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恐慌論 宇野 弘蔵 著 |
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1. |
なぜお金持ちは益々お金持ちになり、貧乏人は貧乏のままなのか?
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2. |
企業はどのようなからくりで儲けているのか?
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3. |
なぜ、格差が生まれるのか?
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4. |
なぜ、働いても働いても、給料は上がらないのか? |
これらはすべて『資本論』の原理論で説明がつきます。そして本書が論じている「恐慌」が、資本主義社会に特有な、必然的なものであるということは、現在では周知の事実と言ってよいでしょう。しかし、稠密な理論構成が読者を圧倒する『資本論』をもってしても、その「恐慌」の必然性を反駁の余地なく論証する(体系的、かつ首尾一貫した理論的解明を与える)ことはなかったと言われています。本書『恐慌論』は、日本の代表的マルクス経済学者の宇野弘蔵(1897-1977)が、そうした課題にこたえて、『資本論』中の恐慌論を鋭く再構成することによってその完成をめざした名著です。
序論では、恐慌の必然性に論証を与えるうえで、方法上重要な問題の諸点が検討されます。そしてこの序論における検討を前提に、第1~4章を通じ、景気循環の一経過段階として反復される恐慌の必然性が明らかにされます。第5章では、恐慌現象の根拠をなす資本主義社会の根本的矛盾は、資本主義社会を他の社会形態に転化せしめる動力ともなるが、しかし、恐慌現象それ自身は、ただちに資本主義社会崩壊の必然性を表示するものではないことが論じられます。
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以下は、宇野経済学の流れをくむ、東京大学名誉教授の伊藤誠先生がご執筆くださいました「解説」の一部分を、編集部で再構成したものです。世界の金融・経済市場が混迷の淵にあるこの時代に、『恐慌論』をあらためて世に問う意義が伝わるでしょうか。――「2007年に浮上したアメリカ発のサブプライム金融危機が、またたくまに世界恐慌に拡大して、人びとの暮らしを直撃している。そして、この「サブプライム恐慌」も、労働力の商品化をさらに深化する労働力の金融化の無理とその発現をともないつつ、展開されているとみてよい。現代の世界恐慌もそうしてみると、たんなる財政金融政策の誤操作や強欲で節度やルールを守らない投機的資本家の罪を強調する論評はもとより、資本主義的貨幣・金融に内在的な投機的不安定性に由来するものとみなしたり、あるいはさらにその背後に産業企業の国際的競争激化による利潤率の低迷があるとする理解では、あきらかに不十分であり、労働力の商品化の無理を矛盾の根源とする資本蓄積の現代的動態にそくして、その基本問題を理解し、解明してゆかなければならない一面を有しているわけである。現代資本主義の考察基準としての本書の意義は、執筆当時に宇野がやや禁欲的に述べていたより、かえって増大してきているのではなかろうか。」
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リルケ詩集 高安 国世 訳 |
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1月にリルケの『ドゥイノの悲歌』(手塚富雄訳)の改版を刊行しましたが、これに続けて高安国世訳『リルケ詩集』を刊行いたします。高安先生(1913‐1984)は京都大学教授をつとめ、歌人としても知られた方です(岩波文庫にはリルケの『ロダン』等の翻訳があります)。
去る2008年の4月に茅野蕭々(1883‐1946)訳『リルケ詩抄』を〈緑帯〉で刊行しましたが、これはリルケが死んだ翌年の1927(昭和2)年に第一書房から出た、日本における最初のまとまったリルケの詩の翻訳でした。その収録作は『第一詩集』から『新詩集』までの詩に限られており、収録作のバランスが前期に偏っていることが際立っています。今となってはリルケの詩のアンソロジーにはあまり採られることがない『第一詩集』『旧詩集(初期詩集)』から多数訳出されているのが貴重です。
