちろん、日本人3選手の健闘をたたえたい。
 オリンピックの前から、アジア選手権など毎日のようにサッカーを見ていたから、どうしてもサッカーが気になっていた。蓋を開けてみると、男子日本代表の結果はちょっとショックだった。日本の力はこんなものなのか。たとえばイタリア戦では、イタリアは数少ないチャンスを、攻撃人数が少なくてもなんとか決めてしまう。一方、日本は、ショートコーナーでボールを中央に送りだし、駆け込んだ選手がシュートするというおあつらえの場面でも、なぜかボールがゴールのはるか上に浮いてしまう。いったいどんなボールならゴールの枠に行くのか。ほかにもいろいろあるが、なんだか日本の選手が幼く見えて、世界との差はなかなか縮まらないな、と気落ちしてしまったのだ。
 それに対して女子代表の初戦はおもしろかった。オリンピック予選の北朝鮮戦はただ夢中になっていたが、今回のスウェーデン戦はゆっくり観戦できた。トラップ、パス、ドリブルなどの基本的な技術がしっかりできていること(こんなことを言って失礼!)や、攻撃もきちんと組み立てられていることがわかって、女子サッカーのイメージがかなりアップした。川上選手がサイドを駆け上がる姿などほれぼれする。
 スウェーデン戦に勝ったのはよかったのだが、ちょっと気になることがあった。みなボールコントロールに自信があるのか、相手選手が寄ってきてもぎりぎりまでボールを持っていてそれからパスを出す。上手なのはわかるけれど、もっとゆとりを持ってプレーした方がよいのではないかと冷や冷やしていた。それ以降の戦いでは、それが裏目に出たと思う。ナイジェリアの選手はスピードがあり、こちらがこれぐらいで充分と思っているボールに追いつき、ことごとく奪っていった。また決勝トーナメントでも、アメリカの選手はボールへの執着を見せ、ぎりぎりのところをあと一歩踏み込んでボールを取った。このあたりは今後の課題ではないか、というのが私の素人判断だ。
 それにしても女子サッカーは見ていて楽しい。個々の選手のプレーがよくわかる。いやなファウルでプレーがとぎれないのもよい。というようなことは、じつは大住良之さん・大原智子さんの『がんばれ!女子サッカー』にも書かれていた。大住さんの言う「優雅で芸術的、機知に富んだ」サッカーを、これからの女子サッカーに期待しよう。

 試合とはちょっと関係ないことだが、今回のオリンピックは選手の家族がよく登場するなあと思う。いつもこんなものだっただろうか。柔道などでは、試合会場に両親・兄弟が来ていて、試合のあとマスコミのインタビューににこやかに答えている。競技によっては、高校野球の母校紹介などのように、試合にいたるまでの選手の努力、家族の協力ぶりなどが放映される。ほほえましいような気もするが、私が選手だったら(というのも無理な仮定だが)、親などに出てきてほしくないと思うだろう。どんなに協力してもらっていても、私一人の問題だ、という顔をしていたい。時代が変わってきたんだなあ。
2004年8月4日
 社内のグループで韓国に旅行した。行ったのはソウルとその周辺。便利がよいので、羽田からの便を利用した。待ち合わせの空港ロビーでは、みな首からデジカメをぶら下げて、しばしデジカメ談義となった。うれしいことに、何人かの人が鐸木能光さんの『デジカメ写真は撮ったまま使うな!』を読んでいて、この本を参考にデジカメを買ったばかりという人もいたし、なかには本を持ってきている人もいた。この本はデジカメならではの写真の撮り方と、撮ったあとの処理について書かれたものだが、さっそく世の役に立っているようだ。
  かく言う私はデジカメ購入が間に合わず、15年以上使っているコンパクトカメラを持参。前日フィルムを買いに近くのスーパーに行ったらもう置いていないし、カメラ屋に行っても種類がぐっと少なくなっているようだ。このカメラはいつまで使えるだろうかと思ってしまう。デジカメ組は行く先々で惜しげもなく写真を撮る。こちらはコンパクトといいながら、デジカメに比べるとやはりかさばるから、撮るときによっこらしょ、という感じになる。名所旧跡を訪ねているときも、あと何枚撮ったらフィルム1本、などと計算しながら撮っているありさま。これは勝負になりませんね。
