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■著者からのメッセージ
摩天楼の上海に行けば、ニューヨークにいるような錯覚に陥り、垣間見る筆舌に尽くしがたく貧しい内陸部の農村が別世界のように思える。ニューヨーク市場に上場する国有企業は英語で取締役会を開き、日本の経営者を瞠目させる。が、傘下の工場は人員整理に反対する労働者の抗議デモで騒然としている。
シャープペンの芯ほどの部品に書かれた三桁の数字を肉眼で読み取る女工さんの賃金が、日本の二十分の一でしかない。彼女たちは黙々と働き、おカネを貯めて故郷に家を建てる日を夢見る。
経済ジャーナリストにとって中国ほど魅力に富んだ題材は他にない。マクロ政策もミクロ経済も細切れになって無数の情報が乱れ飛ぶ。中国経済は日本にとっても世界にとっても日々刻々重要性が増すばかりなので、どの断片を取り上げてもニュースになる。読者にとっては、情報の洪水となる。
ところが、中国経済の全体像をつかもうとすると、ナゾだらけなのに気がつく。
高度成長を続けるのに失業者が増える、不良債権が膨らむ。どうして?
まともな金融市場がないのに人民銀行が金融を引き締める。効果はあるの?
共産党が資本家を党員にする。どうやって?
高度成長は長続きせず、いずれ破綻するという専門家の予測が後を絶たない。実際はどうなの?
などなどである。
これらの疑問を解明するために必要なのは、通常のジャーナリズムの手法である会見やインタビュー、現場取材だけでは不十分である。何しろ中国は大きすぎる。北京が打ち出す政策が地方の末端に伝わっても、「上に政策あれば下には対策あり」で実際には別の形に変わる。ましてや経済は生き物だから、取材した情報の鮮度はすぐ落ちる。中国の公式発表や経済データの信憑性にも疑問はつきまとうが、ジャーナリストにとってそれは言い訳にもならない。知られざる真実を知らせるのが責務だからである。
ジャーナリズムの限界を超えて中国経済を知るにはどうすればよいか。「肯綮(こうけい)に当たる」しかない。肯綮とは、通貨人民元である。人民元は中華人民共和国の前史に始まり、文化大革命、改革開放路線、社会主義市場経済の歴史の生きた証拠である。十三億の人々の喜怒哀楽、富と貧困、中央と地方、都市と農村、雇用と失業、投融資と不良債権のかなりの部分が毛沢東のお札に凝縮される。世界の基軸通貨ドルにペッグ(=釘付けに)することで、中国を世界経済に統合し、日本企業の進出を促すどころか、中国企業の対外投資の武器ともなりうる。
本書でもうひとつ試みたのは、アカデミズムとジャーナリズムの統合である。取材メモを再整理し、取材し直し、足りないところはデータで補う。データの解読、総合のために経済学書の埃を払った。専門家にも問うた。データで見えないところは、それこそジャーナリズムの手法が生きる。アカデミズムとジャーナリズムを相互補完させ、化学反応させることで本書は成った。
コンパクトな新書である。本筋に付着するべき脂肉はそぎ落とした。書き足りないところは多々ある。だが、中国経済の軟着陸の鍵は何か、日本、アメリカと中国の相互依存関係の今後はどうか、基本的な構図は描けたと思う。本書を読めば新たな課題も見えてくる、読者にとってそんな知的手がかりになれば、このうえない僥倖である。 |
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