水俣から,未来へ
水俣病公式確認から半世紀.未だ出口の見えない問題をさまざまな視点から克明に追い,未来に向けて発信する.
水俣病が公式確認されてから半世紀が過ぎた.しかし問題は未だ解決からは程遠い.熊本日日新聞社は地元新聞社として総力を挙げて人びとの「今」を掘り起こし,一年半にわたって克明に伝えてきた.また当事国として海外の取組みにもかかわり,国や県,原因企業にも密着して,丹念な取材で迫った.いま,未来を見据えつつ,ミナマタからのメッセージを発信する.
■著者からのメッセージ
「公害の原点」と呼ばれる水俣病は2006年,公式確認50年を迎えた.さまざまな記念行事があり,多くの人々やメディアが水俣の地を訪れ,さまざまな風を巻き起こした.ところが,一部を除き各種の報道は地元で犠牲者慰霊式が開かれた5月1日を境に,潮が引いたように目立たなくなっていった.私たちは,節目の時だけの一過性の報道はしたくなかった.救済が進まない被害者にとって,49年目も50年目も51年目も変わらない.むしろ,高齢化が加わり症状が進む分だけ,問題は深刻化している.
水俣病問題を取材していると,それがさまざまな問題につながっていると気づかされる.水俣病の患者認定制度は,被害を狭く小さくとらえ,多くの潜在的な被害者を切り捨ててきた.その構図は,原爆症認定,カネミ油症,トンネルじん肺,薬害肝炎など,被害者が長く苦しんできた国内の多くの問題と相似形をなしている.さらには,「水俣病を体験した日本がなぜ国際社会で水銀など有害金属規制のリーダーシップをとらないのか」という疑問は,「唯一の被爆国の日本が核兵器廃絶で真のリーダーシップを果たしているのか」といった問いかけと相似形だ.水俣病の実像と教訓を学び,それを伝え続けるということは,この国と世界のあり方を考える上で,大きな意味がある.
■編集部からのメッセージ
水俣病が公式確認されてから半世紀以上が過ぎました.けれども問題は未だ解決からは程遠いところにあります.膨大な数の未認定患者,差別や偏見のために埋もれてしまっている被害の実態,進む被害者の高齢化と症状の悪化…….関西水俣病訴訟最高裁での被害者たち原告の画期的な勝訴にもかかわらず,国と原因企業チッソは苦しむ患者たちの救済に動こうとしていません.
熊本日日新聞社は公式確認50年の2006年から1年半にわたって地元新聞社として丹念な取材で人びとの「今」を掘り起こし,国や県,原因企業にも迫りながら連載を続けてきました.さらに当事国として海外の取組みにも注目する一方で,悲惨な歴史を乗り越え「環境都市」として再生をめざす市民たちの動きも克明に伝えた一連の報道は,2007年の日本ジャーナリスト会議大賞に輝きました.ミナマタ発の「未来へのメッセージ」としてこの本を届けます.
(編集部 山田まり)
■著者からのメッセージ
「公害の原点」と呼ばれる水俣病は2006年,公式確認50年を迎えた.さまざまな記念行事があり,多くの人々やメディアが水俣の地を訪れ,さまざまな風を巻き起こした.ところが,一部を除き各種の報道は地元で犠牲者慰霊式が開かれた5月1日を境に,潮が引いたように目立たなくなっていった.私たちは,節目の時だけの一過性の報道はしたくなかった.救済が進まない被害者にとって,49年目も50年目も51年目も変わらない.むしろ,高齢化が加わり症状が進む分だけ,問題は深刻化している.
水俣病問題を取材していると,それがさまざまな問題につながっていると気づかされる.水俣病の患者認定制度は,被害を狭く小さくとらえ,多くの潜在的な被害者を切り捨ててきた.その構図は,原爆症認定,カネミ油症,トンネルじん肺,薬害肝炎など,被害者が長く苦しんできた国内の多くの問題と相似形をなしている.さらには,「水俣病を体験した日本がなぜ国際社会で水銀など有害金属規制のリーダーシップをとらないのか」という疑問は,「唯一の被爆国の日本が核兵器廃絶で真のリーダーシップを果たしているのか」といった問いかけと相似形だ.水俣病の実像と教訓を学び,それを伝え続けるということは,この国と世界のあり方を考える上で,大きな意味がある.
