説経節を読む

「さんせう太夫」「かるかや」など五作品を,著者が自らの体験・人生を通し解説.人間の業を見すえる.

説経節を読む
著者 水上 勉
通し番号 文芸121
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 文芸
日本十進分類 > 文学
刊行日 2007/06/15
ISBN 9784006021214
Cコード 0195
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 314頁
在庫 品切れ
「厨子王恋しや,ほうやれ.安寿の姫恋しや,ほうやれ」──酷悪な世を地蔵菩薩の霊験に導かれ,親子が再会するまでの物語.説経節の中でもよく知られている「さんせう太夫」など五作品を,著者が自らの体験・人生を通し解説する.親子夫婦の別離,人の世の残虐,不条理な身体的不遇……人間の業が見えてくる.


■解説より
 大正8年(1919)3月,父覚治・母かんの次男として福井県大飯郡本郷村岡田に四男一女の次男として生まれた水上は,「村の無人堂に炉が切ってあって瞽女(ごぜ)のきた夜は火の気がなかったものの炉尻にすわって」,全盲の祖母と一緒に説経節を聴いたのである.瞽女たちが村を訪れた時には,村小使いをしていた祖母は幼い水上を背負って,家々に触れて廻った. 
 水上が育った大正末期には,若狭にはいまだに「漂泊民に対する村民社会の閉鎖的因習があって,別屋である阿弥陀堂などの村営の空堂に鍋釜などを備えて泊めたし,簓(ささら)を鳴らして語る説経の内容なども何度もきいているので,粗筋はわかっていて,セリフの暗記さえしている者もいた」という.そうした聴衆たちに交じって,水上の祖母は,「サザエのフタみたいな眼」に膿汁を溜めて,「ここに哀れをとどめしは」「流涕焦がれてお泣きある」といった,お決まりの聴かせ所となると,ここぞとばかり涙を流したという.
 その祖母は,水上が4歳の時に川にはまったのが因で亡くなった.若狭の「和田の釈迦浜」の大穴は,遥か信濃善光寺本堂の戒壇下に通じていると信じられていたというから,祖母も苅萱道心・石童丸の転生である善光寺の親子地蔵のもとでの往生を願ったかも知れぬ.或いは孫の願い通り,一生に一度,小栗や信徳丸の如く熊野の湯につかり,目に明かりを取り戻したいと思ったかも知れぬ.水上が京都の禅寺・相国寺塔頭瑞春院に修行に出されるのは9歳というから,この岡田地区での祖母と説経節との思い出は,鮮烈な幼時体験といってよい.
 本書が,「説経節」に関する万巻の研究書を凌駕しているのはそこであって,水上は,我々が「歌舞伎絵巻」や「洛中洛外図」でしか知らぬ放浪芸の受容を肌で体験した.そればかりではない.感傷的懐旧を超えて,安寿も,厨子王も,信徳丸も,小栗判官も,彼にとっては「同時代人」なのである.(以下略)
犬丸 治

 *本書は1999年7月,新潮社より刊行されたものである.
一 さんせう太夫
二 かるかや
三 信徳丸
四 信太妻
五 をぐり
水上 勉(みずかみ つとむ)
1919-2004年.作家.福井県生まれ.9歳で京都の禅寺に預けられる.立命館大学国文科中退の後,様々な職を経て作家に.1961年『雁の寺』で直木賞受賞.主な作品に『五番町夕霧楼』『越前竹人形』『はなれ瞽女おりん』『飢餓海峡』『宇野浩二伝』『くるま椅子の歌』『父と子』『精進百撰』など

書評情報

朝日新聞(朝刊) 2007年6月24日
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