漢語からみえる世界と世間

日本語と中国語はどこでずれるか

漢語には体感に基づく「世間語」と抽象的な「世界語」がある.両者の別を念頭に日本語と中国語のずれを探究する.

漢語からみえる世界と世間
著者 中川 正之
通し番号 学術294
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 学術
日本十進分類 > 語学
刊行日 2013/05/16
ISBN 9784006002947
Cコード 0181
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 234頁
定価 1,056円
在庫 在庫あり
漢語は中国から伝わって日本語となった漢字音からなる語だが,意味や用法が中国語とずれたものが少なくない.漢語には体感に基づく人間や個人に関わる「世間語」と抽象的で人類や国家に関わる「世界語」の別があるが,中国語にはこのような別はない.日本語と中国語のずれの原因を探究し,日中両国の文化の違いに説き及ぶ.

■編集部からのメッセージ

漢語は中国から伝わって日本語となった漢字音からなる語ですが,意味や用法が中国語とずれたものが少なくありません.日本語では体感に基づく具体的で個人的な「世間語」と抽象的で人類や国家などに関わる「世界語」を明確に区別しますが,中国語ではそれが曖昧です.
 本書には日本の漢語と中国語の意味と用法の違いの例が豊富に示されています.
 最初に「冷酒」を音読みして「レイシュ」と呼ぶ場合と訓読みして「ひやざけ」と読む場合の感じの違いが示されます.著者の語感では「レイシュ」は冷やして飲む日本酒の一種で「おしゃれな感じ」がする一方,「ひやざけ」は無精ひげのおじさんが酒屋のカウンターや薄暗い部屋で,燗をして飲むべき酒をそのままあおっている感じだということになります.さらに進んで「~シュ」が酒の種類を表し,指定的,分類的,客観的であるのに対して,「~ざけ」は飲むときの様子,状態などの視覚的イメージを伴い,状況依存的であるといいます.
 本書ではこうして音読みと訓読みの別から始まって,「バツ」と「バチ」,「先祖」と「祖先」,「将来」と「未来」といった同類とみなされる語の違いが指摘されます.こうした二つの領域の別,中国人のみる日本語と日本人のみる中国語,日本語と中国語のずれの始まり,漢語と現代中国語の違い,ずれの背景について思索をめぐらされ,最終章で,本書の大きなテーマである「世間語」と「世界語」の別が論じられます.
 中国からの留学生に日本語学習の動機をたずねたところ,ある留学生は次のように答えたといいます.

  「私が日本語の勉強を始めたのは栄光ある人類のためです」
 確かにこの答えは日本語としてはどこも間違っていませんが,日本人なら絶対こんなことは言わないでしょう.「将来,世の中のためになるよい仕事をみつけられるように日本語の勉強をしています」というような答えならば自然に感じられ,留学生の発言の意図とあまり違わないでしょう.
 次のような文章もどこかヘンです.
  「2005年4月5日に隣の奥さんが醤油を借りに来た」
 これについて著者は,日本人なら個人的,日常的なことには,具体的な西暦時間表示は使わず,むしろ「昨日」とか「先週の日曜日」のように相対的時間表示がふさわしいと指摘しています.
 本書は阿部謹也氏の著書『「世間」とは何か』にヒントを得て,上記のような表現の違いがどこから来るのかについて,日本語にあって中国語にない「世界語」と「世間語」の区別によって説明しています.「未来」や「人類」は世界語,「将来」や「世の中」は世間語になるというわけです.
 漢語はもともと中国語からの借用語でしたが,千年以上も前に日本語に取り込まれ,根を下ろすにつれて,大元の中国語と意味,用法が違ってきました.そのような「ずれ」は偶然の所産なのかもしれませんが,日本語では,中国語が区別しない曖昧な領域「世界」と「世間」を区別するために「ずれ」が生じてきたことを,本書は様々な例を示しながら,論じていきます.こうしたなかで日本語の意外な側面を知ることが出来ますし,中国語にまつわるトリビアも満載で,日中両国の文化の違いに説き及んでいます.
(T・H)
中川正之(なかがわ まさゆき)
1945年広島県尾道市に生まれる.73年大阪外国語大学大学院修士課程修了.広島大学総合科学部助教授,神戸大学国際文化学部教授を経て,現在立命館大学特別招聘教授,神戸大学名誉教授.中国語と日本語の違いを体感し,それが言語学や認知科学の分野でどのような意味を持つのかを明らかにすることが研究テーマである.編著書に『はじめての人の中国語』(くろしお出版),『白水社中国語辞典』(共編),『中国語入門Q&A101』(共著,大修館書店)などがある.

書評情報

新潟日報(朝刊) 2013年7月7日
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