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1月16日


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 「電子書籍版岩波文庫」好評配信中です。くわしくは》》
   
 森繁久彌さんが主演し、1967年から通算900回公演という超ロングランを記録したミュージカル、「屋根の上のヴァイオリン弾き」。2004年からは市村正親さんが主人公テヴィエを演じています。2009年公演に続き、2013年3月に公演が決定しました。「屋根の上のヴァイオリン弾き」
の題名は有名ですが、その原作『牛乳屋テヴィエ』が岩波文庫でお読みいただけることはご存知ですか? 是非この機会に、原作に触れてみてください。
ミュージカル屋根の上のヴァイオリン弾き
(2012.10.25)


   
 恒例の「読みやすくなった岩波文庫重版(改版)」。今回は3点10冊です。
(2012.12.10)


   
 恒例の「他では読めない 岩波文庫秋の一括重版」19点20冊です。
(2012.9.24)


   
 2013年の「'13年〈春〉 岩波文庫リクエスト復刊」37点40冊の書目が決定しました。2013年2月20日出庫、全国の協力書店にてお求め頂けます。
(2012.12.17)


 現在第4巻まで好評刊行中のプルースト『失われた時を求めて』(全14冊)。訳者の吉川一義先生とともに『失われた時を求めて』を読む講座、今年も朝日カルチャーセンター新宿教室で開かれます。今回は、第4巻「花咲く乙女たちのかげにII」を取り上げます。詳しくは、下記HPをご覧下さい。http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=186096&userflg=0
   

1月の新刊

万葉集(一) 佐竹 昭広,山田 英雄,
工藤 力男,大谷 雅夫,
山崎 福之 【校注】
自選 谷川俊太郎詩集 谷川 俊太郎
対訳 シェリー詩集 ―― イギリス詩人選9 アルヴィ宮本なほ子 編
ある老学徒の手記 鳥居 龍蔵
 

万葉集(一) 
  佐竹 昭広,山田 英雄,工藤 力男,大谷 雅夫,
山崎 福之 【校注】
   あけましておめでとうございます。新年にふさわしく、今月は、『万葉集』(一)を刊行いたします。
 岩波文庫でこれまで刊行してきた『万葉集』は、佐佐木信綱氏の編集になるもので、文庫創刊から2カ月後の1927年の9月に上巻、翌月に下巻を刊行し、その後1939年に改版を行い、戦後の1954年にさらに改訂を加えたものでした。難解な万葉仮名の原文を、当時通行の漢字仮名交じり文で誰にでも読めるように記し、文庫本二冊に収めた画期的な同書は、第二次大戦中戦場に携行した兵士もいたという伝説の書です。86年の長きにわたって愛読されましたこと、読者のみなさまに心より御礼申し上げます。とはいえ、戦後の改版後も半世紀以上変わらぬスタイルで刊行してきた『新訂新訓 万葉集』には、長歌を含む4500余首の歌が2冊に収められていることもあって、現代語訳や訳注を(もっと)付けてほしいという声もたびたび寄せられてきました。
 そうした経緯があって編集部では、「新日本古典文学大系」で『萬葉集』(全4冊・別巻1)の編集を中心になって進めた佐竹昭広氏に、新古典版を文庫用に改める作業をお願いしました。残念ながら佐竹氏は2008年に亡くなりましたが、工藤・大谷・山崎の三氏が作業を引き継いで、このたび、第一冊をお届けする運びとなりました。
 文庫版『万葉集』は、右頁に歌を載せ、左頁に現代語訳と注解を対応させた形を取り、注解は、語釈や文法の説明、古来の論点への解説をも盛り込んで、歌の意味のとりやすい文章としました。万葉集全20巻4500余首の歌を5冊に収め、第1分冊には、巻1から4までのおよそ800首を掲載しています。いわゆる万葉仮名の漢字ばかりの原文は、『原文 万葉集』(上下)として別途刊行いたします。

