巻 頭 言・2000年5月号

 2002年新学習指導要領の中止を

わが国の初等中等教育は,文部省学習指導要領と教科書検定によって厳しく規制されている.指導要領の内容は個人と社会の将来に,教科書は一人ひとりの学ぶ意欲に大きな影響を与える.しかし,それまでの指導要領のどこに問題があったのか本格的に議論されることなく,10年ごとに指導要領改訂が繰り返されてきた.指導要領を策定するメンバーの人選も,残念ながら“密室”でおこなわれている.しかも近年,“ゆとり教育”の名のもとに教科の内容と授業時間数の減少が続いてきた.教科書も改訂のたびに薄くなってきている.その結果生みだされた“自ら考える”ための“ゆとりの時間”は,皮肉なことに,テレビをみるのに使われているという調査結果が得られている.いま問題になっている大学生の学力低下の本質的原因は,学生そのものではなく,基礎学力を身につける機会と自ら考える機会を失ってきたことにあるのだ.

 2002年から実施される新学習指導要領では,教科の内容は一段と希薄になり,基礎教科の授業時間は他の先進国に較べて極端に少なくなる.小学校算数は古代エジプト以前に逆戻りし,計算力を身につける機会さえ失われる.そのため,中学数学では高度な単元があっても,実際には極端に簡単な例しか学ぶことができず,生徒は,何のための数学を学ぶのかますます理解しにくくなるだろう.中学英語の必須単語は500語から100語に減る.これらの例のように,ほとんどの教科が中途半端な内容になろうとしている.この指導要領では,公教育の授業そのものの意味が薄れ,子どもたちが身につけることのできる基礎学力のレベルは,低落への道を進むことになろう.

 こうした指摘に対し,新指導要領は必要最低限度を記したものであり,意欲のある生徒はさらに先を学ぶことも可能だと文部省は説明する.しかし,たとえ生徒が望んでも,教師に特別の意欲がなければ進んだ内容の授業はおこなわれないし,現実にそのために必要な授業時間が用意されているわけではない.指導要領が“最低限”になるのであればなおさらのこと,教科書は,意欲をもった生徒が自習できるように,説明はていねいに,また指導要領の内容を越えた題材も含んだものに変わっていってよいはずだし,公教育の場に充実した教科書の導入を望む人々も少なくないはずであるが,“教科書にあることは教師がすべて教えようとするから”ということを理由に,指導要領を越えた内容は検定教科書には採用されず,教科書は一段と薄くなる.

 私たちは,高度に進んだ科学技術文明を謳歌している.しかし,その一方でエネルギー問題や地球環境問題など,真正面から取組んでいかねばならないさまざまな問題を抱えている.こうした困難な問題に立ち向かうために必要な基礎学力と,それをもとに考え抜く力を身につける機会としての教育が期待されているのに,新指導要領は正反対の方向を向いている.いまこそ,理想の教育をめざして早急に全国民的議論を始める必要がある.その第一歩として私たち大学人のグループは,インターネット(http://www.naee2002.gr.jp/)を使って,2002年度からの新学習指導要領の実施によるこれ以上の教育の切り捨ての中止を求める署名運動を始めた.多くの人々にご賛同いただき,“学ぶ楽しみ”“考える楽しみ”を味わうことのできる教育の再生に取り組んでいきたいと考えている.

上野健爾(京都大学大学院理学研究科) 

*無断転載を禁じます(岩波書店‘科学’編集部:kagaku@iwanami.co.jp).

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