これまでの芸術表現は技巧の上に思考や精神が合体した形式性や物質性に重点が置かれてきた.そうした形式化や枠組みにあらがう形でさまざまな前衛芸術運動が20世紀にはあらわれたわけだが,今要請されている表現はそうしたかつてのアヴァンギャルドの持っていた方向性とも異なり,もっと社会や時代に自己や表現を開いてゆくプロセスが重要視されてきている.美術館やギャラリーでなく,ワークショップやプロジェクト,パブリック・アートやコミュニティ・アートの重要性が叫ばれているのも,そうした流れのゆえだろう.そこでは従来の一方通行の関係ではなく相互的な関係が前提とされているからだ.芸術の歴史でコミュニケーションということがこれほど注目された時代はなかったのかもしれない.芸術の場が新しいコミュニケーションの場としても機能してゆくことが求められている.注目されているのは場が創り出す運動に意味や価値をみつけてゆくことである.
コミュニケーションという言葉には,メッセージの伝達という意味があるわけだが,それが成立するためには,相互の関係性の確立,そのための場の成立と保証,さらにその上でのメッセージの共有といった過程が踏まれて,はじめてコミュニケーションが確立される.もちろん,人間あってのコミュニケーションであるわけで,その背景には人間の存在が大前提となっている.人間をどのような存在であると,とらえるかによって,そのコミュニケーションのあり方も,コミュニケーションにおける価値観のあり方も変わってくる.このようにコミュニケーションに焦点を当てていった場合には,従来の作家のように自己の内部との対話を物質と技巧を通して刻み込む,という内向した,閉じたコミュニケーションの回路では無い,開かれた回路の生成を目指した活動が,作り手に求められることになる.つまり,美術という文脈を,コミュニケーションという視点からとらえる美術ということであり,美術館という制度によって保護されなくても成立する美術を作り出すということである.しかし,これはそれほど簡単なことではない.一般に美術館から離れると言うことは,美術という制度を失うことであり,それは同時にその背景となる文脈を失うことになるからである.
ここでは,新たな場を作りださなくてはならない.しかもそれ自身が独自の文脈を持っている必要がある.つまり,それが何のために作られたものであるかという理由がそれ自身に,自己再帰的に含まれている必要があるということだ.
(本書より) |