本の神話学
真に独創的な思想家の記念碑的作品,山口ワールドへの恰好の入門書.自由で快活,博覧強記の神話的一冊.(解説=今福龍太)
山口昌男という真に独創的な思想家の最初の記念碑的作品であり,山口ワールドへの恰好の入門書.学問に特定の時代,地域の文化がいかに反映するか,演劇,絵画,文学をも視野に入れて追究する.おびただしい書物を引用し文化的背景や人物を論じて,自由で快活な知を自らのものとするための技法を明示する,博覧強記の神話的一冊.(解説=今福龍太)
■編集部からのメッセージ
本書は『アフリカの神話的世界』(岩波新書/1971年)『歴史・祝祭・神話』と並ぶ著者の初期三部作の一つであり、「山口ワールド」への格好の入門書です。
タイトルの「神話学」とは、通常では明確に認識しえない事物の連関を明らかにする、神話の読解で駆使されるような知的作業を意味しています。解説者の今福龍太さんによれば「宇宙の創成や文化の誕生を神や英雄の錯綜した関係性の物語として説いてきた神話にたいするのと同じように、ここで著者は、書物を通じて示されてきた人間の知性の誕生と変転、その豊かな運動の軌跡に向き合い、それを神話学的な関係性の織物として再発見しようとした」(275頁)ということになります。
本書執筆の動機として、山口さんは「思想史としての学問史」ということを述べています。「それは、知識の存在形態(収集・保管・創造)の一つとしての学問に、特定の時代、地域の文化がいかに反映するかということを、学問の分野と既成の枠の中に押し込めないで、通分野的に、そして意識の他のあり方――すなわち演劇、絵画、文学といった『他の』諸々の創造に携わる行為とのかかわり合いにおいて展望に収める方法はないであろうか、といった関心にもとづく模索のようなものであった」(1頁)と記されています。
本書は目次として建てられた各テーマに沿って、関連する書物群を中心に、文化的背景や人物のおりなす一大パノラマが展開されていく「文献学的エッセイ」です。このように、ある特定の書物を関連する書物群の中で論じてその意味や価値を明らかにしていく手法は著者独自のものです。
「二十世紀後半の知的起源」の章は美術史の豊潤なコレクションで著名なワールブルク文庫(ドイツ・ワイマール→ロンドン大学)をめぐるゲイ、ノイマン、カッシーラー、ゴンブリッチといった知識人の交流を描きます。
「ユダヤ人の知的熱情」の章では、フロイトやツヴァイク、ヤコブソンなどユダヤ人の知的熱情の足跡をたどります。この章で集中的に論じられる「ユダヤ的なるもの」の文化史上の意味づけは本書全体を貫くもう一つのテーマになっています。
「モーツァルトと『第三世界』」の章ではベートーヴェン的、十九世紀的な「糞まじめ主義」に対抗する原理としてのモーツァルトを論じます。著者はその十八世紀的、祝祭的な特色はイタリアの即興劇(アルレッキーノ)を媒介にして、アフリカ神話のトリックスターにつながるといいます。
「『社会科学』としての芸能」の章では、芸能の論理と政治の論理を対比的に考察しながら、王の即位式に表現される芸能的身振り、シェイクスピア劇に見られる王権と道化の関係、カーニバルとしての農耕祭儀礼のスケープゴート(贖罪の山羊)の意味などについて考察しています。
「もう一つのルネサンス」の章ではユダヤ人のエロス蒐集家のエドゥアルト・フックスという人物を紹介し、日常的な効用性の分類基準からはみ出た知の領域に赴くことの意味を問い、その人類学との共通性に読者の目を向けさせています。そして、最後にワールブルク文庫とユダヤ的伝統の問題に立ち返って本書をしめくくります。
「補遺 物語作者たち」ではベンヤミンが語った「物語る精神」こそ東欧ユダヤ人が残した遺産の最も豊かな部分であるという試論を展開しています。
