虚業成れり―「呼び屋」神彰の生涯


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編集部だより
著者からのメッセージ

レニングラード・バレエ団来日の折に
 いままで4冊の本を出しているのだが,そのいずれも評伝であった.ロシアの道化師,サーカス芸人,漂流民に冒険家と,4人ともほとんど知られていない人たちであり,その生きざまを発掘して紹介するというのが,大きなテーマであった.しかし今度とりあげた神さんは,さすがに若い人たちは知らないかもしれないが,中年以上の世代にとってはどこかで名前ぐらいは聞いたことがあるはずで,いわば有名人に属する人である.有名人のことを書くのは初体験で,正直最初の頃は,しんどい部分もあった.6年前に亡くなったとはいえ,いままで書いてきた人たちと比べて,現代を生きた人であり,関係者の人たちの多くは存命し,各分野で活動している方も多い.しかもこういう場合,本人と会って話を聞くことが大事なことになるはずなのに,それもできなかった.だから最初の頃は,ただひたすら資料を集め,関係者の人たちと会って,話を聞くことに専念した.いままでは,対象となる人物のイメージを自分なりにつくってから書きはじめたのだが,今回はそれをせずに,みんなが語るありのままの神さんをそのまままず書くことにした.
 いま書き終えてみて,それが結果的には良かったかもしれないと思うようになっている.本人の話を聞けなかったのは残念だったが,もしも会ってしまえば,神さんの魔性に呼び込まれ,神さんが残したふたつの自伝『怪物魂』と『天機を盗む』の延長になったかもしれない.神さんの持っているさまざまな側面,優しさと冷酷さをあわせもつような,相反する二面性を,自分のなかで咀嚼せずに,そのまま書くことにより,等身大の神さんを描くことができたのではないかと思っている.
 取材のなかでは,神さんの故郷函館を訪ねた二度の旅が印象に残っている.奇妙に思われるかもしれないが,本人と直接会うことではなく,立待岬にある神さんのお墓を見て,神さんのことがとても好きになってしまった.海を背にして,ひっそりと立つ白い小さな墓を最期の住まいにしようとした神さんの思いが胸に滲みた.2回目に訪れたとき,この白い墓に供えられた小さな野の花が風に揺れている光景がいまも目に焼きついている.あれだけ派手に表舞台で活躍していた男としてはあまりにも慎ましい,この墓と野の花の組み合わせが,もしかしたら神さんが最も望んでいたありかただったようにも思える.
 今回の本は,呼び屋としていままで生きてきた私から神さんへ捧げるレクイエムでもある.願わくば,なにげなくひっそりと供えられたあの花のように,神さんのもとに届けることができたらと思っている.


著者紹介

大島幹雄(おおしまみきお)
1953年生まれ.アフタークラウディカンパニー(ACC)勤務.プロモーターとして主にサーカスやクラウンを海外から呼んだり,日本人パフォーマーのプロデュースを手がける.サーカス文化の会事務局長,石巻若宮丸漂流民の会事務局長,早稲田大学非常勤講師.
著書『サーカスと革命――道化師ラザレンコの生涯』平凡社,1990,『海を渡ったサーカス芸人――コスモポリタン沢田豊の生涯』平凡社,1993,『魯西亜から来た日本人――漂流民善六物語』廣済堂出版,1996,『シベリア漂流――玉井喜作の生涯』新潮社,1998,訳書『日本滞在日記――1804-1805』レザーノフ著,岩波文庫,2000.
大島幹雄氏のホームページ デラシネ通信 http://homepage2.nifty.com/deracine/

著者紹介
函館・立待岬の神家の墓.左側が神彰と妻義子の墓




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