| その後暫くは文庫には禁止はなかった.昭和12年9月にジイドの「ソヴェト旅行記」が削除を命ぜられた.180-184頁である.ここで又削除の話をすれば長くなるが,削除には,小売店頭からその箇所丈だけ直に切り取られてゆくのと,次版削除と2つある.後には巡査が直接に切り取る代りに発行者に責任を負わされた.その場合は,命 |
| 令の日から2日位の余裕をもって,一,何年何月何日までに削除完了すべきこと.一,右期日後削除漏のもの御発見の際には如何様の御処分に相成るとも異議なきこと.一,削除したるものには「削除済」の印を押捺すること.一,削除したる部分は所轄○○署に提出すること.一,本件削除の事実に付ては広告其の他の方法に依りて宣伝せざること.一,削除したるものを更に納本すること.という「請書」を提出させられるのである.昭和13年11月には,田山花袋の「蒲団・一兵卒」が87頁,5-9行,94頁4行から95頁5行迄までを次版で削除せよと命ぜられた.ジイドの「ソヴェト旅行記」は外国事情に関し,花袋の「蒲団」は軍人侮辱の為で,共に非常時を反映している.翌12月「アミエルの日記 六」が「日本のミカドの勅書」(197頁)の字句によって次版削除を命ぜられた.昭和14年1月には,芥川の「侏儒の言葉」が軍人侮辱で次版改訂.4月に,武者小路の「その妹」が13-16頁,118頁を削除.これは癈兵が問題になった.同月蘆花の「自然と人生」の口絵写真版と124-125頁の「国家と個人」を削除.6月に「ボヴァリー夫人 上下」の削除並びに次版改訂を命ぜられた.16年3月7日に「資本蓄積再論」と「暴力論 上」が昭和15年9月10日の大禁止の漏れとして禁止された以後は,その事なく終戦となり,新憲法下では又自ずと情勢は別になって検閲もなければ発売禁止は全くない立前である. |

『アミエルの日記(六)』197頁 |
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 『資本蓄積再論』 |
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(岩波書店『文庫』第1-4号,第6号,1951年,所収) 「岩波文庫略史」完結 |