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本書は,現代韓国で最も人気のある詩人の一人,白 石(ペク ソク,1912〜95?年)の生誕百年を記念し,日本で初めて編まれた彼の訳詩集である.彼の創作活動の最盛期は1930年代後半から40年代で,本書第一部に収録した詩集『鹿』が出版された1936年,当時の朝鮮で最も優れた文学評論家・金 起 林は,次のように高く評価した.「詩集『鹿』の世界は,この詩人の記憶の中に潜んでいる童話と伝説の国である.そして,その中に偽りのない郷土の顔が現れる.それなのに,私たちはいかなる回想的な感傷主義にも,復古主義の喚起にも出会わない……鉄石の冷淡さに匹敵する不動の精神をもって対象に向きあう点で,『鹿』は外観上の徹底した郷土愛にもかかわらず,無分別な郷土主義とは明瞭に区別されるモダニティを懐いている.」
解放後,彼は故郷の朝鮮北部で暮らしつづけたため,彼の存在は長い間忘れ去られていたが,1987年の民主化後は韓国で白 石文学への関心が急速に高まり,現在までに出版された白 石関連の本は50冊を超えた.白 石の詩は方言や古語,独自のハングルの綴り方まで駆使しているため,原文のままでは一般読者には難しく,多くの研究者によって様々な解説が試みられてきた.本書は,これらの研究書を参考にして1940年代までの作品を収録した編訳書である.
(青柳優子)
日本の敗戦直前,福岡の刑務所で27歳の若さで獄死した朝鮮の詩人・尹 東 柱(ユン ドン ジュ)がもっとも愛し,影響を受けたといわれるのが,この白 石(ペク ソク)です.尹 東 柱は,限定版で出版された白 石の詩集『鹿』を高くて買うことが出来ず,筆写して,留学先の日本まで持っていったのです.彼の遺品の中に,この自筆の『鹿』があったことはよく知られています.1930年代日本の植民地支配下にあった朝鮮は,モダニティ全盛の時代,その中で,古語や方言を駆使し,また独自の字体まで使って白 石が表現したのは,失われつつある朝鮮の原風景でした.だからこそ,分断されて60年以上が経つ朝鮮半島で,かつての分断されていない朝鮮の原風景が読まれ,愛され続けているのでしょう.解放後は朝鮮北部に住み,1960年代には消息を絶って,亡くなったものとばかり思われていましたが,最近になり,1995年か96年まで存命であったことが分りました.そうした謎めいた生涯も,彼への関心を高めているのかもしれません.難しい翻訳を,青柳優子さんが見事な日本語にして下さいました.多くの方がこの天才詩人の技を,翻訳を通じて味わっていただければと思います.
![]() 白 石(ペク・ソク)
朝鮮の詩人(1912〜1995?年).モダニズムへの関心が高まった1930年代の植民地支配下の朝鮮で,方言や古語,あるいは独自のハングルの綴りまで駆使して,朝鮮の「原風景」を詩の世界に紡ぎだした.1936年,詩集『鹿』出版.解放後,北朝鮮に住んで翻訳などに従事した.民主化後の韓国で急速に関心が高まり,多くの紹介書,研究書が出ている.
青柳 優子(あおやぎ・ゆうこ)
第一部 詩集『鹿』
「斑牛の長い鳴き声」
カヅェランの家
狐谷の一族
納屋
焚火
古夜
鴨 子馬 兎
「石臼の水」
初冬日
夏の田
旅籠屋 寂境
未明界
城外
秋日山朝
広原
白い夜
「のろじか」
青柿
山雨
寂しい道
柘榴
山葡萄の夜
女僧
修羅
雨
のろじか
「国守堂を越え」
寺の牛の話
統営
オグムドンイというところ
柿崎の海
定州城
彰義門外
旌門村
狐谷
三防
第二部 詩集『鹿』以外の詩
山地
わたしとミミズ
統営
鴨
ひき臼小屋
黄日
湯薬
伊豆国湊街道
南行詩抄(一)昌原の道
南行詩抄(二)統営
南行詩抄(三)固城街道
南行詩抄(四)三千浦
咸州詩抄 北関
のろじか
古寺
膳友辞
山谷
海
秋夜一景
山中吟 山宿
饗楽
夜半
白樺
わたしとナターシャと白い驢馬
夕陽
故郷
絶望
母の実家
犬
わたしが考えることは
わたしがこのように素知らぬふりをして
水鶏の声 三湖
物界里
大山洞
南郷
夜雨小懐
飯蛸
蜆の楽
ホオジロの声
天蛾の来る夕べ
山向こうの家の虎のような曾祖母ちゃん
童尿賦
安東
咸南道安
西行詩抄(一)球場路
西行詩抄(二)北新
西行詩抄(三)八院
西行詩抄(四)月林場
木具
西瓜の種,南瓜の種
北方にて――鄭 玄 雄へ
許俊
「かぼちゃの花灯籠」序詩
帰農
蕎麦
白壁があり
村から来た子
澡塘にて
杜甫や李白のように
山
寂寞江山
村はみな鬼神となり
七月盂蘭盆
南新義州柳洞 朴時逢方
解題
収録作品年譜
白 石年譜
あとがき
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