ところで、「万葉集」と聞いて想起される歌にはどんなものがあるのでしょうか。編集部でいま聞いてみたところ、

  籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち
  この岡に 菜摘ます児  家告らな 名告らさね・・・
(1番、雄略天皇)
  熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ
 今は漕ぎ出でな
(8番、額田王)
  あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや
 君が袖振る
(20番、額田王)
  東の野にかぎろひの立つ見えて
 かへり見すれば月かたぶきぬ
(48番、柿本人麻呂)
  天の海に雲の波立ち月の船星の林に
 漕ぎ隠る見ゆ
(1068番、柿本人麻呂)

などが上がりました。何も思い浮かばないという人もある一方、投身した伝説の美女「真間の手児名」を悲しむ歌(431-433、1807-8番)、大伴家持の「鰻」の歌(3853-4番)をあげる通な好みもありました。巻頭歌が好きだという声はよく聞きますが、上記の歌がほぼ第1巻に収められた歌なのは、偶然でしょうか。また教科書で習う歌もいつまでも記憶に残るようです。読者のみなさんは、どんな歌を思い出されますか?

 ちなみに、人麻呂の「ひむがしの」の歌、上に掲げたのは江戸時代の賀茂真淵による訓みで、今回の文庫では「東の野らにけぶりの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」と改訓されています。そのいきさつは大谷雅夫氏の解説に詳しく書かれていますので、どうかご参照ください。

 なお第2分冊は、本年半ばの刊行を予定しております。
   
自選 谷川俊太郎詩集
   現代日本でもっとも有名な詩人の、自選詩集の決定版を刊行いたします。
 詩人「谷川俊太郎」の名前は、小学生の低学年でも知っている――よく小学校の廊下などに、「今週の詩」などといって貼りだされていますので――という点から考えると、作家や歌人などをふくめても、おそらくは日本でもっとも知名度の高い書き手でしょうから、その意味で、谷川さんはもはや「国民的」詩人といっていいでしょう(また谷川さんの詩は、英語、フランス語、ドイツ語、スロバキア語、デンマーク語、中国語、モンゴル語などにも訳されていて、谷川ファンは世界中に散らばっています)。
 今回この一冊に収録したのは、谷川さんご自身が精選された173篇の詩です。谷川さんの「まえがき」にあるように、谷川さんは17歳頃から詩を書き始められ、もう60年以上詩を書きつづけてこられました。その60年以上におよぶ谷川さんの詩作の軌跡がたどれるように、本書では、1952年刊行の『二十億光年の孤独』から、『トロムソコラージュ』『詩の本』『子どもたちの遺言』などといった2009年に刊行された詩集までを(一部の例外をのぞいて)刊行年順に配列いたしました。収録作品も、子どもが読んで楽しめるもの(「かえる」「かっぱ」「おならうた」など)から、実験的なもの(「今日のアドリブ」「日本語のカタログ」など)まで、幅広く収録されていますので、この一冊で、詩人谷川俊太郎のエッセンスを掴みとれるようになっています。
 巻末の「解説」と「谷川俊太郎年譜」は、谷川作品の理解の深さとそのあたたかい人間性に、谷川さんが最大の信頼をおいている山田馨さんにお願いしました。谷川俊太郎という人と作品を知り尽くしているからこそ書ける文章で、ところどころ谷川さんのプライベートが暴露されていてヒヤッとしますが(だからこそ?)抜群に面白い解説です。谷川さんの文庫版詩集に入っているさまざまの解説のなかでも、最高のものといってよいでしょう。
 あとは多言は無用。どうぞ、谷川さんの、リズム感あふれることばの宇宙に遊んでみてください。
   
