巻 頭 言・97年10月号
1992年6月,ブラジルで国連環境開発会議(地球サミット)が開かれ,“生物多様性条約”が150カ国以上によって調印されてから,今年で5年がすぎた.この間,生物多様性,あるいは生物多様性の保全という言葉は,この問題に関心を寄せる専門家だけでなく,新聞や雑誌などでも頻繁に使われるようになった.国や地方の行政は,生物多様性の保全に多大の関心をはらうようになり,多様性を高めるための方策がいろいろ考えられている.また,生物多様性の保全を促進する科学である保全生物学が急成長し,日本国内でも,関連の研究が若い人たちを中心に活発におこなわれている.
しかし,一方,あいかわらず国内外ともに,自然環境の破壊とそれにともなう生物多様性の減少は急速に進行している.熱帯雨林や北方森林は伐採され続けており,諌早湾にみるように数少ない干潟も消滅し,各地の里山環境は宅地やゴルフ場の造成などによって失われつつある.また人間の不注意から,大量の油が海洋へ流出したり,いろいろな外来の動植物が移入されたりもしている.その結果,かけがえのない自然や生物がつぎつぎに消滅し,人間自身の生活にもひずみが生じているのである.
生物多様性の保全が広く叫ばれている一方で,なぜ,自然や生物の消滅があいかわらず急速に進行しているのだろうか.保全のためのいろいろな努力は,むくわれていないのだろうか.開発と保全とは,今後どのように調和の道をみつけだしていくのだろうか.
地球サミットから5年,いまここでもう一度,生物多様性の保全の現状をみつめ,将来を考えてみよう.とりあげるべき問題はいくつもある.私たちは,地球上に存在する,あるいは身のまわりにある自然環境や野生生物をたいせつに考え,保全しようとする.それはそもそもなぜなのだろうか.これまでにいわれてきていることで十分なのだろうか.生物多様性を保全する研究が活発におこなわれているが,研究の現状はどこまできているのだろうか.この先,どう発展していくのだろうか.行政は生物多様性条約のもとに,いろいろな施策を展開している.それはどれだけ実効を得ているのだろうか.また,関連の法や制度はどう整備されているのだろうか.全国各地で,自然環境や野生生物を保全する市民活動が活発におこなわれている.活動組織の数は数千にものぼるという.具体的にどのような活動がおこなわれ,研究や行政とはどうかかわっているのだろうか.
この地球上には,森林から草原,湖沼,干潟,海洋までいろいろな環境があり,そこにアメーバ,ヒトデ,ナマズからゾウ,キリン,クジラにいたるまで,1000万種とも5000万種ともいわれる生物が存在している.地球を宇宙のかなたからながめただけなら,それはとても想像できないことだろう.生命の星,奇跡の惑星,地球の生物多様性の未来は,いまや,われわれヒトという生物の1種の手にゆだねられている.われわれはあらゆる叡知を集め,このかけがえのない地球の自然や生物を保全していく必要がある.それは,われわれ自身の存続にもかかわっているのだ.
樋口広芳(東京大学大学院農学生命科学研究科)
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