韓国のナショナリズム

ロス暴動に関する韓国内の論調や反日論を分析し,韓国=被害者という自己認識の再検討を促す.

韓国のナショナリズム
著者 鄭 大均
通し番号 学術109
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 学術
日本十進分類 > 社会科学
刊行日 2003/10/16
ISBN 9784006001094
Cコード 0136
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 302頁
在庫 品切れ
日本に向き合うときの韓国人には,韓国=被害者,日本=加害者という自他認識がある.しかし,今日韓国人は世界各地で文化摩擦を経験しており,その背景には異質な文化を持つ人々との協調よりは対抗を教える学校教育やメディアの問題がある.ロス暴動に関する韓国内の論調や反日論の分析などを通して,韓国=被害者という自己認識の再検討を促す.

-

これは著者の強いメッセージです.著者は本書の「岩波現代文庫版あとがき」で次のように述べています.

「私の日韓関係論や韓国論は,韓国にクリティカルという性格を持つものである.そういう文章を書くと,今日の日本では,保守派の媒体では受け入れられても,進歩派の媒体では受け入れられにくい.たとえば東アジアのナショナリズムを語るとき,私は日本のナショナリズムよりは北朝鮮や韓国のナショナリズムに注意を喚起する.ナショナリズムがエスノセントリズムに支配され,またそれが受動的水準を超えて社会全体を導く原理になったとき,私たちはそれを危険なナショナリズムと考えるが,今日の東アジアにおいては,それは何よりも北朝鮮のナショナリズムであり,それを何らかの形で解体することが,この地域に住む人々の課題であると思うからである.
 しかしこの日本では,ナショナリズムに敏感といわれる人々ほど,北のナショナリズムには寛大であり,また韓国では,北朝鮮との差異性を強調する国民ナショナリズムが封じ込められ,逆に北との運命共同性を謳う民族ナショナリズムが政権によってサポートされるという状況がある.これはおかしいではないか,というのが私の意見であるが,そんな議論を受け入れてくれるのは通常保守派の媒体に限られてしまうのである.(中略)私の見るところ,日本の進歩派と保守派との間にある知的棲み分けは,日本人をさらにひ弱にするだけで,それぞれの媒体はもっと異論や反論を取り込んでいいのである.そうでなくても,日本社会はエスニックな意味でも文化的な意味でもホモジニアスだということを忘れてはいけない」

 以下,序章の内容を紹介する形で,本書の趣旨を記します.
 韓国人にとって日本はきわめて重要な他者です.しかし,韓国のジャーナリズムやアカデミズムでは,日本についての誤りや偏見が野放しにされています.また,「あとがき」にふれられているように,日韓・日朝関係に発言する日本人や在日韓国・朝鮮人の中には,日本のナショナリズムや排外主義には批判的でありながらも,韓国や北朝鮮,中国に向き合うときには批判精神を放棄してしまう者が少なくありません.著者は,そのような行為は,実は韓国人の日本に対する偏見やステレオタイプを助長するに過ぎず,彼らは韓国のナショナリストやレイシストの思うつぼにはまっていると指摘します.このようなあり方は批判されなければなりません.
 重要なのはその批判の方法です.この点について,著者は単純に日本を基準にして韓国批判をするのではありません.本書が心がけているのは,日韓米や日韓中というような,「三角測量」(triangulation )の視点から日韓関係を眺め直すという作業です.著者は次のように指摘します.アメリカ人が日本を眺めるように日本人は韓国を眺め,日本人が韓国を眺めるように韓国人は中国を眺める,いずれの場合も,見る立場にいる者は,他者への眺めが,もう一人の他者の自己への眺めに通底するということには気づいていない,もしそのことに気づいていたら,私たちの他者への眺めはもう少し普遍的な性格のものになるのではないだろうか,と.
 以上のように,本書が明らかにしようとするのは,一方の他方に対する優位性などではなく,問題の共有ということの確認です.グローバル化の時代などと言われますが,日本人も韓国人も実は驚くほど閉鎖的な言語空間の中で暮らしているのであり,日本人による韓国論にも,韓国人による日本論にも,自らの言語の垣根の内でしか通用しないものが少なくありません.本書では,韓国のほうが問題がより凝集した形で現れている分だけ批判の対象になっていますが,それはパラレルな関係にある日本への批判をも内包しているのです.そして,日本における韓国論も韓国における日本論も,ともすれば類似性よりは異質性の部分に関心を寄せるという癖がありますが,両国の共感関係を志向する立場からすれば,重要なのはむしろ共有できる部分であり,それを積極的に評価するという態度を育てない限り,著者の言うように,日本も韓国も共感の絆で結ばれるような他国は一国もないということになってしまうでしょう.
 著者の主張は以上のようですが,一編集者としては,「あとがき」にある「日本の進歩派と保守派との間にある知的棲み分けは,日本人をさらにひ弱にするだけ」だという指摘をも銘記しなければなりません.こういった状況を打破する「知恵と勇気」こそが今日我々出版人に求められていると痛感される次第です.
(T・H)
鄭 大均(てい たいきん/Chung Daekyun )
1948年岩手県に生まれる.立教大学文学部・法学部卒業.UCLAアジア系アメリカ人研究修士.啓明大学校(韓国大邱市)副教授等を経て,現在東京都立大学人文学部教授.日韓関係・エスニシティ研究専攻.著書に『韓国のイメージ』『日本(イルボン)のイメージ』(以上中公新書),『在日韓国人の終焉』(文春新書),『韓国ナショナリズムの不幸』(小学館文庫)などがある.

書評情報

産経新聞(朝刊) 2003年11月2日
ページトップへ戻る