  「B級グルメツアー」というのが趣旨のツアーだったから、あちこちの食を堪能した。高級焼肉店での肉の食べ放題、南大門の市場での朝食、魚市場での海鮮料理など、コンダクターがいろいろ工夫してくれた店で、こんなに食べたのはいつ以来だろうか、というぐらい食べた。そんなに若いグループでもないのに、よくこれだけ食べると、店の人が驚いていたようだ。
  印象に残ったものの一つは、ソウル北方の統一展望台で見た南北の国境線。学生時代歌に聴いたイムジン河はこれだったのか(梅雨の頃で水は濁っていたが)。思っていたより川幅は広い。同じく学生時代にベルリンの壁を見たことがあるが、そのときの緊張感と比べると、どこかのどかな感じがする。しかし沿岸には延々と有刺鉄線が張られている。やはりここは厳しい国境線なのだ。
  もう一つ感心したのは、ソウル市内の本屋さん。かなり大きな本屋さんだったが、そこに雑誌『世界』はもとより、岩波書店のいくつかの本、そして岩波文庫がきちんと並べられていた。文庫は日本の書店と比べてもかなりの充実ぶりだ。これには勇気づけられました。
2004年6月30日
 将棋の本を作ると聞いて、私も話に加わらせてもらった。息子に将棋をやろうと言われていながら、なんとなく敬遠していたのは、駒の動きはわかっていても、まずどこから指し始めればよいのか、何を考え方の基本として進めていけばいいのか、皆目見当がつかなかったからだ。そんな疑問点を著者の先崎学さんにお話して、参考にしていただければと思ったのだ。
  本を作っていく過程で、初心者の基本として、棒銀戦法というのを教えていただいた。これはしめしめ、と思ってさっそく息子と指してみた。彼は学校で指す機会があるようだったが、指し方がわからないというので、それでは少し教えてあげよう、ということでやってみたら負けてしまった。うろ覚えの棒銀戦法で手順を間違えてしまったこともあるが、彼は実戦慣れしていて、「指し方がわからない」のレベルが私とは違っていたようだ。その後も数回しか勝てないでいる(こんなはずでは…)。
  本に楽しい話も入れようということで、あれこれ話をしてもらっているとき、担当者が「運というのはありますか?」と聞いた。先崎さんは、「運ねえ…」「運てなんだろう」としばらく考えていて、これはむずかしい質問だったのかな、と思った頃、次のようなことを話してくれた(本にくわしく載っています)。
  将棋というのは麻雀などとは違って、手の内が相手にすべて見えている。だから偶然というものはない。きちんと考えていけばすべて読み切れるはずだ。しかし時間の制約のなかで、どうしても読み切れない、あとから考えても、やはりあのとき読み切れないのは無理もないなあ、と思えるときがある。それを運と呼ぼう、ということではないか。若いうちは運なんてない、すべて読み切ってやる、という意気込みで指しているが、歳をとってくると(先崎さんはまだ充分お若いと思うが)、根気がなくなってきて、まあ運だからしょうがない、と自分をなぐさめることになる。いってみれば、棋士の精神衛生のために運があるということでしょうね。
  これはたいへん見事な答だと思う。私はすっかり感心してしまった。このほかいろいろな質問にしなやかに答えていただいて、『やりなおしの将棋』に入っている。私はもう先崎さんを尊敬するばかりで、ファンになってしまった。以来、日曜日のテレビ将棋は欠かさず見て、先崎さんが出れば応援している(先日も妙手で勝ちを収めた)。おかげで、午前は将棋、午後は囲碁というテレビ漬けの日曜日になってしまった。
  本のできは大満足。私のような中途半端な初心者にはもってこいの内容だと思う。要所要所の勘所がじつにわかりやすく書かれていて、おそらくある程度指せる人にとっても、おおいに参考になるに違いない。本ができたらきちんと読んで息子に勝ってやろうと思うのだが、自信はない。だって彼こそまっ先にこの本を読むだろうから。
2004年6月8日
 私が大学を卒業する頃は、もちろん今ほど就職状況が厳しくはなかった。それでも卒業まで人より時間がかかり、やや歳を食っていたうえ、文学部卒業でなんの取り柄もなかったから、就職活動は真剣だった。公務員試験や教職試験も受けたし、会社訪問も十数社をこなした。そのなかからやっと、あるメーカーの採用が内定し、ほっとしたことを忘れられない。
  入社したら、営業をすることになるだろうと思っていた。足を棒にして歩き回る、飛び込みで製品を売り込む、必要なら早朝でも深夜でも顧客のところに行く。そんな生活をするのだと覚悟していた。気が弱くて、とりわけ初対面の人と話すのが苦手な自分に務まるか、と心配もしたが、とにかく食べていかなくてはならない。
