二重らせん 第三の男

ワトソンやクリックとともにノーベル賞受賞.遺著となった本書で初めて世紀の発見や風評の真相を語る.

二重らせん 第三の男
著者 モーリス・ウィルキンズ , 長野 敬 , 丸山 敬
ジャンル 書籍 > 単行本 > 自然科学総記
書籍 > 自然科学書 > 人物・社会
刊行日 2005/12/07
ISBN 9784000063005
Cコード 0040
体裁 四六 ・ 上製 ・ カバー ・ 308頁
在庫 品切れ
ワトソンやクリックとともにDNAの二重らせんの研究によりノーベル賞を受賞した著者ウィルキンス.ワトソンの書いた『二重らせん』で女性研究者ロザリンドとの確執が描かれたこともあり,その存在は一般には地味なものになった.しかし遺著となった本書で初めて,3人の共同研究の様子やロザリンドとの真相が語られる.


■編集部からのメッセージ
 世界的な大ニュースとなったヒトゲノムの解読。これが,二重らせんモデルの発見からほぼ50年,と喧伝されたように,DNAが二重らせん構造を持つという研究発表は当時も衝撃的なものでした.後に,この発見に貢献したジム・ワトソン,フランシス・クリック,そして本書の著者モーリス・ウィルキンズに,ノーベル賞が与えられたのも,当然と言えます.
 ところが,受賞者のひとりワトソンが書いた『二重らせん』の出版が,いろいろな物議を起こします.とりわけウィルキンズの共同研究者であったロザリンド・フランクリンに関する記述は,ウィルキンズの人生を狂わせたというのは大げさにしても,受賞の栄光とはまったく別の評価を与えるきっかけとなりました.フランクリンは,ノーベル賞受賞の頃にはすでに病没.もし生きていたら,とユダヤ人で薄倖の人生を送ったこの女性研究者を悼む声はますます高まりました.それに反比例するように,ウィルキンズに対しては,研究を横取りしたのではないか,と陰口さえたたかれるようになりした.
 いつのまにか,「二重らせん」と言えば,ワトソンとクリックの名前しか出されなく,まさにウィルキンズの名は,誰も覚えていない「第三の男」という存在になってしまったのです.
 では,事実はどうであったか.
 この世紀の大発見がまさに3人の共同研究であったこと,最初の論文はこの3人の共著で発表されるものであったこと,また,フランクリンとウィルキンズとの確執は,その後のいろいろな人の書物で書かれたようなものではなかったことを正直すぎるほどの筆致で,ウィルキンズは語っています.
 ウィルキンズは,ほぼ50年の沈黙を破って,本書を著しました.残念なことに出版の翌年,病気で84年の生涯を閉じました.この年,クリックも亡くなり,いま3人のうち2人が亡くなっています.
 世紀の発見ドラマに関心のある人も,またワトソンの『二重らせん』,やセーヤーらのフランクリンの伝記を読まれた方も,ぜひ本書を読んでいただきたいと願っています.
まえがき
第1章 遠い海岸線
第2章 研究の足場を求めて
第3章 大戦のただなかで
第4章 ランダルの一座(サーカス)
第5章 遺伝子の結晶
第6章 「顕微鏡の研究に戻りなさい!」
第7章 DNAの秘密の隠しかた
第8章 二重らせん
第9章 二重らせんと共に
第10章 幅広い視野
訳者あとがき
索引
モーリス・ウィルキンズ(Maurice Wilkins,1916-2004)
ニュージーランドに生まれ,6歳のとき父親の母国イギリスに渡る.
ケンブリッジ大学を卒業後,バーミンガム大学で,ランダルのもと,蛍光ルミネッセンスの研究に従事.第二次世界大戦の際には,原子爆弾のマンハッタン計画にも参加.その後,ロンドン大学キングズ・カレッジに移る.戦後は,一貫して生物物理に興味を持ち,X線回折を主に研究.1962年に,ワトソン,クリックとともに,ノーベル生理学医学賞を受賞.
2003年自伝としての本書を出版.翌年,病没.

長野 敬(ながの けい)
1929年生まれ.1952年東京大学理学部植物学科卒.
横浜市立大学,東京医科歯科大学,自治医科大学医学部で教鞭をとる.現在,自治医科大学名誉教授.河合文化教育研究所主任研究員.
医学博士.「生体の調節」(岩波書店),「生物学の旗手たち」(講談社学術文庫)
ほか,著訳書多数.

丸山 敬(まるやま けい)
1957年生まれ.東京大学医学部卒.岡崎生理学研究所助教授,東京都精神医学総合研究所室長を経て,現在,埼玉医科大学教授.専門は,神経生化学,薬理学.著訳書に,『考えよう,わたしたちの体と生き方』(全5巻,小峰書店),『心の科学ハンドブック』(共訳,岩波書店)ほか,多数.
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