著者は晩年の三部作『「挫折」の昭和史』 『「敗者」の精神史』 『内田魯庵山脈』(いずれも岩波現代文庫)においても「知的水脈」「人的ネットワーク」の掘り起こしを精力的に続けました。またアフリカやインドネシア、南米におけるフィールドワークのかたわら、常に最先端の知的営為の追求と理解、紹介に熱心でした。本書は終始変わることなく続けられた「知的ネットワーク」づくりという著者独自の方法論を最初に示したという意味で真に独創的な記念碑的作品であり、まさに「博覧強記の神話的一冊」です。
※本書は中央公論社より1971年7月単行本として、1977年12月中公文庫として、それぞれ刊行された。底本には中公文庫版を用いた。岩波現代文庫版は今福龍太氏が本文、文献案内の校訂に当たった。文献案内には中公文庫版刊行後2013年末までに出版された邦訳書を補った。
■編集部からのメッセージ
本書は『アフリカの神話的世界』(岩波新書/1971年)『歴史・祝祭・神話』と並ぶ著者の初期三部作の一つであり、「山口ワールド」への格好の入門書です。
タイトルの「神話学」とは、通常では明確に認識しえない事物の連関を明らかにする、神話の読解で駆使されるような知的作業を意味しています。解説者の今福龍太さんによれば「宇宙の創成や文化の誕生を神や英雄の錯綜した関係性の物語として説いてきた神話にたいするのと同じように、ここで著者は、書物を通じて示されてきた人間の知性の誕生と変転、その豊かな運動の軌跡に向き合い、それを神話学的な関係性の織物として再発見しようとした」(275頁)ということになります。
本書執筆の動機として、山口さんは「思想史としての学問史」ということを述べています。「それは、知識の存在形態(収集・保管・創造)の一つとしての学問に、特定の時代、地域の文化がいかに反映するかということを、学問の分野と既成の枠の中に押し込めないで、通分野的に、そして意識の他のあり方――すなわち演劇、絵画、文学といった『他の』諸々の創造に携わる行為とのかかわり合いにおいて展望に収める方法はないであろうか、といった関心にもとづく模索のようなものであった」(1頁)と記されています。
本書は目次として建てられた各テーマに沿って、関連する書物群を中心に、文化的背景や人物のおりなす一大パノラマが展開されていく「文献学的エッセイ」です。このように、ある特定の書物を関連する書物群の中で論じてその意味や価値を明らかにしていく手法は著者独自のものです。
「二十世紀後半の知的起源」の章は美術史の豊潤なコレクションで著名なワールブルク文庫(ドイツ・ワイマール→ロンドン大学)をめぐるゲイ、ノイマン、カッシーラー、ゴンブリッチといった知識人の交流を描きます。
「ユダヤ人の知的熱情」の章では、フロイトやツヴァイク、ヤコブソンなどユダヤ人の知的熱情の足跡をたどります。この章で集中的に論じられる「ユダヤ的なるもの」の文化史上の意味づけは本書全体を貫くもう一つのテーマになっています。
「モーツァルトと『第三世界』」の章ではベートーヴェン的、十九世紀的な「糞まじめ主義」に対抗する原理としてのモーツァルトを論じます。著者はその十八世紀的、祝祭的な特色はイタリアの即興劇(アルレッキーノ)を媒介にして、アフリカ神話のトリックスターにつながるといいます。
「『社会科学』としての芸能」の章では、芸能の論理と政治の論理を対比的に考察しながら、王の即位式に表現される芸能的身振り、シェイクスピア劇に見られる王権と道化の関係、カーニバルとしての農耕祭儀礼のスケープゴート(贖罪の山羊)の意味などについて考察しています。
「もう一つのルネサンス」の章ではユダヤ人のエロス蒐集家のエドゥアルト・フックスという人物を紹介し、日常的な効用性の分類基準からはみ出た知の領域に赴くことの意味を問い、その人類学との共通性に読者の目を向けさせています。そして、最後にワールブルク文庫とユダヤ的伝統の問題に立ち返って本書をしめくくります。
「補遺 物語作者たち」ではベンヤミンが語った「物語る精神」こそ東欧ユダヤ人が残した遺産の最も豊かな部分であるという試論を展開しています。
