古典を読む 万葉集

詩人の感性を開いて万葉の歌そのものに肌身を接し,広々とした言語世界の限りない面白さを解き明かす.

古典を読む 万葉集
著者 大岡 信
通し番号 文芸127
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 文芸
日本十進分類 > 文学
刊行日 2007/09/14
ISBN 9784006021276
Cコード 0195
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 278頁
定価 1,034円
在庫 在庫あり
激動の古代史のなかで,若々しく生成し,爛熟し,沈潜し,繊美にまで達してゆく一個の生命体としての『万葉集』.現代を代表する詩人はその感性と直感力のすべてをひらいて,この大詞華集のひろびろとした言語世界にあそぶ.古代のうたの現代に通ずる魅力を探り,その限りない面白さを解き明かす.

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「私は『万葉集』を現代の詩を読むのと同じ態度で読もうと思う.言いかえれば,出会いがしらに相手の美しさや力強さにうたれるという,読者としての楽しみを何にもまして大事にしながら,『万葉集』を読んでみようと思うのである」
  こういった心意気で,現代詩人としても活躍する大岡信さんが『万葉集』の面白さを存分に語ったのが本書です.例えば,

あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る

という額田王(ぬかたのおおきみ)の有名な歌.この歌の後にはかつて愛人関係にあった大海人皇子(おおあまのみこ)の,

紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
(紫の色の照り映えるようにうるわしい妹を,もし好ましく思わないのだったら,どうして人妻ゆえに私が恋をすることなどありましょうか)

という贈答歌がおかれています.
 その当時額田王は大海人皇子の兄・天智天皇に召されており,この歌はその三角関係をしのばせるものかと,少年時代の大岡さんは胸ときめかせたとのことですが,現在の研究からするとそうとは言えないよう.
 しかし,この歌の贈答が,遊狩(みかり)の後の宴席でなされたもので,そういう場であったからこそあえて忍ぶ恋を歌い座を盛り上げたのでは,と読みを楽しみます.「紫野行き標野行き」という繰り返しも,ひたすら野を行ったその日の体験を皆に思い起こさせるようなものであった,と.
 それにしても「人妻」というのは,触れてはならぬ人妻デアルノニ恋をしてしまうのか,触れてはならぬ人妻デアルがユエニ,一層心をそそられるのか,人妻を詠んだ歌を並べ,しばし検討.
 これはほんの一例ですが,大らかな恋あり,権力をめぐる争いあり,旅の風物あり,死の嘆きあり…….大岡さんの長歌の試訳も楽しく,千二百年以上の時を超え,現代人のごく日常的な生活にとっても,いろいろな点で深く通じ合う歌集であることがよくわかります.

■岩波現代文庫版あとがき 大岡信

この本の原書が出たのは,今数えてみますと22年前のことでした.まさに光陰矢の如しの思いを深くしています.思い返すまでもないことですが,日本人が古代の遺産として『万葉集』を持っているということの有難さは,どれほど強調しても言い足りないほどのことであろうと思います.自分一個の生きてきた短かい歳月の中でも,小学生として親に与えられた少国民のための『万葉集』のような本から始めて,少しずつ年相応の本を読むようになるにつれ,『万葉集』についての本もふえてきて,私の場合には『私の万葉集』(講談社現代新書)なる新書版5冊の本まで書いてしまうことになったのですから,『万葉集』は片時も自分の座右から離すことのできないものとなったのでした.
 この本の前身である同時代ライブラリー版の「あとがき」でも書いたことですが,「この本は単なる古典解説書でも古典崇拝主義者による古典賛美の本でもありません.今生きている私たちにとって「『万葉集』を読むことが,どれほど身近なものでありうるかということを,実際の作品を読むことを通じて考えようとするものです」,というのが,執筆したものとしての私が言いうるすべてなのでした.
 『万葉集』を論じようとすれば,採りあげるべき歌,語るべきエピソードや触れるべき生死の物語はあまりにも多く,簡単にすますことはできません.それを何とかやってみようと志して,今諸者諸賢のごらんになっている本を作りあげた次第でした.
 このささやかな志が,いささかなりと達せられていることを,心から願っています.

 本書は1985年4月,岩波書店より刊行されました.
大岡 信(おおおか まこと)
1931年,静岡県に生まれる.詩人.1953年東京大学文学部卒業.主な詩集に『記憶と現在』『悲歌と祝祷』『水府』『ぬばたまの夜,天の掃除器せまつてくる』『故郷の水へのメッセージ』.著書に『折々のうた』(正・続・第三~第十・総索引・新1~新8),『詩への架橋』『日本の詩歌』『大岡信著作集』(全15巻)ほか.

書評情報

週刊朝日 2013年1月4-11日号
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