皇帝の行う祭祀というと,現実世界から遊離した煩瑣な儀礼が想像されるかもしれない.中国では,儒教の経書(けいしょ)をもとにした皇帝祭祀が前漢末から後漢初頭に成立し,後世に受け継がれた.北京の名所の一つ天壇(てんだん)公園も,明・清の皇帝が天を祀った場所である.経書の内容は変わらないから,中国の皇帝祭祀制度の枠組み自体は後漢から清朝まであまり変わらなかったといえる.しかし,運用の実態を探ると,各王朝において大きな相違を見せていることが判明する.
本書は,皇帝の祭祀の中でも重要な郊祀(天地の祭祀)と宗廟(祖先の祭祀)について,漢から唐までの制度と運用実態の両面から明らかにしたものである.
私がこの問題に着手した30年前には,各王朝の制度そのものから明らかにする必要があった.ところが唐代では,実際には皇帝が自分で行う皇帝親祭と役人が代行する有司摂事(ゆうしせつじ)との区別があることも判った.そこで遡って調べてみると,後漢末から三国初期,西晉から東晉への移行期,という動乱期に天の祭祀が皇帝親祭で頻繁に行われていた,つまり,王朝が危機的な情況に陥ると,皇帝親祭が意識的に運用されるようになるのである.
その後,東晉や南朝では郊祀や宗廟の祭祀が皇帝親祭で定期的に行われ,一方で北朝は南朝に対抗して皇帝や天子を名乗るために中国の郊祀を導入した.しかし,遊牧民族には伝統的な天の祭祀もあるので,初期にはそれが皇帝親祭,郊祀が有司摂事で行われた.こうして,北朝で皇帝親祭と有司摂事とを使い分けるやり方が登場し,唐代に至るのである.唐の次の宋代に至ると,3年に一度の皇帝親祭による冬至の郊祀が首都を挙げてのイベントとなるが,その下地は北朝から唐にかけて用意されたのである.
このように,制度のうえではほとんど同じように見える皇帝の祭祀も,運用の実態を見ていくとさまざまな変化があった.こうした皇帝祭祀の諸側面を明らかにすることで,中国の皇帝支配のさまざまな特色が見てとれるのである. |