そのたびごとにただ一つ,世界の終焉 I
バルト,フーコーら「同時代の友」に捧げた〈別れの挨拶〉――デリダによる追悼文集,待望の邦訳.
バルト,フーコー,アルチュセール…….「友」と「時代」にデリダが捧げた追悼文集,ついに邦訳なる.愛する者を失うたびに訪れる「世界の終焉」で,いかなる「喪の仕事」が可能なのか? その声に耳を傾けることは,没後1年を迎えたデリダ自身の喪に服することへと繋がるだろう.各篇において書誌等の簡便な資料を付した.
■編集部からのメッセージ
本書は,2003年10月にガリレー社から刊行されたChaque fois unique, la fin du monde, prsent par Pascale-Anne Brault et Michael Naas の全訳です.原書は,2001年にシカゴ大学出版から刊行されたオリジナル版The Work of Mourningをフランス語に移し替え,新たに2篇を追加したものです.収められた16篇の文章は,すべてデリダと交流のあった知識人の死に際して雑誌・新聞等で発表されたものであり,ここに彼の「追悼文」を集成した初の文集が編まれることとなりました.16篇の文章は,第1章「ロラン・バルト」(1980年)から第16章「モーリス・ブランショ」(2003年)まで逝去の年次順に配列され,25年にわたるデリダの「喪の仕事」を俯瞰できる構成となっています.目に飛び込むのは,構造主義の中心をなしたフーコーやアルチュセール,「脱構築」の推進者ド・マン,「ポストモダン」を代表したリオタール,さらに20世紀の思想に決定的な影響を及ぼしたドゥルーズやレヴィナスといった人々の名であり,そこに1960年代以降のフランスにおける一つの思潮・時代の輝かしさと,その「死」を見出すこともできると思われます.したがって本書は,大きな時代の「死」に対する,「残存者」デリダの「喪の仕事」としての総括と見なしうるでしょうし,実際に,原書の編者(P=A・ブローとM・ネイス)はそのようなものとして企画・編集をしました.
しかし,ここに留意していただきたい事実があります.それは,デリダが当初,この文集の出版に賛意を示さなかったということです.
デリダが追悼文集の刊行に難色を示した理由,そして最終的に同意を示した理由は,本書の各章に見出すことができます.一言でいえば,それは「追悼文」というジャンルにおける,責任と誠実さの問題ということになるでしょう.デリダは,喪の言説に潜むあらゆる種類の不誠実を絶えず考慮していました.しかし彼は同時に,沈黙することを同等の不誠実として拒絶し続けます.こういった,応答の機会に対する誠実さの結果として,本書に収められた16篇の「追悼文」があり,その延長上に,刊行への最終的な賛同があったと言うべきでしょう.「ただ一つ」の機会に対して「そのたびごとに」応答すること.それが本書の思想であり,刊行理由そのものであると考えられます.
邦訳版刊行にあたり,編集部は上のような経緯を常に忘れぬよう心がけました.とりわけデリダが2004年10月に逝去し,本書刊行が一つの「追悼」となりうることを意識したとき,私たちにできるのは,デリダの誠実さに見合うかたちで,彼の誠実さをお伝えすることだけと考え,できるかぎりの誠実な編集を目指した次第です.
一人でも多くの方が,本書を手にとり,デリダの声に耳を傾けていただければ,心から嬉しく思います.
■編集部からのメッセージ
本書は,2003年10月にガリレー社から刊行されたChaque fois unique, la fin du monde, prsent par Pascale-Anne Brault et Michael Naas の全訳です.原書は,2001年にシカゴ大学出版から刊行されたオリジナル版The Work of Mourningをフランス語に移し替え,新たに2篇を追加したものです.収められた16篇の文章は,すべてデリダと交流のあった知識人の死に際して雑誌・新聞等で発表されたものであり,ここに彼の「追悼文」を集成した初の文集が編まれることとなりました.16篇の文章は,第1章「ロラン・バルト」(1980年)から第16章「モーリス・ブランショ」(2003年)まで逝去の年次順に配列され,25年にわたるデリダの「喪の仕事」を俯瞰できる構成となっています.目に飛び込むのは,構造主義の中心をなしたフーコーやアルチュセール,「脱構築」の推進者ド・マン,「ポストモダン」を代表したリオタール,さらに20世紀の思想に決定的な影響を及ぼしたドゥルーズやレヴィナスといった人々の名であり,そこに1960年代以降のフランスにおける一つの思潮・時代の輝かしさと,その「死」を見出すこともできると思われます.したがって本書は,大きな時代の「死」に対する,「残存者」デリダの「喪の仕事」としての総括と見なしうるでしょうし,実際に,原書の編者(P=A・ブローとM・ネイス)はそのようなものとして企画・編集をしました.
