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2019.04.23
新日本古典文学大系 1
萬葉集 1
天皇も歌い,兵士も歌った,日本の歌の夜明け.今,新たな注釈の中に,万葉集が未知の相貌を現わす.
天皇も歌い,兵士も歌った,日本の歌の夜明け.万葉集が編まれてから千余年,この歌集は絶えず人々の心を捕えてやまなかった.その魅力と謎の解明に生涯をかけた先人たちの足跡をたどり,研究の歴史に未知の地平を拓く注釈の光を受けて,万葉集はいま我々の前に新たな相貌を現わす.本分冊には巻1~5を収めた.
■完結によせて
西郷信綱
わわしいこの世に,新日本古典文学大系全巻が完結したのは,すばらしい.新釈に富むという『万葉集』あたりから読んでみたらどうか.俳諧好きなら『芭蕉七部集』を撰び,「冬の日」をしたたか浴びたら,さぞ楽しい勉強になるだろう.散文ならやはり『源氏物語』か.あの平安朝に宮仕えの一女性が,国際的とも呼ぶべき長篇の傑作を創造した,そのしんしんたる力の源泉はどこに蔵されていたのか.解明さるべき深い謎が,今もってどこやらに潜んでいると私は思う.なお700頁に及ぶ『源氏物語索引』つきである.
馬場あき子 (歌人)
新日本古典文学大系には今まで注釈がなくて読みきれなかった古典が沢山入っていて宝の山のようだ.歌よみとしては八代集が揃っている喜びも大きいが『六百番歌合』の俊成判が今日のことのように読めるのも魅力.何より文学の中枢をなしていた歌ことばへの私心のない深さ広さが心に沁みる.時代の波をくぐりぬけてきたさまざまな文学に触れることは,物を見る格別の力を得ることであり,まさに昔は今という往還の醍醐味である.
山折哲雄 (宗教学者)
いま,古典の季節である.社会が病み,人心が倦む時,古典が道標となる.
古典は,いつでも伝統に寄り添っているばかりではない.現代人の疲弊した心臓部に侵入して,それを活き返らせる.それが古典の力である.
そう思うとき,新日本古典文学大系全105巻が16年の歳月をかけて完成されたことの意義は大きい.その壮挙に心からの敬意を表したいと思う.
■編集を終えて
1989年に配本を開始した新日本古典文学大系は,ここに全105巻を上梓し,完結を見るに至った.これもひとえに知の探求に誠実な努力を重ねられた校注者各位,不易な書物の出版に情熱を注がれた関係者諸氏,そして終始温かい声援を惜しまれなかった読者の方々の賜物と,深謝申し上げる.ただ,痛恨の極みは,編集委員のうち大曾根章介氏,また校注者のうち数名の方々ともはやこの喜びを分かちあえないことである.しかしかの人々も必ずや白玉楼の中から本大系の完結を喜んでくださっていることであろう.
昨今の精神文化の荒廃は目を覆いたくなるほどである.今こそ日本の古典は,世代を超えて,新しい知性,柔軟な心と感性によって,読み直され,読み継がれねばならない.かつての日本古典文学大系の成果をふまえて,新たに古典の数々を精選した本大系が,そのための基本図書となることを信じて,読者の皆様の更なるお力添えをお願い申し上げたい.
佐竹昭広・久保田淳・中野三敏
■完結によせて
西郷信綱
わわしいこの世に,新日本古典文学大系全巻が完結したのは,すばらしい.新釈に富むという『万葉集』あたりから読んでみたらどうか.俳諧好きなら『芭蕉七部集』を撰び,「冬の日」をしたたか浴びたら,さぞ楽しい勉強になるだろう.散文ならやはり『源氏物語』か.あの平安朝に宮仕えの一女性が,国際的とも呼ぶべき長篇の傑作を創造した,そのしんしんたる力の源泉はどこに蔵されていたのか.解明さるべき深い謎が,今もってどこやらに潜んでいると私は思う.なお700頁に及ぶ『源氏物語索引』つきである.
馬場あき子 (歌人)
新日本古典文学大系には今まで注釈がなくて読みきれなかった古典が沢山入っていて宝の山のようだ.歌よみとしては八代集が揃っている喜びも大きいが『六百番歌合』の俊成判が今日のことのように読めるのも魅力.何より文学の中枢をなしていた歌ことばへの私心のない深さ広さが心に沁みる.時代の波をくぐりぬけてきたさまざまな文学に触れることは,物を見る格別の力を得ることであり,まさに昔は今という往還の醍醐味である.
山折哲雄 (宗教学者)
いま,古典の季節である.社会が病み,人心が倦む時,古典が道標となる.
古典は,いつでも伝統に寄り添っているばかりではない.現代人の疲弊した心臓部に侵入して,それを活き返らせる.それが古典の力である.
そう思うとき,新日本古典文学大系全105巻が16年の歳月をかけて完成されたことの意義は大きい.その壮挙に心からの敬意を表したいと思う.
■編集を終えて
1989年に配本を開始した新日本古典文学大系は,ここに全105巻を上梓し,完結を見るに至った.これもひとえに知の探求に誠実な努力を重ねられた校注者各位,不易な書物の出版に情熱を注がれた関係者諸氏,そして終始温かい声援を惜しまれなかった読者の方々の賜物と,深謝申し上げる.ただ,痛恨の極みは,編集委員のうち大曾根章介氏,また校注者のうち数名の方々ともはやこの喜びを分かちあえないことである.しかしかの人々も必ずや白玉楼の中から本大系の完結を喜んでくださっていることであろう.
昨今の精神文化の荒廃は目を覆いたくなるほどである.今こそ日本の古典は,世代を超えて,新しい知性,柔軟な心と感性によって,読み直され,読み継がれねばならない.かつての日本古典文学大系の成果をふまえて,新たに古典の数々を精選した本大系が,そのための基本図書となることを信じて,読者の皆様の更なるお力添えをお願い申し上げたい.
佐竹昭広・久保田淳・中野三敏