■編集部からのメッセージ
水俣病が公式確認されてから半世紀以上が過ぎました.けれども問題は未だ解決からは程遠いところにあります.膨大な数の未認定患者,差別や偏見のために埋もれてしまっている被害の実態,進む被害者の高齢化と症状の悪化…….関西水俣病訴訟最高裁での被害者たち原告の画期的な勝訴にもかかわらず,国と原因企業チッソは苦しむ患者たちの救済に動こうとしていません.
熊本日日新聞社は公式確認50年の2006年から1年半にわたって地元新聞社として丹念な取材で人びとの「今」を掘り起こし,国や県,原因企業にも迫りながら連載を続けてきました.さらに当事国として海外の取組みにも注目する一方で,悲惨な歴史を乗り越え「環境都市」として再生をめざす市民たちの動きも克明に伝えた一連の報道は,2007年の日本ジャーナリスト会議大賞に輝きました.ミナマタ発の「未来へのメッセージ」としてこの本を届けます.
(編集部 山田まり)
はじめに
第一章 不知火海を歩く
巻頭ルポ 原田正純さんと歩く水俣
1 鹿児島…隣町の「他県」
コラム 水俣病基礎知識
2 芦北…埋もれた「患者たち」
3 御所浦…「隠れ水俣病の島」
4 水俣編…胎児性患者の問い掛け
エッセイ 花びら供養 石牟礼道子
第二章 Minamata に学ぶ海外
1 各国の連携で水銀削減を
2 地球を襲う微量水銀
コラム 水銀マジソン宣言
コラム その後の国際社会と日本政府の動き
第三章 行政と企業の論理と倫理を問う
1 補償・救済,終わりなき混迷
コラム 故川本輝夫さんの闘い
2 官の論理
3 国策会社チッソ
第四章 水俣からの発信
1 若者たちの水俣
2 未来への約束
コラム 産廃――市民たちの選択
おわりに――「水俣病五〇年」
水俣への手紙
あとがき
第一章 不知火海を歩く
巻頭ルポ 原田正純さんと歩く水俣
1 鹿児島…隣町の「他県」
コラム 水俣病基礎知識
2 芦北…埋もれた「患者たち」
3 御所浦…「隠れ水俣病の島」
4 水俣編…胎児性患者の問い掛け
エッセイ 花びら供養 石牟礼道子
第二章 Minamata に学ぶ海外
1 各国の連携で水銀削減を
2 地球を襲う微量水銀
コラム 水銀マジソン宣言
コラム その後の国際社会と日本政府の動き
第三章 行政と企業の論理と倫理を問う
1 補償・救済,終わりなき混迷
コラム 故川本輝夫さんの闘い
2 官の論理
3 国策会社チッソ
第四章 水俣からの発信
1 若者たちの水俣
2 未来への約束
コラム 産廃――市民たちの選択
おわりに――「水俣病五〇年」
水俣への手紙
あとがき
1942年創刊され,熊本県を中心に朝刊,夕刊を発行する.
これまでの著作には『ハンセン病とともに 心の壁を超える』(岩波書店),『検証ハンセン病史』(河出書房新社),『報道写真集 水俣病50年』」(熊本日日新聞社),『巨大ダムに揺れる子守唄の村』(新風舎文庫),『冤罪 免田事件』(同),『オウム真理教とムラの論理』(朝日文庫)などがある.
〒860‐8506 熊本市世安町172 代表096(361)3111
これまでの著作には『ハンセン病とともに 心の壁を超える』(岩波書店),『検証ハンセン病史』(河出書房新社),『報道写真集 水俣病50年』」(熊本日日新聞社),『巨大ダムに揺れる子守唄の村』(新風舎文庫),『冤罪 免田事件』(同),『オウム真理教とムラの論理』(朝日文庫)などがある.
〒860‐8506 熊本市世安町172 代表096(361)3111
書評情報
ジャーナリスト 2008年12月25日号
熊本日日新聞(朝刊) 2008年9月14日
信濃毎日新聞(朝刊) 2008年8月3日
しんぶん赤旗 2008年7月27日
信濃毎日新聞(朝刊) 2008年7月20日
北海道新聞(朝刊) 2008年7月20日
高知新聞(朝刊) 2008年7月15日
新聞研究 2008年7月号
神戸新聞(朝刊) 2008年6月8日
熊本日日新聞(朝刊) 2008年9月14日
信濃毎日新聞(朝刊) 2008年8月3日
しんぶん赤旗 2008年7月27日
信濃毎日新聞(朝刊) 2008年7月20日
北海道新聞(朝刊) 2008年7月20日
高知新聞(朝刊) 2008年7月15日
新聞研究 2008年7月号
神戸新聞(朝刊) 2008年6月8日