著者は晩年の三部作『「挫折」の昭和史』 『「敗者」の精神史』 『内田魯庵山脈』(いずれも岩波現代文庫)においても「知的水脈」「人的ネットワーク」の掘り起こしを精力的に続けました。またアフリカやインドネシア、南米におけるフィールドワークのかたわら、常に最先端の知的営為の追求と理解、紹介に熱心でした。本書は終始変わることなく続けられた「知的ネットワーク」づくりという著者独自の方法論を最初に示したという意味で真に独創的な記念碑的作品であり、まさに「博覧強記の神話的一冊」です。
(T・H)
※本書は中央公論社より1971年7月単行本として、1977年12月中公文庫として、それぞれ刊行された。底本には中公文庫版を用いた。岩波現代文庫版は今福龍太氏が本文、文献案内の校訂に当たった。文献案内には中公文庫版刊行後2013年末までに出版された邦訳書を補った。
二十世紀後半の知的起源
1 思想史としての学問史
2 ピーター・ゲイの『ワイマール文化』
3 精神史の中のワールブルク文庫
ユダヤ人の知的熱情
1 ユダヤ人の知的環境
2 構造とかたち
3 知の存在形式としての亡命
4 受難と知的熱情
モーツァルトと「第三世界」
1 モーツァルトの世紀
2 二十世紀オペラのアルケオロジー
3 音楽的思考
4 現象学的モーツァルトと「第三世界」
「社会科学」としての芸能
1 政治とその分身〔ドゥブル〕
2 政治の論理と芸能の論理
3 シェイクスピア劇における芸能の論理
4 見世物小屋としての世界
もう一つのルネサンス
1 蒐集家の使命
2 世界の本とルネサンス
3 ルネサンスと本の世界
4 カバラの伝統――ゲーテ,フロイト,ボルヘス
5 知の越境者
補遺 物語作者たち
文献案内
解説 もっとも純粋な〈知的憧憬〉の書(今福龍太)
人名索引
1 思想史としての学問史
2 ピーター・ゲイの『ワイマール文化』
3 精神史の中のワールブルク文庫
ユダヤ人の知的熱情
1 ユダヤ人の知的環境
2 構造とかたち
3 知の存在形式としての亡命
4 受難と知的熱情
モーツァルトと「第三世界」
1 モーツァルトの世紀
2 二十世紀オペラのアルケオロジー
3 音楽的思考
4 現象学的モーツァルトと「第三世界」
「社会科学」としての芸能
1 政治とその分身〔ドゥブル〕
2 政治の論理と芸能の論理
3 シェイクスピア劇における芸能の論理
4 見世物小屋としての世界
もう一つのルネサンス
1 蒐集家の使命
2 世界の本とルネサンス
3 ルネサンスと本の世界
4 カバラの伝統――ゲーテ,フロイト,ボルヘス
5 知の越境者
補遺 物語作者たち
文献案内
解説 もっとも純粋な〈知的憧憬〉の書(今福龍太)
人名索引
山口昌男(やまぐち まさお)
1931-2013年。東京大学文学部国史学科卒業後、東京都立大学大学院で文化人類学を専攻。東京外国語大学、静岡県立大学、札幌大学の教授を歴任。「中心と周縁」「スケープゴート」「道化」などの概念を駆使して独自の文化理論を展開した。『天皇制の文化人類学』 『文化と両義性』 『文化の詩学(I・II)』 『知の遠近法』 『「挫折」の昭和史(上・下)』 『「敗者」の精神史(上・下)』 『いじめの記号論』 『道化の民俗学』 『内田魯庵山脈(上・下)』(以上岩波現代文庫)、『アフリカの神話的世界』 『知の旅への誘い』 『文化人類学への招待』(以上岩波新書、『知の旅』は共著)など著書多数。
1931-2013年。東京大学文学部国史学科卒業後、東京都立大学大学院で文化人類学を専攻。東京外国語大学、静岡県立大学、札幌大学の教授を歴任。「中心と周縁」「スケープゴート」「道化」などの概念を駆使して独自の文化理論を展開した。『天皇制の文化人類学』 『文化と両義性』 『文化の詩学(I・II)』 『知の遠近法』 『「挫折」の昭和史(上・下)』 『「敗者」の精神史(上・下)』 『いじめの記号論』 『道化の民俗学』 『内田魯庵山脈(上・下)』(以上岩波現代文庫)、『アフリカの神話的世界』 『知の旅への誘い』 『文化人類学への招待』(以上岩波新書、『知の旅』は共著)など著書多数。