対訳 シェリー詩集 ―― イギリス詩人選9 アルヴィ宮本なほ子 編
   岩波文庫ではこれまで「対訳イギリス詩人選」のシリーズを9冊刊行してきましたが、このたびいよいよ『対訳シェリー詩集』が加わります。全10冊のラインナップは次のようになっています。①柴田稔彦編『対訳シェイクスピア詩集』、②湯浅信之編『対訳ジョン・ダン詩集』、③山内久明編『対訳ワーズワス詩集』、④松島正一編『対訳ブレイク詩集』、⑤西前美巳編『対訳テニスン詩集』、⑥富士川義之編『対訳ブラウニング詩集』、⑦上島建吉編『対訳コウルリッジ詩集』、⑧笠原順路編『対訳バイロン詩集』、⑨アルヴィ宮本なほ子編『対訳シェリー詩集』、⑩宮崎雄行編『対訳キーツ詩集』
 この対訳シリーズでは、それぞれの詩人の代表作が選ばれ、詩の原文と訳詩とが見開きになっていて、対照しながら読めるようになっています。要を得た脚注と解説も付されており、入門書としてはとても手頃な本です。文庫という小さなサイズの本に最大限の内容を盛り込んだ贅沢なつくりとなっていますが、それだけに編者の方々の苦労もひとしおです。ぜひ一度手に取ってご覧いただければと思います。 他にも姉妹編として「対訳アメリカ詩人選」があり、こちらは次の3冊が刊行されています。①加島祥造編『対訳ポー詩集』、②木島始編『対訳ホイットマン詩集』、③亀井俊介編『対訳ディキンソン詩集』。あと、アイルランドの詩人では、高松雄一編『対訳イェイツ詩集』があります。
 また、各国の対訳アンソロジー詩集には次の4冊があります。①平井正穂編『イギリス名詩選』、②亀井俊介・川本皓嗣編『アメリカ名詩選』、③生野幸吉・檜山哲彦編『ドイツ名詩選』、④安藤元雄・入沢康夫・渋沢孝輔編『フランス名詩選』。あわせてお読みいただければ幸いです。
 パーシー・ビッシュ・シェリー(1792‐1822)はイギリス・ロマン派を代表する詩人です。「西風へのオード」や「ひばり」といった詩を読んだことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。読んだことはないという方でも、《冬来たりなば春遠からじ》という言葉をどこかで耳にしたことはないでしょうか。じつはこの言葉はシェリーの「西風へのオード」の最終行に由来する言葉なのです。原文は“If Winter comes, can Spring be far behind ?”となっています。ハッチンソン(1880‐1971)という作家の小説にIf Winter comes(1921年)という作品があり、出版当時はベストセラーとしてとてもよく読まれたそうです。それで映画化されて日本でも公開されたのですが、どうやらそのときに《冬来たりなば春遠からじ》という言葉が広まったようなのです。誰がそのような日本語に訳したのかということについてはここでは厳密なことは述べられませんが、このどこかで聞いたことのある「名句」がシェリーの詩に由来するということだけはぜひご紹介しておきたく、ここに記させていただきました。収録作は次のようになっています。
   
  [1] ソネット――「知識」を積んだ気球に/[2] ワーズワスへ/[3] 『アラストー』より/[4] 理想美へ捧げる賛歌/[5] モンブラン/[6] オジマンディアス(1)シェリー作(2)ホラース・スミス作/[7] 綺麗に描かれたヴェールを上げないで/[8]『プロメテウス解縛』より/[9]『ジュリアンとマッダーロ』より/[10]『無秩序の仮装行列』より/ [11] 1819年のイングランド/[12] 西風へのオード/[13]『マライア・ギズボンへの手紙』より/[14] ひばりに/[15]『アトラスの魔女』より/[16] アラビアの歌にならいて/[17] インドの乙女の歌/インド風セレナード/[18]『エピサイキディオン』より/[19]『アドネイアス』より/[20] アッズィオーラ/[21]「今日ほころぶ花も」/[22] ――へ/[23]「ランプが砕けると」/[24]「濫用されすぎている一つの言葉」/[25] ジェーンに――いざない/[26] ジェーンに――思い出/[27] ジェーンに/[28]『生の勝利』より

