101年目の孤独

希望の場所を求めて

「弱さ」から世界を見る.文学と現実の関係を深く考え続けてきた著者初のルポルタージュ.

101年目の孤独
著者 高橋 源一郎
ジャンル 書籍 > 単行本 > 評論・エッセイ
刊行日 2013/12/25
ISBN 9784000245203
Cコード 0095
体裁 四六 ・ 上製 ・ 178頁
在庫 品切れ
ダウン症の子どもたちのアトリエ.クラスも試験も宿題もない学校.身体障害者だけの劇団.認知症の老人たちと共に暮らし最後まで看取ろうとする人々.死にゆく子どもたちのためのホスピス.足を運び,作家は考える.弱さとは何か.生きるという営みの中には何が起きているのか.文学と現実の関係を考え続けてきた著者初のルポルタージュ.

■編集部からのメッセージ

「だが,この経験はわたしを変えたように思う」.
 数年前のある個人的な経験――どんな経験かは本書を読んでください――の後,高橋さんは思うところあって,いくつもの場所や施設を訪れ,様々な人々の話を聞くようになりました.
 たとえばダウン症の子どもたちのアトリエ,クラスも試験も宿題もない学校,身体障害者ばかりの劇団.それから,平均年齢が60歳を超える過疎の島で原発建設に反対する人たち,認知症の老人たちと共に暮らし最後まで看取ろうとしている人たち.あるいはまた,電気を使わない「非電化」製品を発明する人,愛の対象となる人形を作る工房…….
 本書はそうした場所と人の記録です.高橋さんにとっては初めてのルポルタージュとなります.ある時には,こんな感想が語られるでしょう.

 「彼らの住む世界は,わたしたちの世界,「ふつう」の人びと,「健常者」と呼ばれる人びとの住む世界とは少し違う.彼らは,わたしたちとは,異なった論理で生きている.一見して「弱く」見える彼らは,わたしたちの庇護を必要しているように見える.
 だが,彼らの世界を歩いていて,わたしたちは突然,気づくのである.彼らがわたしたちを必要としているのではない,わたしたちが彼らを必要としているのだ,ということに.」

 日本が近代化をなしとげてからの年月を仮に100年とするならば,100年の果てに我々はどんな場所に立っているのでしょうか.社会は次第に,ぎすぎすとし,荒み,痛んでいるように見えます.こんなに寛容さの足りない国だったっけ,というようなことも多い.幸福な社会とはいいがたいように思います.
 それでも,排他的になったり声高に批判したりするのではなく,自分とは少し別様の世界を生きる他者の息づかいに耳をすまし,理解しようとしたり寄り添ったり,共に生きるための場を自らの手でつくろうとする人々がいる――そんな場所が現実にあることを,本書は知らせることになるでしょう.行き詰まってしまったような100年の時間のそのあと,101年目以降,よすがとなるものは,こんな所に見いだせるのかもしれない……本書を編集しながらそんなことを感じています.
【編集部:大矢一哉】
まえがき
いいんだよ,そのままで――ダウン症の子どもたちのための絵画教室
たいへんなからだ――身体障害者の劇団「態変」
愛のごと――「人間以上」のものを愛することについて
電気の哲学者――非電化工房代表の藤村靖之博士
山の中に子どもたちのための学校があった――南アルプス子どもの村小学校
尾 道――「東京物語」2013
ベアトリスのこと――子どもホスピス,マーチン・ハウス 前編
ここは悲しみの場所ではない――子どもホスピス,マーチン・ハウス 後編

 長いあとがき



高橋源一郎(たかはし げんいちろう)
1951年生まれ.作家.明治学院大学国際学部教授.
1981年,『さようなら,ギャングたち』(講談社)で第4回群像新人長編小説賞優秀作受賞.『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社,1988年)で第1回三島由紀夫賞受賞,『日本文学盛衰史』(講談社,2002年)で第13回伊藤整文学賞受賞,『さよならクリストファー・ロビン』(新潮社,2012年)で第48回谷崎潤一郎賞を受賞.ほかに,『「悪」と戦う』(河出書房新社,2010年),『恋する原発』(講談社,2011年),『銀河鉄道の彼方に』(集英社,2013年)など

書評情報

週刊現代 2014年6月7日号
ダ・ヴィンチ 2014年4月号
信濃毎日新聞(朝刊) 2014年3月16日
北海道新聞(朝刊) 2014年3月9日
東京新聞(夕刊) 2014年3月6日
日刊ゲンダイ 2014年2月28日
AERA 2014年2月17日号
神奈川新聞 2014年2月16日
週刊現代 2014年2月8日号
滋賀民報 2014年1月19日号
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