「ややこしい子」とともに生きる

特別支援教育を問う

「軽度発達障害」といわれる独特のややこしさを抱えた子どもたちへの本当の支援とは何か.現場から問う.

「ややこしい子」とともに生きる
著者 河原 ノリエ
通し番号 703
ジャンル 書籍 > 岩波ブックレット > 子ども・教育
日本十進分類 > 社会科学
刊行日 2007/06/05
ISBN 9784000094030
Cコード 0336
体裁 A5 ・ 並製 ・ 72頁
定価 528円
在庫 在庫あり
「発達障害者支援法」の施行で,ADHD,高機能自閉症など,「軽度発達障害」といわれる独特のややこしさをかかえた子とその親への支援にようやく光があたってきた.早期診断・支援が叫ばれる今,本当の支援とは何なのか.「軽度発達障害」の子どもをもつ母親である著者が,その体験と気づきの過程を交え,現場から問う渾身のルポ.


■著者からのメッセージ
 2005年,「発達障害者支援法」の施行で,ADHD,アスペルガー症候群など,「軽度発達障害」といわれる独特のややこしさをかかえた子とその親への支援にようやく光が当たりはじめた.
 本書は,2006年秋,雑誌『世界』に発表した原稿に加筆をしたものだ.掲載時に多くの反響をいただき,この問題への関心の高まりを認識したが,今の状況に一抹のためらいがないわけではない.ざわざわした,このためらいは一体なんなのだろう.
 「軽度発達障害」という言葉は,「軽度」や「障害」という言葉によって,どこか人の値踏みに繋がるニュアンスを含み持ち,多様な声の存在を閉ざしてしまっている気がしてならない.今まで支援の対象とされなかった子どもたちの状態を捉える言葉が必要であったことは確かだが,教育現場への周知というひとつの役割を果たした以上,他に適切な呼称はないものか,関係者の智恵が試されている気はしている.
 しかも,この言葉が指し示す子どもたちの範囲は極めて広い.東大や京大へ行くような子もいれば,通所施設にずっと通う子もいる.その基礎的障害とされる認知の偏りのありようが人によって大きく異なるため,対象とする子どもたちの像が,社会はおろか,関係者のなかでも,共通して結ばれていないという現実が大きく存在している.
 あえてここでは「ややこしい子」というやわらかい語感の言葉を選んだが,「それにしても,『ややこしい』とはなんだ」とずいぶんお叱りも受けた.ワンフレーズでことがすみ,わかりやすいことがもてはやされる時代において,「ややこしい」ということは「人間の評価としてマイナス」なのだという.面倒なことは敬遠されがちであることはたしかだが,しかし,人と人との関係はもつれあってこそのものである.
 ややこしさを忌み嫌う今の世の中の,すっきりとしたよそよそしいスマートさが,ある種のこだわりをもつ子を浮かび上がらせ,目立ちやすくしている気がする.そういう思いもこめて,ブックレット出版にあたってもあえて『「ややこしい子」とともに生きる』というタイトルを使わせていただいた.
 独特なこだわりや,ややこしさは,人の特徴であり,成長するにつれその濃淡は変化するにせよ,ひとりの人間のなかから消え去るものでは決してない.ややこしさを否定することは,その人を切り捨てることだ.同じ社会でともに生きていくわれわれは,そのややこしさを人と人との繋がりのありようとして引き受けていくものである.
――「はじめに」より
はじめに――「軽度発達障害」という言葉は,やめにしませんか?

1 『愛の手帳』をもらったら?――私と息子の深い闇
2 お母さんを支える――「育児の工夫の必要な子」の育児支援
3 支援する人を支援する――特別支援教育の現場で
4 DIVERSITY(多様性)は宝もの――米国の特別支援教育
5 自分の人生を選びとる――高等教育から就労へ
河原ノリエ(かわはら・のりえ)
1961年生まれ.ジャーナリスト.東京大学先端科学技術研究センター協力研究員,日本医師会総合政策研究機構客員研究員,独立行政法人産業技術総合研究所研究支援アドバイザー.人体の個人情報の医療・研究・産業を巡る問題を追いかけている.また,母親の自尊感情と子どもの認知能力についての調査研究に関わり,独特な認知能力の学生たちの大学での知的サポートについて,科学技術政策の立場から提言している.DO-IT JAPAN副会長.著書に『恋するように子育てしよう!』,『人体の個人情報』(共著).
著者HP www.noriekawahara.com
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