一方、高安訳『リルケ詩集』ですが、初期から最晩年まで幅広く作品を採っており、『ドゥイノの悲歌』と並ぶ大作『オルフォイスに寄せるソネット』を全訳していること、後期の詩の比重が大きいこと、晩年のフランス語で書かれた詩も数多く含まれていることが特筆されます。結果的に蕭々訳『リルケ詩抄』と補完し合う形となり、手塚訳『ドゥイノの悲歌』と合わせて、これでリルケの詩の主なものは岩波文庫で読むことが出来るようになりました。
リルケは詩を書くための〈孤独〉を確保するように努めていました。詩を書くことも詩を読むことも非日常的な行為ですが、私たち――とりわけ大人――はほとんどの時間を現実の生活に追われながらせわしなく過ごしています。リルケは幼年時代のような心持ちで世界と関わることを思い、言葉が詩として結晶する奇跡的な瞬間をじっと待ち続けます。これを〈霊感の訪れ〉と端的に言ってしまうのはいささか乱暴で、常に辛抱強く言葉を求め続け、詩を書くための〈態勢〉を整える地道な〈仕事〉の果てに実った果実がリルケの詩でした。初期の詩には次のようなものがあります。
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人生を理解しようとはしないがいい、
そのときそれは祝祭のようになる。
日々をただ過ぎゆくにまかせるがいい、
ちょうど子供が歩いて行くとき
風が吹いてくるたびごとに
たくさんの花びらをもらうように。
花を集めたり蓄えたりしようとは
子供はすこしも思いつかない。
髪にとまった花びらを子供はそっと払いおとす、
花びらはもっととまっていたそうなのに。
そうして子供は若い美しい年々へと
新しい花を求めて手を伸べて行く。 |
詩が〈わかる〉のは瞬間的なことだとつくづく思います。読み手であるこちら側の心境やら体調やら諸々の条件が作用して、ある瞬間に僥倖のようにある詩のある部分がものすごく〈わかった〉と思える瞬間が時としてあります。しかし、一度〈わかれ〉ば終わりということはあり得ず、〈わかった〉と思ったことがまた〈わからなく〉なります。素晴らしさがしみじみと〈わかった〉と思えた詩が、次にはまるで心に響いてこなくなる、上滑りして通り過ぎてしまう……。そもそも、ある詩の〈本当の姿〉とは何なのでしょうか。詩人が書いた手書きの原稿、活字化され印刷された文字、その文字の大きさ、書体、印刷される紙の質や状態や大きさ、そういった物理的な諸々の条件が変化するだけでも受け取り手の印象は変わってきます。しかも受け取り手だってさまざま、受け取り手が受け取る時々の状態もさまざまとなってくると……。そういう移ろいやすさや覚束なさを思うと、〈瞬間〉ということがことさらに強く意識されてきます。ここでリルケ晩年のフランス語の詩を1篇引用し、締め括りとさせて頂きます。
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すべてはすぎ去るものならば
すぎ去るかりそめの歌を作ろう。
わたしたちの渇きをしずめるものならば
わたしたちの存在のあかしともなろう。
わたしたちから去って行くものを
愛と巧みをこめてうたおう。
すみやかな別れより
わたしたちみずからがすみやかな存在となろう。 |
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根をもつこと(上) シモーヌ・ヴェイユ/冨原 眞弓 訳 |
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1909年2月3日、シモーヌ・ヴェイユはパリに生まれた。それから101年を経た今月、主著『根を持つこと』の上巻を岩波文庫で刊行します。
『根を持つこと』が書かれたのは、1942年末から43年春にかけてのロンドン。ユダヤ系のヴェイユは、リセの哲学教授という資格を持ちながらも、ヴィシー政権下のユダヤ人排斥法によって公職から遠ざけられ、ドイツ軍が無血入城したパリを逃れ、ヴィシー、マルセイユ、カサブランカを経てニューヨークに辿り着いていた。アメリカへの渡航が叶わず落命したユダヤ人が多数いるなかでの幸運な渡米だったが、ヴェイユには自分だけ安全な銃後にいることに納得できなかった。つてを頼ってロンドンに渡り、フランス本土への派遣という危険な任務を望んで、ド・ゴール将軍率いる「自由フランス」に加わった。
