失われた〈20年〉

「その時」,社会の閉塞と経済の停滞は始まった──この20年の変化を,多くの証言を通して検証する.

失われた〈20年〉
著者 朝日新聞「変転経済」取材班
ジャンル 書籍 > 単行本 > 経済
刊行日 2009/02/26
ISBN 9784000222082
Cコード 0033
体裁 四六 ・ 並製 ・ 262頁
在庫 品切れ
「その時」,いまなお続く日本社会の閉塞,経済の停滞が始まった──グローバル競争の激化,金融危機,デフレ,財政崩壊と構造改革など大きな転換期となったこの20年,何が,どのように,なぜ,変わったのか.時代のキーパーソンたちの証言を辿りながら検証する.朝日新聞での好評連載「変転経済」の単行本化.

■編者からのメッセージ

 ある時,断層がずり落ちるように,歴史の転換点として突出する年がある気がする.
 大恐慌以来の世界経済危機の淵に立つ「2009年」.そして20年前の「1989年」もそういう年だった.「ベルリンの壁」によじ登り煉瓦を壊して,西側に通り抜けた濁流のような人の流れと入れ替わるように,企業や投資が旧東側諸国へとその後,展開していった.いま思えば,市場経済が世界中に浸透していく近未来図だった.それは冷戦の枠組みのもと米国に庇護され,有利な為替水準で巨大な輸出市場を提供されてきた,戦後日本の生き方が変革を迫られた時でもあった.
 だがその後の20年,日本はバブル後遺症の長い停滞や金融危機を経て,世界最速で進む高齢化,人口減少のもとで閉塞感と不安が社会を覆う.かつての輝きは消え,いま国の未来を巡って衰退という言葉さえ頻繁に使われる.
 こうした「特別な年」を切り取って,日本経済のこの20年の大きな物語を描けないか.「その時」から今を結べば,なぜ「ここ」にいるのか,そして「どこ」に向かえばいいのかを考えるヒントが得られるのではないか.「変転経済」と題した長期連載を始めたのは,そういう思いからだ.
 歴史の一瞬を刻む新聞の役割は大事だが,私たち自身も,変化の速い,様々な要素が絡みあって織りなす経済事象を日々,報じるだけで終わったという反省がある.歴史にこだわったのは,大転換期にこそ,その後ろにある時代のうねり,さらにはうねりを起こす海底の構造の変化を見据える作業が重要だと考えたからだ.歴史を描くことは,過去を語ると同時に,それが現在に生きる者にとって持つ意味を問うことだ.その試みが,果たしてどれだけうまくできたのかどうか.読者の評価を待つしかないが,難しい時代のこれからを生きるための材料の一部となればと思う.
(「あとがき」より)