   
ある老学徒の手記 鳥居 龍蔵
   現在では、「人類学」と言えば「文化人類学」のことを指すのが普通ですが、かつて人類学は未分化で、自然人類学と民族学を含み持ち、考古学とも重なり合っていました。そうした時代に盛んに現地調査を行った「空前絶後の探検型学者」(江上波夫)が鳥居龍蔵です。本書は最後の著作となった自伝です。
 鳥居龍蔵は明治3(1870)年、阿波国名東郡徳島船場町(現在の徳島市)に生まれました。鳥居家は町人で、阿波藩の煙草司をつとめた煙草の大問屋でした。裕福な家に育った鳥居龍蔵ですが、小学校に入学しても学校にはなじめませんでした。自ら関心を持った歴史・地理・博物学などの書物を自分で読み、学校の授業に興味を失って小学校に行くのを2年生でやめてしまいます。しかし、勉強がきらいで学校をやめたわけではない龍蔵は、そこから高等小学校・中学校の課程を独習します。自分の好奇心の赴くまま読書をし、特に考古学や人類学の文献には強く惹かれました。英語やドイツ語も学びますが、語学やさまざまな分野の文献に関して、徳島には教師となる人たちがいたことも明治初期のこの時代について強く印象に残ります。
 16歳で創立されたばかりの東京人類学会に入会し、帝国大学理科大学教授の坪井正五郎と文通を始めます。20歳になって徴兵検査がありましたが、輺重兵となり、抽選で入隊を免れます。これを機会に、龍蔵は修学のために上京します。東京でも活発に行動してたくさんの学者と知り合い、勉学に励みました。龍蔵が研究者の道に進むことを決めたため、後を継ぐものがいなくなった徳島の鳥居一家も思い切って煙草問屋をたたみ上京してきます。龍蔵は坪井正五郎のいる帝国大学理科大学人類学教室の標本整理係にしてもらいますが、月給は4円50銭の薄給。資産を売って上京してきた鳥居の父は人がよく、金を貸しては返してもらえず、おでんの屋台を引いて生活を支えようとしました。龍蔵も片手に洋書をもって読みながら、屋台を引いたということです。
 龍蔵は、言語学、社会学、民族学、歴史学などを帝国文科大学で聴講し、さらに地質学、動物学、古生物学、解剖学、発生学などを理科大学で聴講して人類学に必要な自然科学も学びました。また、将来のシベリアや北方大陸の研究のためにニコライ神学校の学生にロシア語も学びました。驚くほどの好奇心・向学心です。
 明治28(1895)年に東京人類学会から派遣されて遼東半島の調査をしたのを皮切りに、アジア各地の研究調査が始まります。満州、台湾、西南中国、北千島、蒙古、朝鮮、樺太、東部シベリアなどに赴きますが、当時の交通事情や不便さは現代とは比べものにはなりません。特に、妻・きみ子と生後70日の長女・幸子の3人で内蒙古から外蒙古を踏破する冒険行は危険極まりなく、現地の人たちの助けもあって窮地を乗り切ります。
 当時の環境や装備の水準では、すべて冒険のような調査にならざるをえなかったわけですが、これらの調査において龍蔵は次々と学問的な業績をあげました。龍蔵は研究調査をフランス語で論文にしました。そのため、パリ学士院からパルム・アカデミー勲章を贈られています。
 本書の記述は、昭和8(1933)年の蒙古の調査で終わっています。その後、龍蔵は南米ペルーの調査をしたり、昭和14(1939)年からは北京の燕京大学に招かれて客座教授になり、戦後の昭和26(1951)年になるまで日本に帰りませんでした。
 学校に頼らず自学自修した龍蔵は、学校について次のように述べました。
 「私の通っていた寺町小学校は平民の子弟のみで、殊に町人の子弟であるから大概家は裕福であった。士族の子弟は、その家の多くは家禄を失い困難していて、学校を卒業するや、師範学校、士官学校、海軍兵学校を志願するか、あるいは官庁に奉職するのが目的であった。私は町家に生れ、生活はあまり困難でなく、学校を卒業して以上の如き方向を取る必要もなく、学校は単に立身生活の保証のための所と考えたから、学校が一層いやになったのである」。
 裕福な環境にいたからこそのこととも言えるでしょうが、現代の学校の問題を衝いているとも言えるでしょう。この自伝の「結語」で龍蔵はこう述べています。
 「私は学校卒業証書や肩書で生活しない。私は私自身を作り出したので、私一個人は私のみである。私は自身を作り出さんとこれまで日夜苦心したのである。されば私は私自身で生き、私のシムボルは私である。のみならず私の学問も私の学問である」。
   
   

1月の重版再開

浄瑠璃素人講釈(全2冊) 杉山 其日庵/
内山 美樹子,桜井 弘 編
ゴーリキー短篇集 上田 進,横田 瑞穂 訳編
ヨオロッパの世紀末 吉田 健一

1月のワイド版文庫

今月の新刊  
蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他17篇 芥川竜之介



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