  その会社では、内定した学生が逃げないようにということなのか、内定者を集めて会議を開いた。感じとしては壮行会のようなものだ。じつはその雰囲気がなかなかよくて、これはまずまず悪くない会社に入ったな、と安心したものだ。そして終わった後、そこで知り合った将来の同僚何人かと麻雀をすることになった。私は弱いしそれほど好きでもなかったが、企業社会の洗礼と、つきあうことにした。やっていても少しも楽しくなく(まったく勝てないせいもあるが)、入社したらこんなつきあいもしなくてはならないのかと、それだけが気が重かった。
  その後まったく幸運にも、岩波書店での採用が決まった。そこで内定した会社の人事部長のところにお詫びに行った。どんなことを言われるかと思いきや、有望な人材(!)を採用できなくてほんとうに残念だ、という対応をされ、これは良い会社を逃してしまったか、とちょっぴり後ろ髪引かれる思いだった。そこに入社していても、それなりの人生を送れたのではないかと思っている。
  岩波書店に入社してからは、校正・製作・編集と、本を作る側の仕事ばかりしてきて、営業・宣伝など売る側の仕事につくことがなかった。そのことはちょっと残念に思っている。だからなかなか様子がわからないのだが、今回刊行した石井淳蔵さんの『営業が変わる』によれば、私の抱いていた営業のイメージも違ってきているようだ。多くの会社でいろいろな試みがされている。ノルマを課さない、売り込まない、そんな営業もあって面白い。これなら私でも務まりそうだ。あなたの会社ではどうですか?
2004年5月17日
 少し足を伸ばせばコートが安く借りられるということで、連休の渋滞にもめげず、家族でテニスにでかけた。日差しは強いが、じっとしていると風がやや冷たい感じの絶好のコンディション。少し手足の筋肉を伸ばし、3時間の予定ではりきって始めた。きちんと習ったことは一度もないので、フォームが悪いと息子に言われながら、粘って球を拾うのが身上と動き回って1時間半。ちょっと右足がつっぱるなあと思っていたら、ふくらはぎのあたりからブチッと音がして激痛が走った。肉離れだ!
 急いでクーラーボックスから保冷剤を取り出して冷やす。しょうがないのでその後は審判役などをしているうちに、すっかり風邪までひいてしまった。連休中は医者もお休み。症状は軽かったようで、湿布をして2,3日すごしていたらどんどんよくなり、多少不自由でも歩くことはできる。もう医者に行かなくてもいいかな、と思っていたが、癖になってもいけないのでと見てもらったら毎日通院することになってしまった(数日アルコールも抜きました)。準備運動が足りなかったかと反省もするが、それより「もっとやっておけば…」と後悔することがある。
 2月頃、担当者に『決定版 快適ウォーキング』の原稿を読ませてもらった。基本的なことがきちんと書かれ、目的に沿った歩き方を指南していることに刺激され、さっそく休みの日に試してみた。自転車で10分くらいの公園まで歩いていって公園を1周して帰るコース。しめて40分くらい。適度に汗をかいて気持ちがよい。次の日曜日にはまだ行ったことのないスーパーまで買い物を兼ねて往復1時間。また次の休日には区の中央図書館へ…。もうおわかりと思うが、歩くのに理由を付けている。純粋に歩こうとしていない。ちょっと恥ずかしいのだ。
 形から入るのがあたりまえのご時世。ウォーキングしている人はみなそれなりの格好をしている。しかし、そもそもスポーツのためのウェアなど(スキーウェア以外)持っていないから、私は普段着で歩く。どうも格好がつかない。かといってウェアを買うにもためらいがある。もともとスポーツ好きの人間としては、スポーツといえばサッカー、テニス、スキー、水泳…だと思いこんでいる。なんだか年相応になってしまうようで、「ウォーキングしています」とは人に言えない。(おかしなプライドです。ウォーキングはもちろん若い人もたくさんしています。)
 『決定版 快適ウォーキング』には筋肉を鍛えるための大股ウォーキングも紹介されている。本当はそれをやりたいのだが、人に隠れてこそこそやっていたから充分ではなかった。そのうちウォーキングの時間がなかなかとれなくなったままテニスに出かけたら、肉離れになってしまったという次第だ。人の目など気にしているとろくなことがない。

