新島 襄

日本近代思想に大きな影響を与えた思想家・教育家,新島襄.その生涯と思想を理解するための最良の評伝.

新島 襄
著者 和田 洋一
通し番号 社会294
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 社会
日本十進分類 > 歴史/地理
刊行日 2015/10/16
ISBN 9784006032944
Cコード 0123
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 334頁
定価 1,144円
在庫 在庫あり
明治時代,欧米人の精神の基盤であるキリスト教を深く理解することで,日本の近代化を図った思想家たちがいる.内村鑑三,新渡戸稲造らと比べ,新島襄の特異さ,偉大さはどこにあるのか.新島に関する回想録等の様々な資料を,精確に使いながら,思想家・教育家新島襄の生涯と思想を知るための最良の評伝である.[解説=佐藤優]


■内容紹介
 幕末,欧米列強の日本進出を,祖国の命運のかかった危機ととらえた志士,思想家の中で,欧米人の精神の基盤であるキリスト教を深く理解し,キリスト教による日本の近代化を図った思想家たちがいます.内村鑑三,植村正久,新渡戸稲造らと比べ,新島襄の特異さ,偉大さはどこにあるのでしょうか.新島の生涯とその思想を,分かり易く取り上げた評伝の中で本書は長く読み継がれてきました..
 本書は,新島の書簡,日記,日本人,アメリカ人によって書かれた新島論,回想録等の資料を,精確に使いながら,宗教家・教育家新島襄への共感,新島を伝えなければならないという想いを込めて,読み易い文体でまとめてられています.
 随所に,戦時下,弾圧を受けた言論人,新聞学者ならではの視点が示されているのも,本書の大きな特色となっています.開校当初の同志社が官憲の監視下にあったこと,新島襄と自由民権運動との関わり(板垣退助遭難時の会見)の重視や,「同志社大学設立の旨意」が,自由党の機関誌「日本立憲政党新聞」に最初に掲載されたこと,「報知新聞」「毎日新聞」「朝日新聞」に続々と発表されても,「時事新報」にはついに掲載されなかったこと(新島は,福沢諭吉の宗教への無理解を嫌悪した)など様々な面が明らかにされます.
 新島にまつわる逸話,伝説的事項は,数多く記録されています.抑制の効いた文体で書かれた本書は,逆にそれらのエピソードに込められた新島の個性とパッションをよく伝えています.
 1874年,帰国直前の新島は,バーモンド州ラットランドの伝道協会で講演をします.明治政府が,キリシタン禁制の高札をやっとはずしたのは,前年の1873(明治6)年でした.数百名のアメリカ人の聴衆に向い,新島は,帰国後,日本で最初のキリスト教大学開設の意思を伝え,その場で設立のための献金を要請します.「「私はキリスト教主義の大学設立のための基金をえることなしに日本へ帰ることはできない.私はそれを得るまでは,ここにつっ立っているつもりである」と言って,壇の上に棒立ちになった」.使命感に燃える日本人青年の熱意を受けて,聴衆からの献金は,忽ちに3000ドルに達したと言われます.著者は続けて,小さなしかし劇的なできごととして,「一人の貧しい農夫が,帰りの汽車賃に予定していた1ドルをそっと新島に手わたし,自分はほかの人のようにたくさん出せないが,といって去って行った」ことを記します.同志社に学ぶものは,140年前のアメリカの無名の一農夫の大恩を決して忘れてはならぬ,ということが強調されています.
 著者は,国禁を犯し死罪となることも恐れず,アメリカに「亡命」し,祖国に帰国して信仰と伝道に生涯を賭けた人物を,「こういう人間が,ハインリヒ・ハイネのいう「理想(イデー)にとりつかれた人間」なのだろう」と結んでいます.
 本年11月に創立140年を迎える同志社大学の創立者の生涯を見事に描いた評伝です.
まえがき/凡例

序章
一 幕末の国外脱出者/二 新島襄の誕生と家/三 幼年のころ,手習いとおじぎ/四 少年期,学問への意志の芽ばえ
第1章 自由と文明へのあこがれ
一 海のかなたへの関心/二 不安と動揺一年二ヶ月/三 送別の宴,江戸から函館へ/四 函館を脱出,一路上海へ/五 上海からボストンへ

第2章 長期にわたるアメリカ滞在
一 無一文の亡命客/二 清教徒的風土の中で/三 アーモスト大学を卒業するまで/四 自由な日本公民として/五 ヨーロッパの旅,視察と休養/六 キリスト教主義大学設立の夢

第3章 京都に同志社を創立
一 帰国/二 イエス・キリストの奴隷/三同志社英学校の発足/四 社長としての新島の姿勢/五 新島と生徒,新島とクラーク/六 新島にとっての女子教育

第4章 東に奔り西に走る
一 自責の杖/二 マジメ人間の道楽/三 自由民権派との接触/四 欧米再遊/五 新島の反対による教派合同の挫折/六 「同志社大学設立の旨意」/七 五平伝説,寒梅の詩,遺言

あとがき/第四版の刊行にさいして/略年譜/参考文献
解説(佐藤優)
和田 洋一(わだ よういち)
1903-1993年.同志社大学名誉教授.京都帝大文学部独文科卒.1931年,同志社大学予科教授.中井正一らと雑誌『世界文化』を編集,軍部ファシズムに抵抗した.1949年,同志社大学文学部社会学科教授.著書に『国際反ファシズム文化運動』(三一書房)『灰色のユーモア――私の昭和史ノォト』(理論社)『わたしの始末書:キリスト教・革命・戦争』(日本基督教団出版局)など.

新島襄(1843‐1890年)
明治の宗教家,教育家.上州安中(あんなか)藩士の長男として生まれる.本名,七五三太(しめた).女子が4人続いた後の男子のため,「しめた」と家中が喜んだ事から命名された.藩主の命により蘭学を,築地の軍艦教授所で,数学,航海術を学ぶ.1864年,アメリカへの密航を企てる.幕府の密航阻止の捜索は厳重だったが,アメリカ船の船長室のクローゼットに身を隠して成功する.船長から「Joe」の愛称で呼ばれ,「新島襄」を名乗る.翌年,ボストン入港.1866年,キリスト教徒となる.アーモスト大学,アンドーバー神学校に学ぶ.1874年,アメリカ海外伝道協会より日本通信員に任命される.同年,10年ぶりに帰国.1875(明治8)年11月29日,仏教,神道界の猛反対の中,京都に同志社英学校を開設.伝道,教育活動に奔走するが,過労のため,1890年1月21日,徳富猪一郎(蘇峰),小崎弘道に口頭で遺言を伝え,47歳で逝去.同志社チャペル前広場での告別式参列者は,4000名を越えた.
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