ヴァレリー詩集
この詩集は文学作品としての価値の高さを誇るのみならず,ヴァレリーという偉大な知性の謎を解く一つの鍵でもある.
この詩集は文学作品としての価値の高さを誇るのみならず,ヴァレリー(一八七一‐一九四五)という偉大な知性の謎を解く一つの鍵でもある.しかし彼の詩には難解・晦渋なものがあり,訳者は一九二四年に『詩集』の初訳を公刊して以来,更に研究を積み重ね,この困難を克服した.本文庫版はその訳業の決定版である.綿密な注と年譜を付す.
■ヴァレリーについて
ヴァレリーは,文学から出発して文学を放棄し,再び文学に帰った全く異例の経歴が示すように,普通一般の文学者とは非常に趣きのちがう特異な文学者である.ヴァレリーの文学に対する不信乃至軽蔑は,哲学,歴史,心理学等に対するそれとともに,よく知られている(たとえば『テスト氏』諸篇参照).文学はこの要求多い精神にとっては野望の対象とならず,自ら一文学者であることを否定し拒否している観がある.自分は直接に文学者として物を考えないし,直接に文学も見ないと公言し,「ヴァレリーは人々が彼の裡に何よりもまづ一詩人を見ること嫌悪している」と一友人は伝える.
■ヴァレリーについて
ヴァレリーは,文学から出発して文学を放棄し,再び文学に帰った全く異例の経歴が示すように,普通一般の文学者とは非常に趣きのちがう特異な文学者である.ヴァレリーの文学に対する不信乃至軽蔑は,哲学,歴史,心理学等に対するそれとともに,よく知られている(たとえば『テスト氏』諸篇参照).文学はこの要求多い精神にとっては野望の対象とならず,自ら一文学者であることを否定し拒否している観がある.自分は直接に文学者として物を考えないし,直接に文学も見ないと公言し,「ヴァレリーは人々が彼の裡に何よりもまづ一詩人を見ること嫌悪している」と一友人は伝える.
(「ヴァレリー」より)
佐藤正彰
佐藤正彰
書評情報
毎日新聞(朝刊) 2006年10月1日