 5月になり暖かくなってきたということで、アクティブ新書はスポーツ特集になった。かといって油断してはいけない。つい先日も沢登りをしていた人が遭難してしまった。『中高年の安全登山入門』には、登山の基礎知識と安全の指針が書かれているので、初めての人はもちろん、久しぶりに登ってみるか、というような人も、出かける前にぜひ読んでいただきたい。また『スロースポーツに夢中!』では、それこそ変なプライドのない、がんばらないスポーツをたくさん紹介しているので、試してみてはいかが? アクティブ新書でいろいろ試してみたら、その体験を小社ホームページにお寄せください。面白い体験はアクティブ新書の「やってみました」のコーナーで紹介させていただきたいと思っています。
2004年4月30日
 わが家の洗濯機はよく故障した。買ってそれほど年数がたっているわけではないのに、もう何度か修理に来てもらった。使い方が悪いのか、家電製品には当たりはずれがあるというからそのせいなのか、と家で話していたら、そういうわけではなかった。
 どうやらわが家の洗濯機は脱水のときに霧を吹き付けて汚れを取るというタイプの初期のモデルで、いわば過渡期の製品ということになるのだろうか、いろいろ問題があったようだ。それで修理のときに部品を交換してくれたのだが、その部品の性能も充分ではなかった。今回は原因がはっきりして、きちんとした部品に交換したので、もう大丈夫です。修理に来た人がそう言っていたそうだ。だからいつも修理代はけっこうですということだった。
 それは良心的でけっこう、と言いたいところだが、原因がわかったところで公開して、すぐ修理してもらいたいものだ。今日の調子はどうだろうかとおそるおそる使っている身にもなってほしい。うちではしつこく何度でも修理していたが、いいかげんいやになって買い換えてしまう人もいるんじゃないだろうか。
 洗濯機は命に関わらないからまだしも、このところの「不祥事」の連続にはうんざりしてしまう。鳥インフルエンザをめぐる騒動、車の車輪の脱落事故、回転ドアによる死亡事故…。またぞろ隠したり、言い逃れしたりしてごまかそうとする。「清く正しく」なんて言わなくても、そういう対応が結局は企業にとって致命的な結果をもたらすことは、もう充分わかっているのに、と思うとやりきれない。
 『社会責任投資の基礎知識』のサブタイトルは「誠実な企業こそ成長する」だが、逆に言えば「不誠実な企業は破綻する」可能性もある。いまや、消費者の信用を一度失ったら取り返しがつかない。この本の趣旨は、消費者の側からすれば、誠実な経営をする企業が結局はリスクが少ないので、長期的な投資先として有望だ、ということにあるが、消費者の信頼を失わないためにはどうすべきか、経営者にはじっくり考えていただきたい。
 この本の著者がこれまで行ってきた企業調査をもとに、新しいSRI(社会責任投資)投資信託が設定されるそうだ。これからますます直接金融のパイプが太くなると言われる。企業は製品を通してだけでなく、資本の面からも消費者の評価にさらされている。
2004年4月1日
 学生の頃は時刻表をよく利用した。 帰省するとき、新幹線ではなく、あえて各駅停車に乗ったこともある。 途中何度か乗り換えなくてはならないので、どうしても時刻表で確認しなくてはならない。 また、長い休みの間に、一人でリュックをしょってあちこち放浪(というほどでもないが)した。 単調な風景が続く北海道の原野。 ある駅で、ふと降りたくなって時刻表を確認。 次の列車まで2時間、そのあたりをのんびり歩き回った。 なんとも贅沢な時間の使い方だった。 まだ蒸気機関車が走っていた頃で、夜の安宿、その音を聞きながら眠りについた。
 学生時代に一度ヨーロッパを旅行したことがあって、それもホテルと飛行機以外は行き当たりばったり。 どんな時刻表を見ていたのだったか、ユーレイルパスで思いついたところにでかけていた。 ロンドンの地下鉄で迷ったこともあったっけ。
 実際に行かなくても、時刻表は見ているだけで楽しいところがある。 さだかではないが、中学か高校のクラスメイトに、時刻表を毎月買っていた人がいたんじゃないか。 しかし、古い時刻表を集めている人がいるとは知らなかった。 『集める!―私のコレクション自慢』の著者の一人、曽我誉旨生さんは、世界各国の、しかも航空機なども含めて時刻表を収集している。 そしてそれらを丹念に見ていくと、太平洋戦争、ベトナム戦争…、それぞれの時代の政治情勢・軍事情勢などが色濃く反映し、時刻の表記の仕方や情報の量が変わっていく。 ここから厳しい歴史の動きが見て取れる。 まったく意外な発見で、これには感動してしまった。
