差異と隔たり―他なるものへの倫理―


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編集部だより
著者からのメッセージ

 なにかを言いきってしまったあと,ふと後ろめたく感じることがあります.ほんとうだろうか,じぶんはべつのなにかを見おとしてしまったのではないか.そうおもうことがあります.
 あのひとはああいうひとだ,と口にしたとたん,じぶんには見せない,だから知ることのできない表情も含めて,そのひとのさまざまなおもざしが浮かびます.そんなとき,ある疚しさのなかで,世界と他者の測りがたさにおもいを馳せることになります.
 思考するということは,私にとって,そうした呟きを繰りかえすことと似ています.身体はじぶんのものだ,私は身体を所有している.ほんとうだろうか,と自問してしまいます.痛み,病み,避けがたく老いてゆく身体は,むしろ私にまとわりついて離れないものです.私は身体に取りつかれ,身体に所有されてしまう.
 過去は過ぎ去って,いまはない.だから,過去の存在は,想起されるそのありかたとひとしい.そうなのでしょうか.もしそのとおりだとすると,過ぎ去ったものごとにたいして感じられる,あの取りかえしのつかなさ,過ぎ去ってしまったひとに寄せられる,繰り言めいたおもいのすべては,行き場がなくなってしまうようにおもわれます.
 ことばは規則の体系である.そう言われることがあります.でも,それならなぜ,じぶんの切実なおもいは,ことばにしてもなかなか伝わらず,私が口にすることばが,避けがたくべつの意味をもってしまうのでしょうか.
 そんなことを繰りかえしかんがえながら,この本を仕上げました.思考のみちすじは,ですから,単純な一本道ではありません.むしろ行きつ戻りつ,じぶんの足場をたしかめようとするものとなっているとおもいます.でも,「思考」がたんなる「計算」とはべつのなにかであるとすれば,思考するいとなみは,どうしてもそのようでしかありえないのではないでしょうか.
 そのぶん,語りかたについては,できるだけ明晰であろうとつとめたつもりです.反復的に立ちかえってくる呟きめいた感覚に,論理のすじみちを与えようとするかぎり,思考を表現することばには,かなりの負荷がかかります.うまくことばの回路にのってこないことがらを,ぎりぎりことばによって語りだそうとするわけです.そうしたとき,ことばはできるだけ明晰であったほうがよい.輪郭がはっきりして,できれば感覚的に鮮明であれば,なお望ましい.そうおもいます.干からびた論理の積みかさねだけではなく,なるべく経験に寄りそって,その細やかな襞をたいせつにしたい.そうすることで,世界と他者の経験そのものにある光をあて,可能であれば,経験とその概念を更新したい.そうおもってきました.それが,私にとっては,哲学的な思考がもつ意味にほかなりません.
 この本のなかでかんがえられているのは,〈他なるもの〉,私とはことなるものがもつさまざまな側面です.〈他なるもの〉との関係という困難が,倫理の困難であるとすれば,私がこの本でかんがえたかったことがらは,倫理そのものの意味にかかわります.だからこの本は,倫理をめぐる本であり,倫理の意味について哲学的な思考をこころみた本であるとおもっています.
 世界はますます一元化し,どこか息苦しくなっています.そのような世界のなかで,ことばを信じ,しかしことばを疑いもするひとびとに読んでいただきたい.著者としては,そう希望してやみません.

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