双書 現代の哲学

転校生とブラック・ジャック

独在性をめぐるセミナー

《私》という存在の比類ない特性を捕らえる思考実験.独在性のダイナミックスとは何か.

転校生とブラック・ジャック
著者 永井 均
ジャンル 書籍 > 単行本 > 哲学
シリーズ 双書 現代の哲学
刊行日 2001/06/22
ISBN 9784000265850
Cコード 0310
体裁 四六 ・ 上製 ・ カバー ・ 216頁
在庫 品切れ
《私》とは何か.脳の私と身体の私,そして心としての私は,同一なのか別物なのか.《私》の存在をめぐる独自な思索を展開する著者が,SF的思考実験を通し,仮設されたセミナーのスタイルで描き出す,《私》の比類ない性格と位相.

■著者からのメッセージ

永井 均

 このようなセミナー形式の本を書いた動機については,「談話室」という章で詳しく書いた.その中に,以下のような趣旨の言葉がある.

 ――私には,確かに哲学的な問いはあるが,主張というものがない.ところが,私が何か問いを出すと,たいていの人は何かを主張をしていると思い込んでしまう.主張だと思い込まれて,批判だとか反論だとかをされても,その反論もまた私の問いの一部だった,としか思えない.そこで,この本では,私が問いたい問題と考えられる議論とを,複数の人物の対立する主張に分散させて,私が何か特定の主張をしているのではないことを示したいと思った.つまり,対立するすべての発言が,いわば私の哲学的主張そのものなのだ.――

 言いたいことは,簡単なことだ.哲学は問題提起とそれをめぐる可能な限り多様な議論そのものなのであって,それ以外ではない,ということである.だが,不思議なことに,かつてそういう哲学書が存在したかといえば,それはあやしい.プラトンの対話編は,文字通り対話体で書かれているが,多くの登場人物のうち,なんと,ソクラテスという人物の語ることが,そしてそれだけが,プラトンの主張なのである.そして,彼が何を主張したいかは,多くの場合,初めからはっきりしている! バークリもライプニッツも対話体で書いているが,誰の発言が著者の主張であるかは,明白である.
 しかし,この本は違う.複数の登場人物の対立する発言のうち,誰の意見が私の主張だということもない.それが当然ではないだろうか,哲学なのだから.この本はただ,世界が〈私〉と〈今〉に中心化されているのはなぜか,という素朴きわまりない問いをめぐって,ああでもないこうでもないという哲学的議論が延々となされる,ただそれだけである.
1951年生まれ.専攻,哲学・倫理学.慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得.現在,千葉大学文学部教授.
主著:『〈私〉のメタフィジックス』『〈魂〉に対する態度』『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房),『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩書房),『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版), 『これがニーチェだ』(講談社現代新書).
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