マックス・ウェーバー(1864〜1920)は近代の「脱魔術化」=「合理化」を不可避の運命として受け入れる一方,比較の方法により近代西欧の価値範疇を相対化しました.「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では,西洋資本主義の成立の思想史的根拠を問い,その将来について「精神のない専門人,心情のない享楽人」の出現を予測し,生の意味を喪失した近代人を批判しました.また講演「職業としての学問」では,学問はもろもろの事実的連関の自覚と認識を役目としており,何らかの価値観なり世界観なりを提示するものではないと力説しました.「真の実在」なり「真の幸福」への道として科学=学問の意味を確定しようとする試みをウェーバーは幻影として斥けました.これは,ニーチェが「神は死んだ」と述べ,真理を世界の意味の探究と正しい実践に結び付ける西洋の知の伝統に楔を打ち込んだ後の,20世紀初頭の痛切な時代認識でした.第一次大戦の投じた巨大なニヒリズムの波紋が近代的な学知や理性そのものへの幻滅となって広がっていたという時代状況にあって,ウェーバーは終生,生の意味を追究し,価値に関わる存在論的・認識論的問題と格闘し続けたのでした.
本書『マックス・ウェーバーと近代』は著者の処女作で,単行本版は1986年に御茶の水書房から刊行された,全四章構成の書です.今回の文庫版はそのうち三章を大幅に書き換え,さらに現代アメリカニズムの問題を柱に建てた一章を加え,ウェーバー社会科学の今日的意義を説いた,誠に知的刺激に満ちた書物です.序章には著者の基本モチーフが明記されています.また,第三章は本書の中心をなすもので,ウェーバーのみならず,フッサール,トレルチ,カーラーといった彼の同時代人の,危機における学問の存在理由をめぐる真剣な思索がていねいに跡づけられており,それらの議論は現在も有効です.
第四章は従来のウェーバー論になかった,著者のオリジナルな立論です.その精緻な分析により,彼の現代アメリカニズムに対する批判は,実は,「職業としての学問」が対象とした,俗流化された「学義論」の迷妄への批判と通底しているということが明らかになります.これはまた「生の意味喪失」という事態に対する批判でもあります.
ウェーバーが突出しているのは,価値という概念そのものが消滅する時代にあって価値に関わる根源的な問いを発し続け,中心的な問題を政治=神学的なイデオロギーでなく,経験的な歴史=社会学的な研究を通じて明らかにしようとしたところにあります.近代の合理化が系統的に価値を排除しながら,他方で一種のイデオロギー的な寓話として審美的宗教やナショナリズム,原理主義を蘇らせるというアポリアは依然解消されていません.本書はこの問題にこだわって,近代的な知の問題系と現代アメリカニズムの問題をウェーバーを手がかりに読み解いていく試みです.
(T・H)
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