遺骨の戦後 朝鮮人強制動員と日本


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 このブックレットの表紙には,ある朝鮮人が強制動員先の日本から家族に送った写真が掲載されている.その人の名は崔天鎬(チェチョノ)さん,終戦直後,「秋夕(チュソク=旧暦の8月15日)までに帰国する」という手紙を最後に消息が途絶えた.
 息子の崔洛(チェナックン)さんが父と別れたのは,まだ2歳のとき.母は3人の子どもを育てながら夫の帰りを待ち続けた.崔さんはこの写真を手がかりに,あらゆる手を尽くして調べたが,何の進展も得られていない.夫を待ち続けた母は,夫の死亡届も出さないまま,先年89歳で亡くなった.
  日本はアジア・太平洋戦争時の労働力不足を補うために,植民地下にあった朝鮮から多くの朝鮮人を動員した.酷悪な労働の強制によって多くの人が命を失い,あるいは帰国の途上で海難にあい亡くなった.家族の元に遺骨が戻ったケースもあるが,崔さんのように消息すら分からない場合も少なくない.そして,一方では,日本各地の寺や山野に朝鮮人強制動員の被害者とみられる遺骨が今なお残ったままになっている.
 遺骨を返してほしい,いつどこで死んだのか教えてほしい,遺族の切実な願いが,2004年11月,韓国の「日帝強占下強制動員被害真相究明委員会」の発足を機に,ようやく日本に届くようになった.
 このブックレットでは,そうした遺族たちの声や,日韓遺骨問題が動き出した背景を紹介する.そして,戦争中に強制動員された捕虜・中国人等の場合と比して,朝鮮人の場合は,なぜ著しく対応が遅れたのかを探る.
  アジア・太平洋戦争で死亡した日本人は310万人.首相の靖国神社への公式参拝が問題となるが,海外で死亡した日本人の約半数の遺骨が,まだ遺族の元に戻っていない.軍人・軍属の場合,いわゆる空の白木の箱を受け取っているだけである.一方では英霊としてまつられつつ,一方では収集可能な遺骨が60万体もいまだ海外に残されたままなのである.
 植民地下の朝鮮人に対する「遺骨」問題と,日本人の場合の「遺骨」問題.もの言わぬ遺骨を通じて日本の戦後のありようがくっきりと見えてくる,そんな一冊である.

(編集部・大山美佐子)


著者プロフィール

内海愛子(うつみ・あいこ)
1941年東京生まれ.早稲田大学文学部卒業.在日韓国・朝鮮人の人権や戦後補償問題に取り組む.大阪経済法科大学客員教授.著書に『朝鮮人BC級戦犯の記録』『戦後補償から考える日本とアジア』『スガモプリズン』『日本軍の捕虜政策』ほか.

上杉 聰(うえすぎ・さとし)
1947年岡山県生まれ.上智大学文学部卒業.関西大学講師.「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ,心を刻む会」呼びかけ人などとしても活躍.著書に『天皇制と部落差別』『これでわかった! 部落の歴史』『脱ゴーマニズム宣言』『脱戦争論』ほか.

福留範昭(ふくどめ・のりあき)
1950年山口県生まれ.九州大学文学部卒業.強制動員・遺骨問題で日本と韓国をつなぐ活動をしている.強制動員真相究明ネットワーク事務局長.韓国語通訳.訳書に『韓国のシャーマン』がある.


目次

はじめに――なぜ,今「遺骨」なのか
強制動員犠牲者の遺族の声 福留範昭
遺骨返還は国境を越えて 上杉 聰
日本人の遺骨も放置されている 内海愛子
おわりに――未清算の戦争責任の証人
 「強制連行期の動員朝鮮人死亡者数」解説




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