近世新畸人伝

世に知られざる賢者「畸人」.彼らの事跡を追い「雅俗融和」の宝暦期こそ江戸文芸の最盛期と主張する.

近世新畸人伝
著者 中野 三敏
通し番号 学術134
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 学術
日本十進分類 > 文学
刊行日 2004/11/16
ISBN 9784006001346
Cコード 0195
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 274頁
在庫 品切れ
本書でいう「畸人」とは,天に等しい真人,世に知られざる賢者の意味である.彼らは18世紀江戸文芸の特徴である「雅」と「俗」を併せ持った人々であり,独自の個性を持ちながらも微妙につながっている.著者は18世紀の宝暦前後の時期こそが「雅俗融和」の時代を迎えた江戸文芸の最盛期であるという独自の新しい文化史観を提示する.

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 世に「畸人」の名を冠した著作は多い.上田秋成が剪枝畸人と名乗って『雨月物語』を著したことは有名だが,これ以外にも,古くは伴蒿蹊(1733~1806)『近世畸人伝』(正編1790年刊,続編1798年刊,岩波文庫に正編のみ収録),近くは石川淳『諸国畸人伝』,保田与重郎『現代畸人伝』,陳舜臣『中国畸人伝』など.
 「畸人」は当世にも立派に通用しているが,ややもするとそれは「奇人」「変人」の意味にのみ解釈されがちである.しかし「畸人」とは,『荘子』大宗師篇に「畸人は人に畸にして,而して天にひとし」と見えるように,天に等しい真人の意である.さらに著者によれば「俗に居て俗に染まぬ賢者」の意であり,畸人の本領とは世をすねたポーズに隠された真の人間性にあるという.
 本書は宝暦(1751~64)前後の江戸の学芸・文芸界においてこれに近い人々を拾い集めて,上記伴蒿蹊『近世畸人伝』の拾遺を編むことを図ったものである.
 自堕落先生(1700~?)は俳人.井上蘭台(1705~61)は儒学者.佚山道人黙隠(1702~78)は篆刻家・僧侶.金龍道人敬雄(1712~82)は漢詩人・僧侶.沢田東江(1732~96)は儒学者・書家.
 取り上げられた人物はいずれも18世紀江戸文芸の特徴である「雅」と「俗」を併せ持った人々であり,それぞれ独自の個性を発揮しながらもどこかで微妙につながっている.林塾員長井上蘭台の薫陶をじかに受けたのが東江,佚山であり,佚山の莫逆の友が敬雄であった.そして4人とも自堕落の奇行の噂を聞いて何がしか心中思うところがあったはずである.こうして畸人は個性的でありながら類型的な存在であるととらえることもできる.各人の個性を縦軸として見ると同時に,彼らのつながりに着目し,その時代の横の広がりを十分に視野に収めれば,自ずから18世紀という時代の特徴が見えてくるはずである.
 本書は17世紀の元禄期と19世紀の文化文政期を江戸文芸の2大ピークと見る従来の常識を見直して,18世紀(特に宝暦前後)こそが中世以来の伝統文芸の「雅」と,近世に興った俗文芸の「俗」が最もバランスよく保たれ「雅俗融和」の時代を迎えた江戸文芸の最盛期であるという新しい文化史観の一端をなすものである.これこそ著者の一貫した主張である.
 本書は1977年9月,毎日新聞社の「江戸シリーズ」の第7冊目として刊行された.もともと65年より73年にかけて『経済往来』『歴史と人物』などに掲載された人物伝をまとめたもので,著者の最初期の単独著作.
(T・H)
中野三敏(なかの みつとし)
1935年福岡県生まれ.59年早稲田大学第二文学部卒業.64年同大学院文学研究科修士課程修了.近世文学専攻.九州大学教授を経て現在福岡大学教授.主な編著書に『江戸名物評判記集成』『江戸名物評判記案内』『書誌学談義 江戸の板本』『十八世紀の江戸文芸』(以上岩波書店),『戯作研究』『江戸文化評判記』(以上中央公論社)などがある.

書評情報

サンデー毎日 2015年2月8日号
東京新聞(朝刊) 2004年12月5日
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