考証 永井荷風 (下)

永井荷風の精緻な評伝.下巻は昭和34年の死までを扱う.(解説=中村良衛)(全2冊)

考証 永井荷風 (下)
著者 秋庭 太郎
通し番号 文芸165
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 文芸
日本十進分類 > 文学
刊行日 2010/05/14
ISBN 9784006021658
Cコード 0195
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 442頁
在庫 品切れ
■編集部からのメッセージ

本書は永井荷風の祖先から説き起こし,その誕生から死まで詳細に,後年はほぼ数日ずつの単位で記録した精緻な評伝であり,荷風の親族,師,友人,女性関係を網羅した基本書です.いわば,微に入り細をうがった「読む年譜」といった書であり,「後の評伝の大半は本書に記された事実関係を基本にしているといっても過言ではない」(壬生篤「荷風を読む!」日本文芸社『荷風!』20号)と評価されています.
 本書は5章からなり,各章はさらに「その1」から「その94」まで94節に分かれています.今回の文庫化にさいしては,単行本にはなかった節タイトルを付しました.

 上巻――第1章「荷風出生まで」は,戦国時代からの父方・永井一族と母方・鷲津一族の人々の紹介と,祖父鷲津毅堂および父永井久一郎の明治10年までの事跡を扱っています.著者はさまざまな史料を存分に駆使し,それまであまり知られていなかった永井一族について精密な考証を行っています.
 第2章「明治時代」は,荷風の誕生から小学校時代,東京高等師範付属尋常中学校時代,一高受験失敗,東京外国語学校清語科入学,落語家・朝寝坊むらくへの弟子入り,巌谷小波との出会い,福地桜痴への弟子入り,『野心』の処女出版,米国・フランスへの留学と横浜正金銀行勤務,帰朝後の著作活動,慶応大学文科教授就任,本郷の材木商の次女・斎藤ヨネとの結婚までを扱っています.この中では留学時代のエピソードと慶大教授就任までの経緯に興味深い記述があります.
 第3章「大正時代」は大正2年父の脳溢血死とヨネとの離婚,3年新橋芸者八重次との結婚,4年離婚,5年慶大辞職,6年『断腸亭日乗』の起筆,9年麻布偏奇館への転居,10年師と仰いだ外の死,12年関東大震災に遭遇,などを記しています.実生活では何かと波瀾があった荷風でしたが,『すみだ川』『腕くらべ』『おかめ笹』などの作品を発表し,作家としての名声を確立していきます.

 下巻――第4章「昭和2年から20年まで」は,本書で最も精彩を放っている章です.2~6年三番町の妓・関根歌との出会いと別れ,銀座通いと『つゆのあとさき』の発表,11年の玉の井通いと12年の『東綺譚』の発表,母の死,16年以降の戦時下の窮乏生活,20年の東京大空襲と偏奇館焼失,西国への流亡と岡山での終戦まで.昭和初年の多くの人々との交遊や12年の名作『東綺譚』の発表までは,荷風にとって人生で最も充実した時期といいうるでしょうが,同じ12年の母・恆の死から荷風の人生は急激に暗転していき,20年の東京大空襲と偏奇館焼失でその極に達します.ここでも著者の筆致は冷静で,さまざまな文献に依り,関係者に直接インタビューして淡々と記述を進め,荷風の実像を浮かびあがらせていきます.
 第5章「昭和21年から死まで」は,21年市川市菅野の従兄弟・杵屋五叟方への転居,22年同地小西茂也方への寄寓,23年からの浅草通い,中公版『荷風全集』の刊行,27年文化勲章受章,29年芸術院会員,32年本八幡への転居,34年3月の最後の浅草行きと4月30日の死まで.戦後の荷風は作家としての生活を終えたとされ,「変人」ぶりが取り沙汰されることもあり,本書でも確かにそのようなエピソードが紹介されています.しかし,著者は最後まで荷風に対する尊敬の念を崩しません.

 本書は口語文で執筆されていますが,単行本では旧字旧かなで,難読の漢字と漢詩文が頻出するなど,読みやすいとは言えませんでした.文庫版では新字新かなに改めて節タイトルを付し,難読の漢字にはルビをふり,漢詩文には訓読文を付しました.また,人名索引を新たに作成して現代の荷風ファンのための基本書目としました.
(T・H)
秋庭太郎(あきば たろう)
1907-85年.近代日本演劇史研究家・永井荷風研究家.東京都生まれ.30年東洋大学支那哲学文学科卒業.在学中から江戸・明治の文学,演劇の資料を収集.陸軍少佐として従軍.46年から日本大学に勤務,図書館長を努めた.主著に『日本新劇史』(全2巻),『永井荷風伝』『荷風外伝』『新考永井荷風』がある.
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