ためらいの看護

臨床日誌から

人に寄り添うとは.看護師として20数年,当事者として生の危機と関わり続けた現場からの通信,「共に生きる」ヒント.

ためらいの看護
著者 西川 勝
ジャンル 書籍 > 単行本 > 哲学
刊行日 2007/10/26
ISBN 9784000237697
Cコード 0012
体裁 四六 ・ 上製 ・ カバー ・ 222頁
在庫 品切れ
どう触れ合い,また語り合えばいいのだろう.看護師としての20数年の経験を踏まえて考える,人に寄り添うとはどういうことか,人間の尊厳とは,愛とは何か.看護・介護には法則もなければ,行為することの根拠もない.あるのはただ,当事者として生の危機と終末期に「ためらい」つつ関わり続ける現場だけだ.ベッドサイドから発信する,「共に生きる」ヒント.


■著者からのメッセージ
 本書が発売された今日,梅田の書店に立ち寄った.生まれて初めて出版される自分の本を,来年度の手帳と一緒に購入する.店員から「ありがとうございました」と言われて,面映ゆい思いがする.うれし恥ずかし,とうとうこんなことになっちゃった,という気分だ.地下鉄に乗って阿倍野まで帰り,雨がひどく降っていたので,チンチン電車が走る道沿いの喫茶店に入る.ぼくが高校生だった頃から,この店はここにある.ずいぶん生意気な議論をした場所だ.もう少しでこぼれそうな程たっぷりのコーヒーを前にして,ぼくは自分の本を取り出した.柔らかなタッチの装画が,とても気持ちいい.
  どんな顔の人が,この本を手にしてくれるのだろう.会ったこともない人の顔は想像すらできない.でも,必ずある顔を持った人に,この本が読まれるのだと考えると,不思議で仕方ない.ぼくは立派な看護師でもなければ,何か言うべきことを知っている人間でもない.いつも,ためらいながら生きてきたし,これからもそうだろう.ひょんなことから看護師になって,いろんな人と出会ってきた.忘れてしまったことのほうが多いのだけど,幾度か文章を書く機会に恵まれて,迷いながらことばを探した.そのつど,考えたことを書いてきただけのことだ.しかし,ぼく自身の首尾一貫した主張があるわけではない.患者と呼ばれた人たちの,ある人の前で,ぼくが何を感じ,何を思い,何を考えたのか.相手と自分の間にゆらぐことを,「ためらいの看護」として書きつけた.
 この本の中で,あの人が生き続けてくれたら,そして,この本を読んでくれる人に,あの人の姿が見えれば,中途半端なナースのぼくは嬉しい.
  明日は,この本の第3章「生きる技術・生かす技術」に出てくる山本さんと一緒にバイクでツーリングをする.雨が心配だけど,十津川の近くをゆっくり走ってくるつもりだ.明日の夜,酒の席で『ためらいの看護』を,彼に手渡すのが楽しみだ.


■編集部からのメッセージ
 5年ほど前のことです。東京駅ではじめてお目にかかったときのことを思い出します。ちょうどお昼時で、丸の内ステーション・ホテルのレストランで食事をご一緒しました。仙台でご講演かシンポジウムかがあって、その途中、空き時間に下車していただいたのでした。
  食後、頃合いを見はからって「仙台でお待ちの方もいらっしゃるでしょうし、ではこのあたりで」と切り上げようとしますと、「どこか、タバコが吸えて、ゆっくり話のできるとこ行きまへんか」。喫煙可のお店やビルはすっかり姿を消してしまった今日この頃です。新丸ビルを一通りめぐり歩き、その周辺の大手町界隈へと二人してさまようこととなりました。ようやく目にとまったモダンな喫茶店。どっこいしょと腰を降ろした時分には、勝手につくっていた看護師・西川勝のイメージは、跡形もなく消し飛んでいました。精神科、人工透析、認知症と看護の現場でキャリアを積まれた方です。どこか謹厳な面持ちを想像するではありませんか。ところが、目の前で柔らかな笑みを絶やさずに話し続けている人は、医療関係者によくある冷たさ、事に処すための合理的な堅さといったものをミジンも感じさせないのでした。
  それからエンエン6時間。思いもかけず、心楽しい時間が流れました。何度か「あの、仙台でどなたかお待ちなのでは」と言ってみましたが、「かまへん、かまへん」。なんとまあ、「自由」なことよ、と密かに舌を巻いたことでした。ふと、「無頼」などという言葉が頭をよぎりもしたのです。大急ぎで付け加えますが、ここで「無頼」とは、かつて「無頼派」の作家などと言われた際の、その中心にあった意味を思い浮かべています。要は「いま・ここ」での一期一会の出会いを、その他のすべて、約束やら都合やらビジネスやら、一切のものを差しおいて優先すること。たまさかの出会いであれ、人が遭遇するその場には言葉にしえない無量のことどもがあります。それは患者と医療者の関係であれ同じことでしょう。
  本書には、長年にわたる看護体験に裏打ちされた、「無頼の」思索が結晶しています。看護には、技術によって対処しなければならない、まったなしの荒々しい現実があると同時に、「人に寄り添う」ということに含まれる限りない奥行き、心理学や哲学を動員するだけではまだ足りない、宗教まで持ち出さなければおさまりのつかない深々とした懐があります。本書にまとめられた折々の随想から全力投球の思索まで、十数年にわたって書きためられたどの文章にも、どこを切っても「そこにいるその人」の息づかいや片言に耳を澄まそうとする、人が生きてあることの懐に向かおうとする意志が現れます。本書はその意味で、型にはまった思考の流れを堰き止め押し返し、目の前にいる人の謎とともに立とうとした実践の記録です。「繊細の」「ためらいの」、そして「無頼の」看護たるゆえんでもあります。
【編集部 中川和夫】
Ⅰ 病の意味を見いだす
  第1章 「信なき理解」から「ためらいの看護」へ
  第2章 食と生きざま
  第3章 生きる技術・生かす技術

Ⅱ パッチングケアの方へ
  第4章 臨床看護の現場から
  第5章 ケアの弾性――認知症老人ケアの視点

Ⅲ 人に寄り添うということ
  第6章 臨床テツガク講座
  第7章 隠すプライバシーで露わになること
  第8章 鬱の攻撃性
  第9章 「認知症」の衝撃
西川 勝(にしかわ・まさる)
1957年生まれ.看護師・臨床哲学専攻.現在,大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任准教授.京都市長寿すこやかセンター研究員.
精神科病棟での見習い看護師を皮切りに,人工血液透析,老人介護施設へと職場を移しつつ,二十数年にわたって臨床の現場での経験を積む.一方,関西大学の二部にて哲学を学び,その後大阪大学大学院文学研究科に社会人入試を経て入学,臨床哲学を専攻する.九鬼周造の哲学と自らのケア論を織りまぜた論文『ケアの弾性』によって修士号を取得する.看護の実際に即したエッセイ,ケアのあり方をめぐる哲学的考察など,旺盛な執筆活動を続けている.

書評情報

精神科看護 2008年8月号
秋田魁新報 2007年12月9日
秋田魁新報 2007年12月2日
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