ヴェイユは祖国が至上の存在だと考えていたわけではない。むしろ本書で縷々述べられるように、〈国家〉としてのフランスは、歴史上往々にして人間の生をはぐくむ環境としての〈祖国〉の名に値しない存在であったと認識していた。だが、「究極の危機の瞬間に祖国はすべてを要請する。必要とあらば祖国にすべてを与える覚悟ができないなら、祖国を完全にみすてることになる」(本書226頁)。そして、今こそまさにその危機の瞬間であり、死に瀕する祖国をみすてることができぬと、「相対的で限界のある不完全な事象に対して絶対的な義務をはた」(228頁)すことを強く希望した。
意気込むヴェイユに与えられたのは前線での任務ではなく、文書起草委員という役割だった。わずかに見えてきた戦争終結の可能性、その後のフランス再建の指針を提言する任務である。公務の合間には、『根を持つこと』として死後上梓される文書をひたすら綴りつづけた。両者に共通する問題意識は、フランスはなぜかくも無残な敗北を喫したのか、危機に直面したフランスを守るためになぜフランス国民は立ち上がらなかったのか、フランスという地域において国と国民はいかなる関係を結び、「愛国心」という要素がいかに作用してきたのか、そして今後どうあるべきか、という問いだろう。本書ではそうした問いが3つの部に分けて述べられる。
第1部「魂の欲求」では、人間が生きていくために必要な魂の糧とはなにか、「秩序」から「真理」までの14項目にわたって検討される。第2部では、人間の最大の欲求である「根をもつこと」がいかに損なわれてきたか、その歴史的過程が、独特の文明観宗教観からたどられる。最後の第3部では「根づき」の可能性について。
前線への派遣は認めらなかったヴェイユだが、結局、本書が遺著となった。過去現在未来のフランスに内在する「不正・残虐さ・誤謬・虚言・犯罪・恥辱」にもかかわらず、過去現在未来のフランスに内在する「真正かつ純粋な偉大さ」(248-9頁)を愛したヴェイユは、存亡の危機にある祖国の弱さへの憐れみに、文字通りすべてを与えたのだった。
上巻には第二部までを収録、下巻は6月以降に刊行の予定です。
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聖なるもの オットー/久松 英二 訳 |
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昨年生誕140周年を迎えたドイツのプロテスタント神学者・宗教哲学者オットー(1869-1937)。その代表的著作『聖なるもの』を、読みやすい新訳でお届けいたします。
この本が20世紀を代表する宗教学の古典的名著として、1917年の初版以来今に至るまで版を重ね、キリスト教神学の宗派や分野の垣根を超えて読みつがれ、比較宗教学・宗教間対話の基礎的文献となり、さらには哲学・心理学・文学など多方面に影響をあたえたその理由は、まずタイトルが端的に表していると思います。
ただひとこと、「聖なるもの」。
添えられたサブタイトルは、「神的なものの観念における非合理的なもの、およびそれの合理的なものとの関係について」。
「宗教」と聞いたとき、何を思い浮かべるかは文化・世代・特定の信仰の有無によって異なるでしょうが、荘厳なイメージであれやや得体の知れない感じであれ、おおむね倫理的な教えの言葉、教典、儀式などではないでしょうか。それらは時間をかけて、信仰を伝えるため、守っていくために整えられ、構築されてきたものです。それを「合理的なもの」とオットーは呼びます。そして、こうしたものを通して宗教のすがたを見るとき、「同時に警戒しておくべきことがある」とも。
「それは、ある誤った一面的な捉え方に導いてしまうような一つの誤解に対してである。この誤解とは、さきに列挙した特性を表す用語、あるいはそのほかの似かよった合理的な諸表現で、神性の本質がすべて言い尽くされてしまっている、と思いこんでしまうことである。」「そのようなものが神についての考え方をあますところなく網羅するとは、とても言えない。なぜなら、それらが相手にしている対象は、まぎれもなく非合理的なものにほかならず、それ以上でもそれ以下でもないからである。」
「われわれは、敬虔な感情が強く掻き立てられているときのもっとも深い底の部分にあるもの、救いへの信仰や信頼感や愛といったものよりも深いところにあるものについて考えてみたい。それは、そういう付随的なものとは無関係に、ときとしてわれわれの内部でほとんど困惑させるほど激しく心情を揺り動かし、支配するようなものである。われわれが探究しようとしているのはこれである。」
信仰が生まれるとき、はじめにあるのは教義ではなく、心を揺り動かされる圧倒的経験です。言葉や概念はいつも後からおいかけてゆきます。類似のことは、現代の日常にもみられます。予期せずに抑えられない感情が湧きあがるとき、突然震えが来るようなとき、しばしば説明や解釈は追いつかず、表現しつくすことができません。