しかし,ここに留意していただきたい事実があります.それは,デリダが当初,この文集の出版に賛意を示さなかったということです.
「私はフランスにおいて,つまり「私の」国において「私の」言葉で,このような文集に率先的に手を染めようなどとは思いもしなかったでしょう.[…]私にとって,こうした文集が提示すると思われる残存者の立場は「私の」言葉のなかに留まり続けると思いますが,それとはまったく別に,そうした言葉は私にとっては依然として耐え難いものであり続けているのです.不謹慎,さらには,猥らなままであり続けているのです」.(「序文」より)
デリダが追悼文集の刊行に難色を示した理由,そして最終的に同意を示した理由は,本書の各章に見出すことができます.一言でいえば,それは「追悼文」というジャンルにおける,責任と誠実さの問題ということになるでしょう.デリダは,喪の言説に潜むあらゆる種類の不誠実を絶えず考慮していました.しかし彼は同時に,沈黙することを同等の不誠実として拒絶し続けます.こういった,応答の機会に対する誠実さの結果として,本書に収められた16篇の「追悼文」があり,その延長上に,刊行への最終的な賛同があったと言うべきでしょう.「ただ一つ」の機会に対して「そのたびごとに」応答すること.それが本書の思想であり,刊行理由そのものであると考えられます.
邦訳版刊行にあたり,編集部は上のような経緯を常に忘れぬよう心がけました.とりわけデリダが2004年10月に逝去し,本書刊行が一つの「追悼」となりうることを意識したとき,私たちにできるのは,デリダの誠実さに見合うかたちで,彼の誠実さをお伝えすることだけと考え,できるかぎりの誠実な編集を目指した次第です.
一人でも多くの方が,本書を手にとり,デリダの声に耳を傾けていただければ,心から嬉しく思います.
■Ⅰ目次
序文(ジャック・デリダ)
ジャック・デリダ書誌
序論(P=A・ブロー/M・ネイス)
Ⅰ ロラン・バルト(1915-1980)……エッセイスト,文芸批評家
Ⅱ ポール・ド・マン(1919-1983)……文学批評理論家
Ⅲ ミシェル・フーコー(1926-1984)……哲学者
Ⅳ マックス・ロロー(1928-1990)……詩人・哲学者
Ⅴ ジャン=マリー・ブノワ(1942-1990)……教育者・ジャーナリスト・哲学者
Ⅵ ルイ・アルチュセール(1918-1990)……哲学者
Ⅶ エドモン・ジャベス(1912-1991)……詩人
Ⅷ ジョウゼフ・N・リデル(1931-1991)……文学批評理論家
Ⅸ ミシェル・セルヴィエール(1941-1991)……美学者・詩人
■Ⅱ目次
Ⅹ ルイ・マラン……哲学者・芸術史家
XI サラ・コフマン……哲学者
XII ジル・ドゥルーズ……哲学者
XIII エマニュエル・レヴィナス……哲学者
XIV ジャン=フランソワ・リオタール……哲学者・エッセイスト
XV ジェラール・グラネル……現象学者・翻訳家
XVI モーリス・ブランショ……作家・批評家
訳者あとがき(土田知則)
序文(ジャック・デリダ)
ジャック・デリダ書誌
序論(P=A・ブロー/M・ネイス)
Ⅰ ロラン・バルト(1915-1980)……エッセイスト,文芸批評家
Ⅱ ポール・ド・マン(1919-1983)……文学批評理論家
Ⅲ ミシェル・フーコー(1926-1984)……哲学者
Ⅳ マックス・ロロー(1928-1990)……詩人・哲学者
Ⅴ ジャン=マリー・ブノワ(1942-1990)……教育者・ジャーナリスト・哲学者
Ⅵ ルイ・アルチュセール(1918-1990)……哲学者
Ⅶ エドモン・ジャベス(1912-1991)……詩人
Ⅷ ジョウゼフ・N・リデル(1931-1991)……文学批評理論家
Ⅸ ミシェル・セルヴィエール(1941-1991)……美学者・詩人
■Ⅱ目次
Ⅹ ルイ・マラン……哲学者・芸術史家
XI サラ・コフマン……哲学者
XII ジル・ドゥルーズ……哲学者
XIII エマニュエル・レヴィナス……哲学者
XIV ジャン=フランソワ・リオタール……哲学者・エッセイスト
XV ジェラール・グラネル……現象学者・翻訳家
XVI モーリス・ブランショ……作家・批評家
訳者あとがき(土田知則)
ジャック・デリダ Jacques Derrida
1930年,アルジェリア生まれ.1984年,社会科学高等研究院(フランス,パリ)教授に就任.主な著書に,『エクリチュールと差異』(L' criture et la diffrence, Le Seuil, 1967),『根源の彼方に』(De la grammatologie, Minuit, 1967)『声と現象』(La voix et le phnomne, PUF, 1967),『絵画における真理』(La vrit en peinture, Flammarion, 1978),『シボレート』(Schibboleth, Galile, 1986),『名を救う』(Sauf le nom, Galile, 1993),『友愛のポリティックス』(Politiques de l' amiti,Galile, 1994)『死を与える』(Donner la mortm, Galile, 1999)等がある.2004年10月9日,パリの病院で死去.土田知則(つちだ とものり)
1956年生まれ.千葉大学文学部教授.〈著書〉『間テクスト性の戦略』(夏目書房,2000年)ほか.〈訳書〉ジャック・デリダ『ジャック・デリダのモスクワ』(夏目書房,1996年),マーティン・マックィラン『ポール・ド・マンの思想』(新曜社,2002年)ほか.
