長崎原爆被災説明板


■浦上第一病院
小峰町(聖フランシスコ病院玄関横)
浦上第一病院は大正14年に長崎公教神学校として建てられたもので、昭和6年には聖フランシスコ神学校となり、昭和18年に結核療養所に変わった。
1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、爆心地から北東へ約1400mの本原町2丁目の閑静な丘に建っていた赤煉瓦鉄筋コンクリート造3階建てのフランス風のエキゾチックな建物は、外形の美観とともに強固さを誇っていたが、爆風により内部は一瞬にして破壊され、その後発火して医療機材も薬品も焼失し、外郭だけが残った。
被爆当時約70人いた入院患者は多数負傷したが、幸いにも亡くなられた人はいなかった。しかし、収容された負傷者のなかにはその後亡くなられた人もいた。
長崎市はこの地で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを願って、この銘板を設置する。

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