火はわが胸中にあり

忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件

明治初期に起きた近衛兵士の叛乱「竹橋事件」.兵士の訴えはなぜ圧殺されたか.歴史の闇を照らす渾身作.

火はわが胸中にあり
著者 澤地 久枝
通し番号 社会173
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 社会
日本十進分類 > 歴史/地理
刊行日 2008/09/17
ISBN 9784006031732
Cコード 0197
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 388頁
在庫 品切れ
明治初期,徴兵制や悪化する待遇に不満を抱く近衛兵士が叛乱を起こした.しかし,それは事前に露見していたのみならず,五十余名もが処刑,さらには天皇への忠節を至上命題とする「軍人勅諭」を始め,大日本帝国陸軍の完成へと利用されていく.そこにどのような陰謀があったのか.闇に葬られていた「竹橋事件」を掘り起こした渾身のノンフィクション.
「旧近衛鎮台砲兵之墓」および竹橋事件犠牲者の顕彰碑
中央が「旧近衛鎮台砲兵之墓」.右が竹橋事件犠牲者の顕彰碑(撰文澤地久枝)
青山霊園2種(イ)11号29側
「旧近衛鎮台砲兵之墓」
「旧近衛鎮台砲兵之墓」

編集部からのメッセージ

その墓がみつかったのは,一九七七年(昭和五十二年)十一月の末であった.〈旧近衛鎮台砲兵之墓〉と刻まれた方形の石の高さは,五尺三寸ほどある.
東京青山墓地の西端,青山通りから霞町へぬける道路にそってめぐらされたフェンスの内側の,低く窪地になったような位置に,西を向く形で墓は建っていた.
墓碑の背面には,〈大赦明治二十二年二月十一日〉とあり,左の側面には小さな文字で二行〈祭主福井清介 世話人墓地関係一同〉と読まれる.墓はヒイラギの樹の下にある.
これが,一八七八年(明治十一年)八月二十三日夜の竹橋事件の結果,同年十月十五日に銃殺刑になった五十三人の兵士の墓であった.日本の陸軍史上に例のない,近衛砲兵大隊兵士の叛乱である.東京鎮台予備砲隊にも,近衛歩兵連隊の中にも同調者があり,処刑者が出ている.
埋葬のもとの位置は,現在の都立赤坂高校正門のあたり.明治憲法の発布に際する特赦により,名目上は赦された男たちの墓を建てた祭主福井清介とは,事件とどんなかかわりのある人物なのか,いまのところ,まったく不明である.
『火はわが胸中にあり』は,このような文章ではじまる.
作家五味川純平氏の資料助手をしていた1960年代半ば,著者は,二・二六事件の連座者の一人で銃殺刑となった青年将校安藤輝三の言葉に,初めて「竹橋事件」を意識する.そしてそれをテーマにした作品を上梓したのは,事件からちょうど100年目の1978年夏のことであった.
待遇の悪化や徴兵制そのものに対する素朴な不満を抱え,天皇への強訴を企図したものの,それは何者かによって圧殺され,逆に天皇への忠誠を絶対とする「大日本帝国陸軍」の完成へと利用された…….無残にも殺された青年たちは,どのような人間であり,どのような改革の火を胸に秘めていたのか.
事件は歴史の闇に葬られた上に,100年という時間の壁が著者を阻むが,裁判の口供書を読み込み,わずかな手がかりを元に菩提寺を探しては,遺族に伝わる話を聞きだしていった.そして,気の遠くなるような作業ののち,100年前に非業の死を遂げた男たちを,人間のドラマとしてよみがえらせたのだ.
上記の墓は第二次世界大戦中に行方不明になったままであったが,著者の追跡のなかで所在が確かめられた.その墓は現在も同じたたずまいのまま青山墓地にある.右横には,1987年に遺族会や「竹橋事件の真相を明らかにする会」によって建てられた,事件の概要を伝える碑(撰文澤地久枝)があり,軍隊とは何かを今に問いかけている.
自分にとっても「特に愛着の深い本」と,著者自らが語る『火はわが胸中にあり』が,事件から130年の記念の年に装いを新たに刊行される.表紙は,近衛砲兵広瀬喜市.生家の位牌に埋め込まれているのを見つけ,著者が男たちを生身の人間として描く励みとしたという写真である.
本書は1978年7月,角川書店より刊行された.
(2008年9月)
1 埋葬
2 風のとまった七月
3 口火
4 空白の三日間
5 たじろぎ
6 近づく足音
7 革命は可なり
8 身の上話
9 血判状
10 露草
11 火門封印
12 皇居へ
13 王子行軍
14 軍律
15 苦役の日々

  時間への旅
  岩波現代文庫版あとがき
澤地久枝(さわち ひさえ)
1930年,東京生まれ.ノンフィクション作家.幼少期に家族と「満州」に渡り,敗戦で引揚げる.49-63年,中央公論社勤務.その間,早稲田大学第二文学部卒業.著書に『妻たちの二・二六事件』『密約』『昭和史のおんな』『滄海よ眠れ』『わたしが生きた「昭和」』『家計簿の中の昭和』『希望と勇気,この一つのもの』ほか.
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