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だれも原子を見た人はいないだろう.それなのに,この本には《だれが原子をみたか》という題がついている.
この本には何が書いてあるのか?
原子は目に見えない.しかし,物質が微小な粒からできているという証拠をかいまみた人は,昔からたくさんある.これにたいして反対の証拠をあげた人もあり,また科学が進んでからは,原子だなんて,とりだして測定にかける望みがないのだから科学の対象にできぬといって反対する人もでた.論争がおさまったのは,二十世紀にはいってからである.
この本は,二十数世紀にわたるその論争の歴史をたどる.君だったら,だれが原子の決定的な証拠をみたと判断するか? そう問いかけるのが,この本の題である.
この本はおもしろいか?
著者の私はおもしろいと思いながら書いた.書くのが楽しかった.
歴史をたどってみて,理科の教科書がいかに性急でひとりよがりであるかをあらためて感じた.教科書にはよく「…の実験から…がわかる」と書いてあるけれども,君たちは,いつもそれで「わかった」と思うか?
たとえば,トリチェリは,「管に水銀をみたして倒立させると水銀がある高さまでさがってとまる」という教科書にある観察だけから「管の上部に真空ができた」と結論したのではない.この実験をはじめて見る君たちも,トリチェリと同じく「もっと他の実験もしなければ真空ができたとはいえない」と思って当然なのだ.
この本を書くために,歴史の重要な曲り角となった実験を仲間たちと実際にやってみた.どれもいちどではうまくいかなかったけれど,それだけに思いがけない発見があって楽しかった.君たちがやってみる場合の参考に,私たちのとった手順がこまかに記録してある.
科学の歴史は,仮説と実験の試行錯誤の歴史である.それをたどってみて,人間というものはずいぶんいろいろのことを考えるものだと感心もし,おもしろく思った.おもしろかっただけでなく,案外,この積み上げが西欧科学の伝統というものかもしれないと考えた.(中略)
読むのに骨がおれると思ったら,はじめは,どこでも勝手なところから拾い読みすることからはじめてください.部分的な網をためてから,あとで全体を読みとおして,それをつなぎあわせればよい.
(本書「はしがき」より)
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1976年に,シリーズ「科学の本」の1冊として刊行された本書は,科学のアイデアが歴史上どのようにして生まれたかを知る恰好の本として,非常に多くの読者に迎え入れられた.ブラウン運動の観察に始まり,トリチェリの真空実験やガリレイの考察,そしてアインシュタインがブラウン運動の不思議をどう説明したか,みごとに解説される.
江沢 洋(えざわ ひろし)
1932年,東京に生れる.東京大学理学部物理学科卒.東京大学理学部助手,米国メリーランド大学,イリノイ大学,ドイツのハンブルク大学を経て学習院大学教授.その間,米国のベル研究所研究員.著書に『量子力学 I, II』(共著),『てこと仕事』(ともに岩波書店).『相対性理論』(裳華房),『力学――高校生・大学生のために』.『物理は自由だ1,2』(ともに日本評論社).訳書に『R.P. ファインマン:物理法則はいかにして発見されたか』(岩波現代文庫)など.また『理化学辞典』,『科学の事典』(ともに岩波書店)の編集,監修に参加.
はしがき
第1章 ブラウンの発見
1 花粉のなかの微粒子が動く
2 生きているモレキュール
3 ブラウン運動
[観察1]花粉が吐きだす微粒子
[観察2]なんでも見てやろう
4 原因をさぐる
5 アトムの衝撃
生物と無生物
第2章 原子論のはじまり
6 古代ギリシアの哲学者たち
7 アトムと空虚
自然法則と意志の自由
8 自然は真空をきらう
第3章 大気と真空
9 自然の真空ぎらいに限度がある
10 大気圧の発見
パスカルの実験
私たちの実験
11 力ずくで真空をつくる
第4章 気体の構造
12 ボイルの法則
わたしたちのJ字管の実験
13 実験の役割,帰納と演繹
14 ニュートンの《プリンピキア》
《プリンピキア》から
15 気体の構造をめぐる2つの仮説
ニュートンの仮説
定理18の証明
ベルヌーイの仮説
16 気体の重さ
公式(1)の導出
運動の量の定義
第5章 反応する分子
17 錬金術から化学へ
18 ドルトンの原子論
19 単体も分子からできている
気体反応の法則をためす
第6章 とびまわる分子
20 気体分子の速さ
21 統計的方法
サイコロによる実験
22 気体分子のデータ
23 エネルギー等分配の法則
気体の重さと高度分布
第7章 分子の実在
24 かぎりなく乱雑な運動
25 ブラウン運動の理論
粘性運動の定義
デタラメ数の和に関する実験
26 ペランの実験
27 分子を数えた!
28 舞台はまわる
原子のブラウン運動
一つずつ原子をつかみ,移す
現代文庫版の刊行にあたって
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