 もう一つ、鐸木能光さんの狛犬のコレクションも紹介しておこう。 持って帰るわけにはいかないから、これはもっぱら写真に撮ってくるわけだが、それぞれの狛犬にこんなに個性があるとは、ほとんどの人は驚くのではないだろうか。 これまで無意識にたくさんの狛犬を見たと思うが、惜しいことをしていたものだ。 正月、近所の氷川神社に初詣に行ったとき、さっそく狛犬に注目したら、2対いた。 1対は比較的大きく、大正7年1月の製作。 左の狛犬は球とじゃれており、右の狛犬は子連れだった。
 もう1対はそれらより二まわりも小さく、目立たないところで向きあって立っている。 製作はなんと天明7年(1787年)。 練馬区の有形文化財とあった。 なんだか貴重なものを見たようで、得した気になってしまった。
 この本では、ちょっと風変わりなコレクションから、旅先で気軽に手に入れられるものまで楽しめる。 自分で買わないまでも、あちこち出かけたときにちょっと気にしてみようと思っている。
2004年3月15日
 『ホラー映画の魅力』を書いていただいた小中千昭さんが構成・脚本を担当しているというので、ドラマ「エコエコアザラク〜眼〜」を見ている。 毎週火曜日の夜1時からなので、きちんと見続けるのはたいへんだが、これがじつにおもしろい。 小中さんによれば「ネオ・ゴシック・ホラー」というのだそうだが、怖くはない、むしろ毎回見終わって爽快感がある。 どこがそんなにおもしろいのか、それをどう表現したらよいのかよくわからない。 でも言わずにおれないので、断片的にでも試みてみたい。
 ある呪われた町がある。 過去に無残な死に方をした人の亡霊や怨霊、恨みなどがうごめいている。 現在苦悩にあえいでいる人の呪いや悪意も跋扈している。 そこでさまざまな事件(殺人、自殺など)が起こり、魔女である女子高生黒井ミサがそれを解決する。 解決というのは、呪いに取り付かれた人を呪いから解放するとか、さまよう亡霊をあの世(?)に送るとかということだが、この主人公が事件を次々と解決していく、というのではない。 それはできない。 たまたま遭遇した事件には対処する(失敗もある)としても、知らないところでいろいろ事件が起こり、事態は深刻になっていく。
 下手な紹介だが、まず第一に、ストーリーが単線的に進まない。 話があちこちで少しずつ進行する。 だから1回のドラマの中に、意味ありげなシーン、「あれ、どうなるのかな?」と思わせるシーンがいくつか出てくる。 しかしそれらはたいていそのままほうっておかれる。 何回か後になって、それらのシーンがミサと関わってくることもあれば、そのまま別の話に展開していくこともある。 そしてたまたま目の前に現れた霊とだけ、魔女として戦うのだ。
 だからなかなか物語の全貌がつかめず、1回のドラマを見終わっても、どこかひっかかったまま残るものがある。 しかしそれで逆に「世界ってそうなっているよなあ」と妙に納得し、安心してしまう。 一つの事件が起き、それを解決すると、また次の事件が起き…、そんなストーリーにリアリティを感じられなくなっているのだ。
 それと関係して、ミサの位置がきわめて不安定だ。 世のため人のため、事件を次々と解決していくというのではまったくない。 むしろ自分自身、記憶を失い、存在の不安を抱えていて、そっちのほうが大事だったりする。 主人公がほとんど何もしない回もある。 魔女にだって自分の問題がある、他人のことばかりにかまっていられない。
 タイトルにあるように、このドラマの主要なテーマは視ること・視られること、つまり視線にある。 視線については女性のほうが敏感なのではないかと思うが、ドラマの中で活躍するのも女性たちだ。 周囲の視線に怯える人、ひとに見えないものが見えてしまう人、視線を武器に人を支配する人…。 視る・視られるというのは相互的な関係だ。 視る加害者の立場にいた人物が、いつの間にか視られる被害者になっている。 逆に視られる恐怖に怯えていた人が、視る側になり、それを武器に視られる仕事を選んでいく。 現代は、個人が過剰に視線にさらされている時代だ。 また加害・被害をはっきり区分できない事態も目の当たりにしている。 月並みな言い方だが、その不安・息苦しさがたいへんよく描かれていると思う。
