顔をなくした女

〈わたし〉探しの精神病理

自分には顔がないという女が心の秘密にたどり着くまでを描く表題作他,診察室で語られる自分探しの旅.

顔をなくした女
著者 大平 健
通し番号 社会124
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 社会
日本十進分類 > 社会科学
刊行日 2005/11/16
ISBN 9784006031244
Cコード 0136
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 272頁
在庫 品切れ
「実は,わたし,顔がないんです!」魔王に顔を奪われたという女が探し求めていたものとは? 苦しみの果てに患者がその心の秘密にたどり着くまでをミステリアスに描いた表題作ほか,精神科の診察室で語られる数々の自分探しの旅を丹念に描きだす.精神科医と患者の間を,絶妙な文体で綴った心温まる名エッセー.

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精神科医の待合室を訪ねると,いつも多くの患者達が順番を待っています.診察時間の終わりごろだからでしょうか,高齢者の姿はなく,20代から30代の男女が目立ちます.ただ,待合室では早く順番が廻ってこないかと,それだけが気がかりです.診察室でも医師とは最小限のやり取り.薬だけをもらいに行っている患者としては,待合室の人様にも,診察室のお医者様にも無関心を保ち続けてきました.でも,『顔をなくした女』を一読したことによって,従来はさして関心を持たずにきた精神科医という仕事,診察室で患者が語る言葉というものが,とてつもない意味をはらんでいることが推測できるようになりました.
 本書には「事実は小説よりも……」という言葉に相応しい症例が登場します.その症例を診察室で訴えるのは,他でもない生身の患者さん達です.
 たとえば「実は,わたし,顔がないんです」という患者の場合.……魔王に顔を奪われたというこの女性が捜し求めていたのはまさしく自分自身でした.心病んだ患者はいかにして自らの心の秘密にたどり着くことができたのかが,ミステリアスに描き出されます.
 この表題作を一読いただければ,診察室では予期せぬことが語られること.精神科医の観察眼,直感の確かさにも敬服するのですが,精神科医なら誰でもこの種の眼力を備えているわけではないと思います.富山太佳夫氏は「解説」で著者の眼力を解読しています.

「大平さんは,自分の前にいる患者と呼ばれる人々を,その声を通して,その語り口を通して,テクストの中に現前させる.そして自分もそのテクストの中に入って,対話し,理解する.医者としての職務があるから,次にはそれを翻訳しようとする.この大切な部分が会話体で記録されることによって,患者と呼ばれた本人もそこに戻ってゆくことができる」

 と書いています.大平健氏は単に文才に恵まれている医師なのではなく,確かな問題意識と手順に裏付けられたエッセーであることが看取されます.
 本書では精神科の診察室で語られる幾つもの自分探しの旅を通して,現代人の心の秘密を解き明かしています.
 著者の診察室を訪ねる人々は神経症やうつ病の患者だけではなく,相続税の支払いに悩んで不眠症になった人や,詐欺にあって落ち込んだ人もいます.
 著者は精神科の「客層」が変わりつつあるのかもしれないと思いつつ,精神科は精神病科から「よろず相談クリニック」に変更しなければならないと達観し,バブル期からその崩壊に至る時期における患者たちを活写しているのです.
 著者の主著『豊かさの精神病理』で描かれた〈モノ語りの人々〉や『やさしさの精神病理』に登場する〈やさしい人々〉を理解する上でも本書は興味深い内容になっています.〈自分の成功が自分自身にとって本質的な意味を持たない〉ことに悩む子どもや大人が朗らかに自分を語ることは何を意味しているのでしょうか.「電話を使いたいから友達にかけちゃう」と屈託なく語る高校生のさりげない会話は,電話が自分の一部となり,自分が電話の一部となったことを物語っているのではないでしょうか.現代における人間性の変容とは何か.この難問を解明する上で,本書が示唆するものは決して小さくないと思うのです.

 本書は1997年1月,岩波書店より刊行されました.『へるめす』1990年24号から1996年60号までに計7回執筆したものを単行本化した作品です.
大平 健(おおひら・けん)
1949年生まれ.現在聖路加国際病院精神科部長.精神医学.
精神科を訪れる人々の面接から,現代社会の特性の由来を見事に解明してきた.
主著『豊かさの精神病理』『やさしさの精神病理』『純愛時代』(岩波新書)『精神科医のモノ・グラフ』『拒食の喜び,媚態の憂うつ』(岩波書店).

書評情報

朝日新聞(朝刊) 2005年11月27日
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