第1章 グローバル化に翻弄された「ニッポン株式会社」
 
さらば日本型経営――1994年2月,「舞浜会議」で始まった
 
サラリーマン安泰の終わり――1997年11月,不安の時代が幕を開けた
 
「派遣切り」の悲劇の源流――1998年5月,労働の「商品」化が始まった
 
賃上げ春闘の終焉――2002年3月,トヨタ「ベアゼロ」が流れを決めて
 
立ち遅れた世界標準戦略――1998年1月,第3世代携帯で欧と連携,巻き返しへ
 
「ものづくり大国」成功物語の終焉
 
――1999年,DRAM投げ売りが始まった
 
2001年秋,ウォークマンからiPodへと主役交代
 
古い体質を温存させたコメ市場開放――1993年12月,決着喜ぶ宮沢元首相
 
リストラの道具となった持ち株会社解禁――1995年,サリン事件当日の秘密会談
 
「シャッター通り」を生んだ大店法緩和――1992年,イオン,ヤマダ電機の攻勢始まる
 
改革の源流・日米構造協議――1990年,米国が突きつけた「対日要求リスト」

第2章 肥大化する金融経済――マネーの暴走
 
金融危機 日本の教訓 I ――戦後日本,最大の危機の日,1997年11月26日
 
金融危機 日本の教訓II――1987年,BIS規制の株式参入,裏目に
 
金融危機 日本の教訓III――1991年末利下げ,隠れた狙いは銀行支援だった
 
金融危機 日本の教訓IV
 
――1996年秋,セーフティーネットを欠いた日本版ビッグバン
 
金融危機 日本の教訓V――1997年11月,デフォルトから破綻の連鎖へ
 
金融危機 日本の教訓VI――1997年秋,動き出した「梶山構想」
 
金融危機 日本の教訓VII――2000年夏,そごうの借金棒引き白紙
 
グローバル・ショックの先駆け,アジア通貨危機
 
――1997年9月,「アジア版IMF」設立は失敗した
 
ユーロ誕生から10年――1999年1月,対立超えて導入
 
「闇」が巣食った企業社会――1997年春,検察が総会屋との決別迫る
 
吹き荒れたファンド旋風――1998年秋,黒船リップルが上陸を決意した
 
ネットバブル――2004年秋,数字に走ったライブドア

第3章 「公経済」の破綻と「改革」ごっこ
 
迷走した消費税導入の大義――1985年7月,「中曾根メモ」に飛びついた大蔵省
 
不信と不安の年金制度――1986年,未納不安抱え,基礎年金創設
 
財政破綻の源流――1992年夏,不良債権軽視し,公共事業偏重の景気対策
 
公務員制度改革
 
――1996年春,大蔵不祥事で改革のエネルギーはあらぬ方向にいった
 
郵政民営化の布石だった財政投融資改革――1997年12月,預託義務の廃止決定
 
目的見失った道路公団民営化――2003年12月,空中分解した推進委

第4章 「構造改革」の後で
 
小泉構造改革――始まりは2000年の「裏官邸」だった
 
薄いセーフティーネットが生み出す「社会保障難民」
 
――2008年末,「派遣切り」が拡大,雇用危機に
 
迷走する財政――2008年12月,景気か財政再建か,再び財政の迷走が始まった
 
米金融モデルの終焉――2008年9月,米投資銀行が消え日本の「目標」も消えた
 
新自由主義と米国型経営の黄昏――2009年1月,「舞浜論争」再び
 
環境と成長 世界経済危機で両立めざす流れ
 
――2008年12月,成長戦略と温暖化対策の壮大な実験が始まった
 
外需依存経済――2008年12月,勝ち組トヨタ赤字転落

あとがき
朝日新聞「変転経済」取材班
2007年5月から2008年5月までの1年間,朝日新聞の経済面に連載した企画「変転経済――証言でたどる同時代史」(計48回)の取材班.
第1章
宮内義彦(オリックス会長),今井 敬(元経団連会長),木下公明(山一証券元監査役),弘兼憲史(漫画家),高梨 昌(元中央職業安定審議会会長),中園ミホ(脚本家),笹森清(元連合会長),鷲尾悦也(元連合会長),木下耕太(元NTTドコモ常務),内海善雄(元ITU事務総局長),出井伸之(ソニー元会長),西井浩司(NEC元社長),庄山悦彦(日立製作所会長),岡村 正(東芝会長),宇根 豊(「農と自然の研究所」代表理事),加藤紘一(元自民党幹事長),糸田省吾(元公取委事務総長),弓倉礼一(元経団連競争政策委員長),山田洋次(映画監督),畠山 襄(元通産審議官),チャールズ・レイク(元USTR日本部長)
第2章
増渕 稔(元日本銀行理事),ピーター・クック(元BIS銀行規制監督委員長),白川方明(元日銀理事,現総裁),田中秀征(元経企庁長官),江田憲司(元橋本首相秘書官),西村吉正(元大蔵省銀行局長),加藤 出(東短リサーチ・チーフエコノミスト),中曾 宏(日本銀行金融市場局長),渡辺喜美(元金融相),今井康夫(元通産相秘書官),片田哲也(元金融再生委員,元コマツ会長),榊原英資(元大蔵省財務官),タノン・ビダヤ(元タイ蔵相),ハンス・ティートマイヤー(元独連邦銀行総裁),ディディエ・レインデルス(ベルギー副首相兼財務相),土肥孝治(元検事総長),江上 剛(小説家),ティモシー・コリンズ(元RHJインターナショナルCEO,現取締役),藤原 洋(インターネット総合研究所代表取締役),北尾吉孝(SBIホールディングス代表取締役CEO)
第3章
水野 勝(元大蔵省主税局長),平野貞夫(元参院議員),浅野史郎(元宮城県知事),渡部恒三(元厚生相),水口弘一(元野村総研社長,経済同友会終身幹事),小島祥一(元経済企画庁経済研究所長),水野 清(元行革会議事務局長),高橋洋一(元内閣参事官),田中一昭(拓殖大学名誉教授),猪瀬直樹(東京都副知事)
第4章
牛尾治朗(ウシオ電機会長),竹中平蔵(慶応大教授)

書評情報

東京新聞(朝刊) 2009年5月3日
日本経済新聞(朝刊) 2009年4月19日
週刊エコノミスト 2009年4月14日号
朝日新聞(朝刊) 2009年4月12日
日本経済新聞(夕刊) 2009年3月18日
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