教育基本法「改正」

私たちは何を選択するのか

改正する正当な理由はあるのか.「愛国心」「公教育の分断」をめぐり,改正で社会が失うものを炙り出す.

教育基本法「改正」
著者 西原 博史
通し番号 615
ジャンル 書籍 > 岩波ブックレット
日本十進分類 > 社会科学
刊行日 2004/02/05
ISBN 9784000093156
Cコード 0336
体裁 A5 ・ 並製 ・ 72頁
在庫 品切れ
昨年の中央教育審議会の答申を受け文部科学省は改正に向けて踏み出すこととなり,法案提出も射程に入ってきた.戦後教育の根本的理念を謳い,準憲法的性格を持つとされる同法を変える正当な理由はあるのか.近年の教育をめぐる社会情勢と,改正のポイント,「愛国心」の導入と「公教育の分断」を徹底的に読み解く.

■著者からのメッセージ

 教育基本法の「改正」を,憲法改悪を実現するための地ならしだととらえ,だから反対しなければならない,という結論の導き出し方があります.しかし私は,憲法学を研究する者の一人ではありますが,この言い回しには一概に賛成できません.
 というのも,教育基本法の「改正」は,憲法「改正」よりも大きな悪影響を国家と国民の関係にもたらすかもしれない.その思いが捨てきれないからです.万が一,改憲の焦点となっている,非武装を定める憲法9条2項が改憲論の思いどおりに削除されるようなことがあったとしても,それだけならば,国民は,民主的な国家の主権者として,権力に対して主体的に対峙できるはずです.ところが,今もくろまれているとおりに教育基本法が改められたら,その国民の主体性が崩れていきかねません.いくら基本的人権を保障する美しい言葉が憲法に残っていても,教育の中で権力の思うがままの思想を子どもに植え付けることができるようになれば,真の人権保障も民主制もあり得ないものとなりかねないのです.
 国家権力が,教育の過程を支配して,子どもの意識を思うがままに操作できる法的な地位を得るならば,そうして育っていく国民は,実質的には,主体として国家権力を支え,コントロールする主権者ではなく,権力の道具となっていくでしょう.学校を,国家権力によるマインドコントロールの場に変えていくのかどうかが問われています.そして,国民が権力によって「操作」される客体の立場に落ちぶれていくことを認めるのかどうかが.
 大げさに聞こえるでしょう.でも,実際に政府や各地の教育委員会が進めている政策と照らし合わせながら,なぜ,教育基本法の「改正」が提案されているのかを考えていくと,「改正」の先で私たちを待ち受けているものが垣間見えてきます.
 この重大な事態にあってなお,何が問題になっているのかさえ,十分に人々に知られていないようにも見えます.その焦りがあって,この本を一気に書き上げました.この本が批判されることを通じて,議論が深まっていくことを,何よりも希望しています.
【西原博史】

■編集部からのメッセージ

 2003年3月の教育基本法を「改正」すべしとした中央教育審議会の答申以降特に,「改正」に異議ありとする本の刊行が相次ぎました.答申の読み解きをベースに,ストレートに「変えるな」と訴えるもの,そもそもの教育基本法の性格について詳細に検討したもの,さまざまです.それからほぼ1年.改正案の国会上程を睨んで,各地で市民団体や教師たち主催の学習会や講演会が重ねられてきました.
 今の日本の教育には問題はない,万事順調,と思っている人はいないでしょう.何かをしなければならない思いはある.そこへ,これまでの教育を反省しよう,時代は大きく変わっているし,少しでも良い未来のためにも,教育の大元である法を変えることが必要でしょう,と言われれば,「そうかもなあ」と思うかもしれません.
 当の文部科学省も各政党も「国民的な議論が必要」「議論を踏まえて」を強調しています.もちろん見過ごすことはできません.国会決議を経たものは当然「国民の意思(決断)」として動き出します.さまざまな法律がそうして出来上がってきました.では,この教育基本法に関しては?「改正」の本質とは一体何であって,その上で選択するのかどうか.その重さを意識して,教育をめぐるさまざまな状況について考えてほしい――これがサブタイトルにこめた思いです.
 このブックレットでは,教育基本法の成立事情,過去にもあった「改正」契機の概観,焦点である今回の「改正」の方向と,議論になっている事柄を凝縮してほぼ網羅しています.そのうえで憲法学者である著者の視点を生かして,教育現場への「国旗・国歌法」指導にすでに現れていますが,教育と法と個人の関係がのっぴきならないところまで来ている現状を丁寧に書き込みました.展開される一文一文に,賛成や反論,疑問など,著者と対話いただきながら読み進めていただければ幸いです.
【編集部 田中朋子】
  はじめに
一 教育基本法を変えることがもつ意味
    1 教育基本法を作った理由/2 「柵」としての教育基本法/3 柵をこわそうという提案
二 教育基本法を変えたい人々
    1 教育勅語復活論/2 エリート教育への要請/3 「増え続ける少年犯罪」という問題と教育基本法/4 新たな「公共性」を渇望する声
三 家庭環境による子どもの分断と「公教育」の危機
    1 「個性に応じた能力の伸張」と「自己責任」/2 学校選択制に見る教育の「自由化」と「効率化」/3 分断ラインとしての家庭の教育支援能力
四 愛国心の強制と「日本人としての自覚」
    1 社会の分断と浮上する「すべての日本人に共通の意識」/2 愛国心問題の典型としての国旗・国歌/3 愛国心通知票の示す問題
五 教育の将来を構想する
    1 教育基本法を改めた先にあるもの?/2 良心の自由を尊重する学校という対案
西原博史(にしはら・ひろし)
1958年生まれ.早稲田大学法学部卒.同大学大学院法学研究科博士課程を経て,現在早稲田大学社会科学部教授.憲法学.全国憲法研究会事務局長,日本教育法学会理事.研究テーマである「思想・良心の自由」を出発点に,近年の教育現場における国旗・国歌強制に抵抗する教師たちの訴訟では理論的支柱として各地を奔走.著書に『良心の自由』(1995年初版,2001年増補),『平等取扱の権利』(2003年,以上成文堂),『学校が「愛国心」を教えるとき』(2003年,日本評論社)など.最近の論文に「国家による人権保護の道理と無理」(『国家と自由――憲法学の可能性』所収,近刊,日本評論社)などがある.
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