マルクスと息子たち

斬新なマルクス解釈に向けられた幾多の批判にデリダ本人が応答する問題の書,ここに邦訳なる.

マルクスと息子たち
著者 ジャック・デリダ , 國分 功一郎
ジャンル 書籍 > 単行本 > 哲学
刊行日 2004/01/27
ISBN 9784000021586
Cコード 0010
体裁 四六 ・ 上製 ・ カバー ・ 254頁
在庫 品切れ
「相続する」とはいかなることか.そして,過去からの「遺産」に対してわれわれはいかに応答しうるのか,応答すべきなのか…斬新なマルクス解釈を提出した前著の『マルクスの亡霊たち』が巻き起こした幾多の批判にデリダ本人が応答する―長らく待望されたデリダによるマルクス論の真髄を示す問題の書,ついに邦訳なる.

■編集部からのメッセージ

「相続する」とはいかなることか.過去からの「遺産」に対して,われわれはいかに応答しうるのか,そして応答すべきなのか……冷戦の終結を受けて,「歴史の終わり」を説く言説がまことしやかに流布される世界情勢の中,ジャック・デリダは『マルクスの亡霊たち』(1993年)を刊行,初めて全面的に「マルクス」「マルクス主義」について論じ,「亡霊」という「概念ならぬ概念」を軸にしてきわめて斬新な解釈を提出してみせた.
 この1冊の書物が与えた衝撃の大きさは,ただちに多くの知識人からの批判が相次いだことにはっきりと表れている.デリダに問いを投げかけたのは,フレドリック・ジェイムソン,テリー・イーグルトン,アントニオ・ネグリ,ガヤトリ・スピヴァックなど,錚々たる知識人たちだった.それらの批判は『幽霊的境界画定』(1999年)という書物にまとめられる.そこで取り上げられた多岐にわたる問題,随所に見受けられる誤解や曲解に対して,デリダ自身が誠実に反論してみせた書,それが本書『マルクスと息子たち』である.
 共産主義国家の崩壊は,マルクスやマルクス主義の終焉を意味するのか.その最も重要な問いを回避する欺瞞に対して,デリダは「マルクス」は「亡霊」として否応なく回帰すること,それゆえ新たな世界情勢は「新しいインターナショナル」を,「来たるべき民主主義」を待つことなく待たなければならないことを説く.問いかけに応答する責任.デリダが体現する誠実な「責任」のありようは,「脱構築」の名で知られる思想家が論じ続けてきた「正義」や「倫理」の姿をはっきりと浮かび上がらせる.そこにわれわれは,限りない希望を見出すだろう.

■訳者からのメッセージ

哲学には同時に二つの読みが必要である,と哲学者ジル・ドゥルーズは語っている.この概念はあの概念とどのような関係にあるのか,なぜこの概念はここで論じられているのか―例えばそのように問いかけながら進んでいく哲学的な読みと同時に,それとは違う何か別の読み,哲学的ではない読みが必要なのだ,と.
 本書『マルクスと息子たち』は哲学の本である.それは,じっくりと,ゆっくりと,文字の一つ一つを丁寧に追う辛抱強い読解作業を要請している.しかし,そのような哲学的課題に頭を悩ませながら本書を読み進めていくと,単に哲学者として捉えて済ませることのできないジャック・デリダの姿が浮かび上がってくる.それは一人の怒りに駆られた人物である.
 デカルトによれば,他人によってなされた「悪」は,自分に関係のない時にはその人に対する憤慨を生み出すだけだが,自分に関係している場合には,それに加えて怒りをも引き起こす(『情念論』第65節).憤慨とは政治的活動の一動力源となるものであろう.「そんなことは許されない」と言いながら,人は自分以外の何ものかと闘う.ジャック・デリダもまた,これまでさまざまな憤慨をもって複数の政治的活動に関わってきた.『マルクスと息子たち』執筆のきっかけとなった『マルクスの亡霊たち』(1993年)という書物もまた,アパルトヘイトに対する糾弾,そして,1993年4月に暗殺された反アパルトヘイト闘士のコミュニスト,クリス・ハニへの言及から始まっている.
 だが,『マルクスと息子たち』の中に読まれるのは,憤慨というよりも,むしろ怒りである.本書は,『マルクスの亡霊たち』に向けられた反論に答えたものだが,デリダが何よりもその標的としているのは,他の誰かがマルクスについて論じることに我慢がならず,「マルクスは自分のものだ」と言わんばかりに「遺産相続権」を主張する,所有欲の虜となった「マルクスの息子たち」である.共産圏の崩壊とともに「マルクスの死」というスローガンが世界を覆い尽くしたまさにその時に,デリダはマルクスについての本を出版した.にもかかわらず「マルクスの息子たち」は,あたかも自分たちの相続財産が接収されたかのようにそれに難癖をつけている.デリダはそのことに本気で怒っている.
 怒りに駆られたとき,人は,その怒りを引き起こした「悪」とだけではなく,怒りに駆られてしまった自分とも闘わねばならない.かつてデリダは,J.L.オースティンの言語行為論を批判的に検討した「署名 出来事 コンテクスト」に対して,「私がオースティンの正当なる後継者である」と言わんばかりのジョン・R・サールから反論が寄せられた時も,「有限責任会社abc...」という複雑な戦略に満ちたテクストを作り上げることによって,その闘いを闘い抜いたのだった.では,『マルクスと息子たち』ではその闘いはどう闘われているのか.本書を読みながら,デリダの哲学的議論をたどると同時に,この問いへの答えについても考えてみることができると思う.
訳者 國分功一郎
ジャック・デリダ(Jacques Derrida)
 1930年,アルジェリア生まれ.社会科学高等研究院(フランス,パリ)教授.
(著書)『グラマトロジーについて』(1967年,邦訳・現代思潮社),『エクリチュールと差異』(1967年,邦訳・法政大学出版局),『散種』(1972年),『余白―哲学の/について』(1972年),『弔鐘』(1974年),『郵便葉書』(1980年),『マルクスの亡霊たち』(1993年),『友愛のポリティックス』(1994年,邦訳・みすず書房)ほか.國分功一郎(こくぶん こういちろう)
 1974年,千葉県生まれ.東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍.
(論文)「スピノザの定義について」(『年報 地域文化研究』第4号,2001年),「無人島と砂漠―ジル・ドゥルーズ「無人島,その原因と理由」から出発して」(『批評空間』第III期第4号,2002年7月),「総合的方法の諸問題―ドゥルーズとスピノザ」(『思想』第950号,2003年6月),「スピノザのデカルト読解をどう読解すべきか?―『デカルトの哲学原理』におけるコギト」(『スピノザーナ』第5号,2004年(予定)).
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