宗教が発展する過程で付け加わった倫理的解釈を取り去った、原初的な「聖なるもの」の経験に宗教の本質を見るオットーは、それを「神霊」を意味するラテン語の「ヌーメン」に拠って「ヌミノーゼ」と名付けます。それは感得しえても言葉で表したり概念で把握することのできない「非合理的なもの」です。撥ねつけると同時に惹きつけ、戦慄と同時に魅惑であるような、「対照的なものの調和」であるその力について、オットーはまず聖書や宗教的・文学的テキストの事例研究を含めて現象学的考察を展開します。東洋の宗教に造詣深く、日本にも滞在したオットーは仏教、イスラム教、ヒンドゥー教にもしばしば言及します。後半部分ではその「非合理的なもの」と「合理的なもの」の融合のプロセス、すなわち宗教が発展するプロセスをめぐる宗教哲学的考察がなされます。
うまく説明できず、頭でも把握できないけれど、心が震え、鳥肌がたつような経験をしたことのあるすべての人、そうした感情に襲われた過去の人間たち、そして現代の人間たちが、なぜ信じたのか、なにを信じるのか。
「かれらがどんなにエピクロス主義に漬かっていようと、どんなに神はいないと主張しようとしても。そのような拒否そのもののなかでこそ、神おわしますと告白してはいないだろうか。やはり誰も自分がまったく知らないことを否定することはできない。……したがって、たとえ全生涯をひどい悪徳に費やし、まるで神がいないかのように生きた者が多くとも、神がいるということを証言し、肯定する良心を心から放逐できた者はひとりもいない。」(本文中、ルターの引用)
プロテスタント神学を視座としながらも、本書の考究は「宗教とは何か」、「なぜ「聖なるもの」は在るのか」というはるかに普遍的、本質的な深みに錘鉛をおろしています。
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紫文要領 本居 宣長/子安 宣邦 校注 |
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《世に語り伝えられる物語とは「空言(そらごと)」である。だがそれは物語が「一向かたなき」荒唐無稽の作り事だということではない。「みな世に有る事」である》(解説より)
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『源氏物語』の愛読者であった本居宣長(1730-1801)。耽読は、医学・漢学修行のための京都遊学期にはじまる。時に宣長23歳、国学と日本古典は専門外のはずだったが、漢学の師・堀景山の導きで荻生徂徠の古文辞学と契沖の古学を知り、古典への造詣は一気に愛好者レベルから学問的レベルに達することになったという。18世紀のマルチ学者の誕生である。
28歳で松阪に帰った宣長は、医師として開業するかたわら古典講習場をひらき、京都で入手した北村季吟の注釈書『源氏物語湖月抄』を手がかりに、みずから源氏物語講義を始める。セミナーは8年間続いた。この間に源氏を主題とする最初の物語論「紫文要領」を完成、これと並行して歌論「石上私淑言」も執筆した。この物語論と歌論をもって名高い<物の哀れ>文学観が成立したといわれる。未刊のまま置かれた「石上私淑言」以後、宣長が歌論を書くことはなかったが、源氏を扱う物語論のほうは30代終わりから早くも最初の改稿「源氏物語玉の小琴」に着手し、それはやがて「源氏物語玉の小櫛」に集大成される。長く深い読書体験の実りは67歳、2年後の『古事記伝』完成と並ぶライフワークとなった。
『源氏物語』が時代をこえて読みつがれる理由を問い、宣長は<物の哀れをしる心>に行き着く。『紫文要領』で宣長は、紫式部が「蛍」の巻で光源氏に語らせた物語論を紹介し、「古物語」「昔物語」にふれる場面から人々の心映えをくみ、物語の本意とは<物の哀れ>をしることに他ならないと結論する。物語とは「空言ながら空言にあらずとしるべし」と宣長はいう。『紫文要領』は――宣長のこの物語論は、同時に、源氏の作中人物の物語論、作者紫式部の物語論と入れ子になっている。<物の哀れをしる心>が具体的にどのような形で示されるかを本書に探っていただきたい。文庫『排蘆小船・石上私淑言』(あしわけのおぶね・いそのかみささめごと)についで本書の校注をされた子安宣邦氏の解説は、宣長の世紀へ、源氏の時代へと幾重にも過去へ誘い込むと同時に、〈物語論〉の現在への関心にも深くこたえ、新鮮な問題提起をなすだろう。
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