岩野卓司(いわの たくじ)
1959年生まれ.明治大学法学部助教授.〈論文〉 《Philosophie et Technique autour de l'Universit 》, Horizons philosophiques vol 5 (2), Collge Edouard-Monpetit, Printemps 1995,「『神の死』とジョルジュ・バタイユにおける体験の思想」(『フランス哲学思想研究』第8号,日仏哲学会,2003年)ほか.〈訳書〉『哲学のポストモダン』(ユニテ、1985年).
藤本一勇(ふじもと かずいさ)
1966年生まれ.早稲田大学第一文学部助教授.フランス哲学専攻.〈著書〉『批判感覚の再生』(白澤社,2006年),〈論文〉「夢の政治学」(『思想』第269号,岩波書店,2005年1月),〈訳書〉『アデュー――エマニュエル・レヴィナスへ』(岩波書店,2004年)ほか.
國分功一郎(こくぶん こういちろう)
1974年生まれ.東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍.〈論文〉「スピノザのデカルト読解をどう読解すべきか――『デカルトの哲学原理』におけるコギト」(『スピノザーナ』第5号,スピノザ協会,2004年3月),「総合的方法の諸問題――ドゥルーズとスピノザ」(『思想』950号,岩波書店,2003年6月)ほか.〈訳書〉『マルクスと息子たち』(岩波書店,2004年).
1930年,アルジェリア生まれ.1984年,社会科学高等研究院(フランス,パリ)教授に就任.主な著書に,『エクリチュールと差異』(L' criture et la diffrence, Le Seuil, 1967),『根源の彼方に』(De la grammatologie, Minuit, 1967)『声と現象』(La voix et le phnomne, PUF, 1967),『絵画における真理』(La vrit en peinture, Flammarion, 1978),『シボレート』(Schibboleth, Galile, 1986),『名を救う』(Sauf le nom, Galile, 1993),『友愛のポリティックス』(Politiques de l' amiti,Galile, 1994)『死を与える』(Donner la mortm, Galile, 1999)等がある.2004年10月9日,パリの病院で死去.土田知則(つちだ とものり)
1956年生まれ.千葉大学文学部教授.〈著書〉『間テクスト性の戦略』(夏目書房,2000年)ほか.〈訳書〉ジャック・デリダ『ジャック・デリダのモスクワ』(夏目書房,1996年),マーティン・マックィラン『ポール・ド・マンの思想』(新曜社,2002年)ほか.
岩野卓司(いわの たくじ)
1959年生まれ.明治大学法学部助教授.〈論文〉 《Philosophie et Technique autour de l'Universit 》, Horizons philosophiques vol 5 (2), Collge Edouard-Monpetit, Printemps 1995,「『神の死』とジョルジュ・バタイユにおける体験の思想」(『フランス哲学思想研究』第8号,日仏哲学会,2003年)ほか.〈訳書〉『哲学のポストモダン』(ユニテ、1985年).
藤本一勇(ふじもと かずいさ)
1966年生まれ.早稲田大学第一文学部助教授.フランス哲学専攻.〈著書〉『批判感覚の再生』(白澤社,2006年),〈論文〉「夢の政治学」(『思想』第269号,岩波書店,2005年1月),〈訳書〉『アデュー――エマニュエル・レヴィナスへ』(岩波書店,2004年)ほか.
國分功一郎(こくぶん こういちろう)
1974年生まれ.東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍.〈論文〉「スピノザのデカルト読解をどう読解すべきか――『デカルトの哲学原理』におけるコギト」(『スピノザーナ』第5号,スピノザ協会,2004年3月),「総合的方法の諸問題――ドゥルーズとスピノザ」(『思想』950号,岩波書店,2003年6月)ほか.〈訳書〉『マルクスと息子たち』(岩波書店,2004年).