パサージュ論 第1巻

19世紀物質文化を考察した近現代社会分析の基本文献.断章番号順の構成で,待望の文庫版刊行開始.

パサージュ論 第1巻
著者 ヴァルター・ベンヤミン , 今村 仁司 , 三島 憲一
通し番号 学術101
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 学術
日本十進分類 > 哲学/心理学/宗教
刊行日 2003/06/13
ISBN 9784006001018
Cコード 0110
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 500頁
在庫 品切れ
パリにナチスが迫る間際まで書き綴られた膨大なメモ群はバタイユらに託され,かろうじて生き残った.19世紀パリに現われたパサージュをはじめとする物質文化に目を凝らし,人間の欲望や夢,ユートピアへの可能性を考察したベンヤミンのライフワーク.近現代社会分析のための基本文献.断章番号順の構成で,待望の文庫版刊行開始.

■内容紹介
 ベンヤミンが書きためた膨大な覚え書と引用の集積からなる本書の内容は,あまりにも多岐にわたります.この第1巻目には全体の「概要」として,「パリ――19世紀の首都」というエッセイがあります.ここには『パサージュ論』であつかうテーマが凝縮されています.まず,ここの「ドイツ語草稿」と「フランス語草稿」を熟読すると,ベンヤミンのやろうとしていたことが見えてきます.
 本のタイトルとなっている「パサージュ」は,19世紀前半にパリにつくられたアーケード街です.当時,織物取引が盛んになり,パサージュには最新の流行品をとりそろえた百貨店の前身となる店舗が現われました.当時の資本主義の最先端の場所がパサージュだったのです.まるで幻灯(ファンタスマゴリー)が映しだすような資本主義の幻想空間そのものです.しかし,おもしろいことに,空想的社会主義者シャルル・フーリエが,この商業のための空間を住居空間とし,パサージュからなる都市を「協働生活体(ファランステール)」とすることを考えました.パサージュはフーリエにおいては「ユートピア」となるのです.〈資本主義〉対〈社会主義〉という図式はすでに古色蒼然たるものですが,パサージュは資本主義と社会主義のどちらの夢も引き寄せるようなものであることにベンヤミンは着目しました.
 ベンヤミンはものごとの重なり合いを見る思想家のようです.この第1巻には「G:博覧会,広告,グランヴィル」という断章がありますが,「概要」のところで「万国博覧会は商品という物神の巡礼場である」などと万博が資本主義の申し子であることをいいながら,最初の万博が労働者階級を楽しませようということから開催され,労働者階級にとって解放の祝祭となったことを記しています.19世紀の万博には,外国から労働者が派遣されました.とくに1862年のロンドン万博には750人の労働者が派遣され,そしてこの年ロンドンで国際労働者協会(いわゆる第一インター)が創設されます.万博の労働者派遣と第一インター誕生は直接関連あるとは言わないまでも,「間接的な意義がある」とベンヤミンはいいます.
 「パサージュ」と「フーリエのユートピア」,「万博」と「第一インター」というような取り合わせ.パサージュも万博も資本主義的文化の幻像(ファンタスマゴリー)です.そこにユートピアや解放を目指すものが結びつくという発想には,ベンヤミンの物質文化に対するアイロニカルな希望が示されていると思われます.
 『パサージュ論』は題材の宝庫です.繰り返し読むことで断章同士のおもしろいつながりが見えてくることもあります.多くの方が奔放に読まれることを期待します.
 今回の岩波現代文庫版は,単行本のときのテーマ別編集をやめて,今後の資料的な有用性を考え,「覚え書および資料」のところを原書どおりの断章番号順にしました.本書の原書は,ドイツ語とフランス語が入り混じっています.翻訳はドイツ語担当6名,フランス語担当5名の合計11名によって翻訳研究会を開き,刊行完結までに7年を要しました.今思えばユートピア的なことですが,出版というファンタスマゴリー(?)と結びついた珍事だったともいえます.
『パサージュ論』のテクスト成立過程の素描(三島憲一)
凡例
概要
パリ―― 一九世紀の首都〔ドイツ語草稿〕
パリ―― 一九世紀の首都〔フランス語草稿〕

覚え書および資料
A:パサージュ,流行品店,流行品店店員
B:モード
C:太古のパリ,カタコンベ,取り壊し,パリの没落
D:倦怠,永遠回帰
E:オースマン式都市改造,バリケードの闘い
F:鉄骨建築
G:博覧会,広告,グランヴィルセーヌ
解説(今村仁司)
ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)
1892年ベルリンの富裕なユダヤ人美術商の家に生まれる.フラブルク大学,ベルリン大学に学ぶ.1933年ナチス政権成立とともにパリへ亡命.フランクフルト社会研究所の共同研究員となる.1940年ドイツ軍のパリ侵攻のため,パリ脱出.渡米を図るも出国ビザが取れず,やむなくピレネー山脈越えを決行するが,スペインのポル・ボウで警察の強制送還の脅しにあい服毒.翌日,息を引き取る.著作に,『ドイツ悲劇の根源』『一方通交路』「ベルリンの幼年時代」「複製技術時代の芸術作品」「歴史哲学テーゼ」など多数.

書評情報

週刊現代 2014年3月29日号
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