砕かれた神――ある復員兵の手記


「解説」より
著者紹介


書誌データへ

編集部だより
渡辺総子「解説」より

 本書の著者・渡辺清は1925年(大正14年),静岡県富士郡上野村に生まれた.生家は自作農だが,富士山麓のこの地は火山灰地の痩せ土で,農閑期には「どこの農家でも炭焼きや営林署の植付や下刈人夫,森林の伐採,製材所の下働き」などの出稼ぎに出て生計をたてていた.生年の翌年が昭和元年だから,彼の年齢はそのまま昭和の元号と重なる.亡くなったのは1981年,56歳の夏で,その生涯に4冊の本を残した.そのすべてが,16歳から19歳の間の戦争体験の記録と,その体験の意味を生涯かけて自らに厳しく問いつづけた書である.本書『砕かれた神』は,敗戦の年,彼が20歳の9月2日から翌年の4月20日までの日記である.
 敗色濃い昭和19年10月,少年(著者)の乗った,世界最大の戦艦,超弩級戦艦とうたわれ,戦艦大和とともに日本帝国海軍の最後の切り札であった武蔵は,航走中のシブヤン海上で米空母機群に捉えられ,猛攻撃を受け,10月24日夕,ついにその姿を海中に没する.乗組員二千三百余名のうち約半数近くが戦死,少年は海に飛び込み僚艦に助けられ辛くも生き残るが,苦楽を共にしてきた同年兵たちは,ある者は無残な肉の塊となって,ある者は負傷して動けないまま生きて艦とともに沈んでしまった.傾いた旗竿にしがみついて母を呼ぶ泳げない十五,六歳の少年兵たちの声は,いつまでも彼の耳について離れない.助かったという安堵のあとに襲ってきたものは,自分だけ生き残ってしまったという罪の意識,悲しみ,そして自分たちをここまで追いつめた者への烈しい怒りであった.
 8月15日敗戦.その報を聞いたときの気持ちを,吉田満氏,安田武氏との対談で,「敗戦は挫折というよりも,ナメクジに塩をかけると溶けますが,あんなふうに自分自身が崩れていく実感がありました」と振り返っている.
 こうして復員してきた彼ではあるが,骨の髄までしみこんだ天皇への信仰と崇拝の念まで崩壊することはなかった.いや,ある期待をもって前よりも高まっていた.しかし,帝王にふさわしい尊厳を天下に示してくれるだろうという祈りにも似た彼の思いは,一枚の写真,天皇と敵将マッカーサーとが並んで立つ写真を見て無残に砕かれる.
 1959年,日本戦没学生記念会(わだつみ会)が戦中派,とくに「学徒出陣」組を中心とする大学教授と,そこに学生が加わるという形で再出発した翌年2月に彼は入会届を出し,第2回総会で推薦を受けて常任理事になる.1971年,かねてから一部の会員から声のあがっていた「戦争体験の思想化を言う際には天皇問題を避けて通るわけにはいかない」という主張を,今度は理事会あげて取り組むことになり,機関誌『わだつみのこえ』で特集を組んだ.
 日本中の,ことに戦争を体験した人びとの胸底に埋まる,天皇の戦争責任を問う共感の声と,彼の著書への感想が毎日のように届き,返書をしたためるのも彼の日課となった.そのかたわら元学徒兵の理事たちと,戦没学生の墓参,遺稿刊行の手伝いなど,1981年,突然の発病で世を去るまでの11年間は,わだつみ会入会にあたって書いた「私の戦争体験は,そのまま国家体験であり,同時に天皇体験でもあった.私は,これらの体験を今後どうかして具体的な日常行動の中に結晶させていきたいと思っている.そしてこのことを通して戦いに死んだ多くの同僚にこたえていきたいと思っている」(『わだつみのこえ』第3号,1960年)年月であった.

(渡辺総子「解説」より抜粋・構成)


著者紹介

渡辺 清(わたなべ きよし)
1925−81年.静岡県生まれ.1941年高等小学校卒業後海軍に志願.42年戦艦武蔵に乗り組み,マリアナ,レイテ沖海戦に参加.武蔵沈没にさいし奇跡的に生還.45年復員.70年から日本戦没学生記念会(わだつみ会)事務局長.主な著書に『海の城』『戦艦武蔵の最期』(以上朝日選書),『私の天皇観』(辺境社)などがある.

本書は1983年,朝日新聞社から刊行された.




Copyright 2004 Iwanami Shoten, Publishers. All rights reserved. 岩波書店