 主な舞台の一つに、その町の高校がある。 男子は陰が薄くて女子が中心。 見ていると、現代の女子高生の習俗がよくわかって興味深い。 それと同時に、なかなかたいへんなものだな、とも思ってしまう。 「視線」にもつながるが、「友達」とのつきあいに妙に繊細な神経を使っている。 できるだけ無事に関係が続くように配慮し、深刻な相談はしない。 関係が疎遠になり、ひとりになってしまうことを怖れる。そんなことまで描かれている。
 主人公の少女が魅力的なことも正直に加えておこう。 ただ、魔女でいるときよりも普通の高校生に戻ったときのほうが、ずっとすてきだった。
 ストーリーとは別に、このドラマでは1回1回さまざまな実験をしていて、これがまた一つの楽しみでもある。 昔の無声映画の活弁スタイルを模してみたり、脚本のト書きを挿入してみたり、ナレーションを入れてみたり、『ホラー映画の魅力』にある疑似ドキュメンタリももちろんある。 これらの試みを違和感なく楽しめるのは、舞台である町の雰囲気と、複線的に事態が進行する様子がしっかり描かれ、視聴者が共有できるからだろう。 どこまでが新しい試みなのか、私にはよくわからないが、ここでなされた実験は、これからのドラマ作りに影響していくのではないかと思わせる。
 ここまで書いても、まだ何か言い足りない気がする。 放映はもう10回まで来ているが、いずれ終わったら(終わってほしくないのだが)、いずれDVDやビデオが出るだろうから、今回見逃した方はそれでご覧になることをお勧めする。 私ももう一度見たいと思っている。
 それにしても、いかに現代の女子高生とはいえ、主人公のスカートの丈はもう少し長くならないのか。 私の視線はいつもうろたえてしまう。
2004年1月21日
 ブームで思いだすのはヨーヨー。もう7,8年前になるだろうか。 小学生だった息子が急にヨーヨーをやりだしたので、そんなものが流行っているのかと思っているうちに、次々と新製品が登場する。 「ハイパーなんとか」「なんとかファイア」「なんとかスティール」……。 基本は透明なプラスチック製なのだが、色がいろいろあって、もちろん機能も少しずつ異なる。 ブランコのようなことをしたり、地面を這ったりと、ヨーヨーによってできる技が違うようだ。
 バンダイの製品だったが、どうもアメリカ製らしい。 いつも品薄状態で、何月何日どこどこのデパートで発売、というので、2時間前ぐらいに出かけると、すでに長蛇の列。 まだ学校が週休2日になる前のことで、土曜日ともなれば、立派なお父さん、お母さんが行儀正しく並んでいる。 「ハイパーなんとか」は黒がいい、「なんとかファイア」は赤、と、細かな指示があって、手にはいるかどうかどきどきしながら待ったのだ。 会社の帰りにデパートに寄って、今度はいつ入荷するか確認することまでした。こんなことを何度くりかえしたことか!
 最初はヨーヨーの使い方がまったくわかっていなかったくせに、得意げにいろいろな技を見せてくれるようになった。 それがいつの間にかぱったりなくなってしまった。 苦労して手に入れたヨーヨーはどこにしまいこまれたのか。 この時期小学生の子どもがいなければ、ヨーヨーがブームになっていることなど知りもしなかっただろう。 『ブームはどう始まりどう終わるのか』で指摘されているように、このころからすでにブームはこぢんまりとしていたようだ。
 それと前後して、ミニ四駆のブームもあった。 もっと以前にもブームがあったから、これは何度目かのブームということになるだろう。 軽量化のために車体を削ったり、パーツを買って丈夫にしたりと、熱心にやっていた。 それも今はしまいこまれたまま。 なんだか見事にブームに乗ってきてしまったなあ。

 遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。岩波アクティブ新書も3年目を迎えました。 ねらってブームを仕掛けることはできないとしても、話題になる本をひきつづき刊行してまいりたいと思います。 今年もよろしく。
【桑原正雄】



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